6―12 強欲の死魔⑤
ヘレナを殺すために放った渾身の一撃。だが悲しいかな、それを編み出すための工程も素材も何一つ彼女から生み出したモノはない。冥界という領域から取り込んだ霊力と他者の絶望から生み出される負の感情を掛け合わせた矜持の欠片もない破壊の弾丸。
「そうまでして私に勝ちたいのね」
弾頭の初速はマッハ11。だがヘレナにはその弾丸を視認するほどの余裕があった。返答からしてヘレナが撃ち抜かれることはまずないだろう。冥界という世界が極限までに動きを減速させているのが俺の眼からでも分かる。
だけど、何だろう、直感的に何かが違うと感じた俺は動いていた。
奪うばかりで何一つ生み出したことがない女が見せた感情。それはたぶんヘレナに負けたくないという純粋な気持ち。生命体として一つ上の存在である彼女を打ち負かしたいという反発心。目的達成のためなら己の命をも辞さない覚悟があった。
「為せ」
だけどその覚悟を一蹴するようにヘレナの言葉一つで構築された鉄合金の門が壁として聳え立った。
「殺す殺す、絶対殺す!」
ヘレナを殺してやりたいという敵対心。それだけが詰め込まれた暗黒のプリズムが堅固な門に激突する。
ヘレナの想定ではこの門を打ち破るほどの力はレヴィナスにはないと踏んでいたのだろう。事実――これまで奪ったモノすべてを凝縮したような弾丸は強固な門に受け止められ、弾かれる――そのはずだった。
「……」
門に亀裂が走る。
弾丸の力が息を吹き返すように増していく。というよりは門の堅牢性が崩れ落ちていく。
ヘレナの門を突き破った弾丸の形状は刺突剣のように細く鋭利なもの。それはレヴィナス自身、彼女の魂を編み込んだヘレナを殺すための切り札だった。
「冒涜の魔剣――」
レヴィナスそのものを銃弾とした攻撃は門を破壊した。その出来事に驚くヘレナ。というよりはその武器を所持していることに疑問を呈しているようだった。
「ヘレナっ!」
ヘレナの間合いに入った俺は彼女を守ろうと退魔の剣を構えた。が冒涜の魔剣はヘレナを射殺すには至らず、彼女の門と相殺する形となって消えていく。
「って余計だったか」
「ううん、そんなことないわよ。琉倭、ありがと」
嬉しそうに微笑みかけて近づいてくるヘレナを払いのけて、レヴィナスを見る。
「くそくそくそ……、どうして……、どうして勝てない、の……、ずるいずるいずるい、私には無いものばっか、持ってて、私だって……もっと……」
もっと……、もっと……、もっと……。次第にその欲望の吐露は聞こえなくなり、やがてぱたりと途絶えた。出し惜しみなく全霊を尽くしたレヴィナスは地に伏したまま動かなくなり、その肉体は崩れゆく冥界内で消えていく。
その時、割れた冥府の天蓋から中世的な声がした。
「いやはや、弱者からしか奪ってこなかった下等生物はどれだけ頑張っても所詮は小物……」
冥界の領域が裂けて、現実の夜空が顔を出す。
「折角、幽閉の門から救い出してあげたのに…………残念だなぁ、ぁ、ぁ、レヴィナス」
憐れみの言葉は最大限の侮辱に聞こえた。
ビルの屋上――避雷針の上には風で靡く影みたいな男が立っていた。黒の外套。灰色がかった長い髪。その髪の隙間から覗かせる猛禽類のような金の瞳。夜が似合う死神の姿があった。
「ライツァリッヒ……貴方の仕業ね。いますぐ私の門を還しなさいっ!」
「おぉ……すごい剣幕だ、怖い怖い。……でも今宵の君は薄れゆく月みたいに儚げだ。今の戦いで随分と霊力を消費したようだね」
「狙いは何……今更貴方から姿を見せるなんて」
「単純に顔が見たくなっただけだよ……どんな感じかなって」
言ってライツァリッヒは観察するように俺の顔を見た後、ため息を吐いた。
「貴方の思い通りにはさせないわ」
「思い通りっていうか、あの方が望んでいることを実現させようとしているだけなんだけどね、僕は」
「だったら貴方一人でやりなさい。無関係の人間を巻き込むのはやめなさい」
「だったらヘレナ、君も僕に加担してくれよ、同じ死神同士、さ」
