モノローグ① 向こう側の記憶①
緩やかな時が流れるメロウな夜はここにはない。夜はいつも誰かが泣いていて、いつも誰かの怒鳴り声で満ちている。
いつもの光景。いつもの日常だ。けれど傍から見ればこの村の住民は普通じゃない。普通の人間だったらきっと近づかない。ましてや車に轢かれた母親の遺体を面白がって写真なんかに収めたりしないだろう。
死神さんが言っていたことは概ね大体が正しかった。
私が中学生になった時、母と父は本当のことを私に打ち明けた。
母親は地方出身で、都会の暮らしに強い憧れを抱いていたらしい。だから大学進学をきっかけに上京して……本当のお父さんとはそこで知り合ったらしい。でも軽はずみな付き合いは人工中絶をきっかけに終わる。
私は本当のお父さんを知らない。顔も声も写真がないから確かめようがない。だけど私の身体には見ず知らずの男の血が通っていて、私が知るお父さんの血は一滴も流れていない。そう、母は苦い体験を経て、出身地である田舎に戻った後、高校のころ同じクラスの同級生だった父と結婚したのだ。
お父さんが本当のお父さんじゃないと初めて聞かされた時は驚いたけど、血が繋がっていないだけで生まれた時から傍にいてこれまで愛情深く育ててくれた優しい男の人は紛れもなく私の好きなお父さんで変わらなかった。
何も変わらない。父も母も私も仲が良かった。自分の子じゃない私のことを初めから家族として受け入れてくれたお父さん、何より私を堕とす選択肢を絶対に取りたくなかったお母さんには感謝している。
幸せだった。そう――、私は家の中が幸せだったらそれだけでよかったんだ。
それなのに母が轢き殺されてから父はオカシクナッタ。村の人みたいにオカシクナッタ。私は村の人が嫌いだ。村から出ていった母を敬遠しておきながら、どこからどうやって嗅ぎつけたのか知らないが、そのお腹から生まれてきた私を余所の血が流れているとして除け者扱いにした。
私が悲しめば村の人は嬉しんだ。
私が怒れば村の人は楽しんだ。
だからそう、たぶんそう、絶対にそうなる。
きっと私が死ねば村の人は喜ぶんだって。
中学三年のころ、そう母に告げたら、母は言った。
『ミクルが死んだらお母さんは悲しいよ』
納得した。それは誰かが死んだら少なくとも誰かが悲しむということ。当たり前だけどこんな私でも愛してくれている人がいるということ。母と父は私の味方。父は私を養うために懸命に働き、母は私につらいことがあって泣きながら家に帰った時、時間をかけてよく話を聞いてくれて、最後には抱きしめてくれた。
ある日、母は学校に駆け込んだ。私の話を聞いて、私がいじめられていることを担任に相談したらしい。それから何度も母は学校に行き、いじめをなくす対応を教員たちに求めた。
それが功を奏したのか、その日、私はいじめに遭わなかった。
そう、いじめられなかったのだ。
忘れもしない。忘れてはならない。そうだ、忘れちゃ駄目だったはずだ。
いじめらずに済んだその日、私はそのことを母に伝えたくて、ありがとうって言いたくて、早く家に帰ろうと足早に学校を後にした。
時間にして午後四時過ぎだったと思う。私が学校から帰り、まさに家に着こうとしていた時だった。何やら家の近くの道路で人だかりができていて、疑問に思って近づくと鼻の中に凄まじい悪臭が飛び込んできた。
嗅いだことのある臭い。怪我をした時に傷口から漂う臭いを何十倍にも濃くしたような臭いだった。鼻をつまみながら人混みを払いのけて見れば、赤黒いものが地面に横たわっていた。赤い黒い赤い黒い――、その中に白、というより黄土色のものがあった。それが血と骨であることに数秒かかって、それが人の脚であることに更に数秒かかった。吐き気をこらえながら恐る恐るそれの顔を見た。
それは母だったものでした。




