インタールード① 死の所在①
生物学的にそれらを失うということは極めて致命的だが、誰に奪われ、何を失ったのか、何より自分が誰であるのか、それを知っていることに比べれば些か大したことではないように思えた。
僕は赤い服を着た女に人間にとって致命的な機能を奪われて、強制的に眠らざるを得なくなった。だけど何が起こったのか、僕は見えないままに目を覚ました。
人間としての眼が機能していないならしていないなりに脳だけを動かして、嗅覚が死んでいるのなら思い出に縋って則って、歩いている感覚がないのなら直感だけを頼りに、階段を下りていく。
「――っ! お……、よかっ――、……とうに」
視覚も嗅覚も聴覚も、全身の感覚が無くなって、足や腕がどこにあるかもわからないままだけど、何となく分かった。僕が目を覚まして嬉しがる母親の姿が容易に、僕を抱きしめてくる母親の温もりが手に取るように想像できた。だけど想像できた上でなぜだろう、その生への喜びは僕にとっては愛のしがらみでしかなくて、その愛が僕の死を拒むものでしかないのなら、愛こそ目障りなものはないだろうと思った。
でも内心でそう思っただけで、決して死んでしまえなんて想像なんかしていない。ただ死と向き合えば生を考えることができるんじゃないか、だったらその死は僕にとっては無意味なものではないはずだろうと。
「……」
僕のことを心配してくれた母親が死んだら僕は何を思うか。その死を目の当たりにしてもなお、僕は死にたいと考えるのか。
その時、脳の神経に電流のような刺激が流れて、僕は目の前の異様な光景に目を疑った。
壁一面にぶちまけられた赤いペンキみたいな血痕。頭部が破裂した母親の死を見て僕は……。
「これが死か……」
でも死にたいとは思わなかった。それがなぜか無性に腹立たしくてどうしたら死にたいと思えるようになるのか、もっとたくさんの死をみたくなった。
そもそもなんで僕は死にたいと思っていたのか。自分でもよく分からない。死にたいと思う理由があったはずなのにそんなものは初めからない気もする。だとすればお腹が空いたから食べる。眠いから眠る。といった生理現象的な欲求なのだろうか。だとしてもおかしい。人のこころ、精神は内側にあるものではなく、外部からの刺激を受けて初めて機能するものだ。だから死にたいと思う感情には絶対的な理由があるはずなのだ。なければならない。じゃないと僕が死にたいと思うソレは病になってしまう。流行り病だ。感染病だ。原因の分からない死に至る病だ。
でも死にたいと思う気持ちは過去に抱いていたものに過ぎない。
今の僕はどうしようもないほど何もない。
僕が死のうとする度に赤い女がやってきてそれを阻止した。計三度、あの女に死を阻まれる度に僕は生かされたまま死んでいった。
死というものがどういったものなのか、女は奪うことで僕に知らしめようとしたのだろう。
何かを食べたい、誰かの声を聞きたい、何かに触れたい、そういった願望どころか、五感もないため、何も感じない。死んでいるみたいで全くもって現実味がない。死とは無。何もない世界。そんな世界を望むのかと問われているみたいだった。
だけど、何もない世界は何も生まれないからこそ、穏やかで、平和なはずだ。そんな世界が死だというのなら僕はやっぱり死に恋焦がれてしまうだろう。じゃあ、僕が死にたいと思う理由は漠然とした死への憧れだというのか。
……しっくりこない。
死にたいという渇望が渦巻いてこないのだ。でも確信はある。死にたかった僕が僕であると、僕が僕であるために死は切っても切り離せないものだと。
そう思える時点で赤い女は完全に見誤ったのだ。僕から死を完全に切り離すために奪うべきものは願望でも感情でも五感でもない。確かに奪われたモノは生命活動にとってどれも大切なモノだけど、そんなものを奪ったところで死にたかったという記憶がある限り、僕はまた死にたいと思うのだから。
だから死にたいと思えるようになるまで僕は死を見ないといけない。