「…………」
ヘレナの沈黙にライツァリッヒはまた大きくため息を吐き捨てた。
「はぁ、もういいよ。君がそんなんだから僕は仕方なく君の裏門を使って、死魔を再び呼びおこすしかないんだ……この通りね」
ライツァリッヒの背後に現実を侵食する小さな闇が開く。月蝕のようなその虚空から出てくるのは俺が知っている女の頭部。忘れはしない。赤みがかった茶色髪。ヘーゼル色の綺麗な眼。俺が好きだった女の顔だ。
「星宮っ!」
「へえなに、この子、星宮って言うんだ」
まるで禁断の果実をもぎ取るアダムのように星宮の頭を手に取ったライツァリッヒは彼女の顔を一瞥して不敵に笑った。瞬間、彼女の頭蓋骨は際限なく圧縮され、弾丸サイズに形成される。
「でもこれはもう彼女であって彼女ではない。彼女の複製体……生殖の死魔ミクトランは子孫を残そうとする人間の本能から来ている」
「星宮に触れるなっ」
「琉倭、挑発に乗らないでっ」
「どけっ」
俺は制止するヘレナの腕を振り解いて、ライツァリッヒを睨み付ける。
「ふっ、望み通り君にあげるさ」
手放すように解き放った脳弾。魂一つ分が濃縮された弾丸はレヴィナスが放った一撃よりも威力があるように見えた。
でもそれが何だと、極限までに目を凝らして標的を確認する。この眼はしっかりと弾の軌道を視認できている。命を奪う凶弾。それを横一文字に退魔の剣で切り伏せた。
「あーあ、好きだった子何だろう?」
「てめえ、ふざけんなよ、どこまで侮辱する気だ。降りてこい、殺してやるから」
「いいねぇ、昂ってきたみたいだ」
避雷針から降りたライツァリッヒは屋上の縁から俺を見下ろした。
「琉倭、感情に流されないで」
「っ――」
再度、掴んでくるヘレナの手が鬱陶しい。殺したくてたまらない相手が今そこにいるっていうのにどうして俺を止めようとする。
「離せ、ヘレナっ!」
「駄目よ、あいつの狙いはあなたの中にあるボーグの人格よ。お願いだから抑えて、今の私じゃあなたの衝動を抑えきれない……っ!」
「何がいけねえんだ、枷を外せ、好きな女が酷い仕打ちを受けたんだ」
「琉倭っ! あなたが暴走してもいいことなんて何もないわっ。それこそアイツの思う壺よ」
「それでも俺はあいつを殺したい、殺してえんだ、殺させろっ!」
怒りに我を忘れて逆らえない衝動が俺の背筋を撫でた時、鮮烈な衝撃が頬を走った。ヘレナに頬を叩かれたのだ。
「冷静になりなさいっ! あなたのために尽くしてくれている存在を忘れないで、今を生きている大切な人があなたの帰りを待ってる。妹さんが目覚めた時、あなたが傍にいなかったら悲しむわよ」
「……っ。あ、ああ」
ヘレナの言葉で正気に戻った俺は衝動を抑えて、怒気を含んだ視線だけをライツァリッヒに向けた。すると男は残念だと言わんばかりにため息をついた。
「はぁあ、興覚めだ。今の嗾けで彼の衝動が靡かないならもういい、あとは君に任せるよ、シャーデンフロイデ」
意識はそう、俺もヘレナも屋上に立つライツァリッヒに向いていて、俺たちから少し離れた場所にいる諸星ミクルには気にも留めていなかった。
それがいけなかった。
どこまでが彼の策略なのか、分からない。
ただ何もない場所から、いや、初めからそこにいたのか、気配のない長身の男は諸星のすぐ傍に立っていて、身体の輪郭がないほどに細く、地面に垂れるほど長く黒い腕が諸星の肩に触れた。
「きゃああああああああああああああああああああああああああああああ」
何をされたのか、諸星は喉が裂けるほどの悲鳴を上げた後、その場に倒れ込んだ。すかさずヘレナが諸星のところへ瞬間移動した時、サイケデリックな顔色になったソイツは死んだ魚のような目と裂けたような口を三日月形にさせて、笑った貌のまま、闇に溶け込むように消えていった。
「ミクっ! ミクっ! ミクっ! しっかりなさい」
諸星を抱き寄せたヘレナは何度も呼びかけて彼女の肩を揺するが、彼女は気絶したまま。そのまま長い夜はほどけて、暗い地面には朝の光が編まれていった。




