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幽暗奇譚――死神遣いのノクターン――  作者: たけのこ
四章 シーサイド・イルネス
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4―10 クンティラポンティ④

 今宵はまだまだこれから。帰り道の途中で適当な理由をつけて美鈴と別れた俺は方向転換して小川の廃ビルマンションに戻ってきた。


 マンションの敷地内に入る。古い造りをした螺旋状の外階段を上り、竜巻が直撃したかのように外壁の一部が崩壊した屋上に辿り着いた。


 屋上は地上に比べて風が強く吹いていて肌寒い。


 屋上の端は壊れていて飛び降りやすい状態になっている。六階建ての高さから見える光景は暗くてよく分からないが、深淵の闇に落ちる恐怖は確かにあった。この高さから落ちれば助かることはまずないだろう。もしかしたら陽があるうちの方がもっと怖く感じたかもしれない。だから人は暗く静かな夜の時間に自殺を図るのだろうか。俺は微かに竦む足を一歩、また一歩と進んでいく。俺が抱く恐怖は正常で、死へと向かう行動に心拍や呼吸は早くなっている。


 自殺は禁忌的概念として世界の理に刻み込まれている。


 これは伝統的に自殺を戒めてきた宗教の名残だろう。

 だがどうして人は自殺を悪だと決めつけたがるのか。死んだことがない生者が適当なまやかしを言って死は怖いモノだと遠ざける。でも俺は知ってしまった。未練を残して死のうが、この世に嫌気が差して死のうが、それで魂が成仏できず悪霊になろうが、最終的にはあんな綺麗な死の女神に出会えるのなら死んでもいいなと。


 とは言え、これは殺すことよりも凄まじい度胸が必要だ。半端な考えでは到底死ねない。そもそも自殺をしようと考えている時点で気づいたら自殺をしている者とは大きくかけ離れている。後者は周囲の蔑視も同情も考えておらず、あるのは自分の意志だけだ。


「ああ、今なら死ねる気がする」


 覚悟を決めて、纏わりつく禁忌的な概念を振り払うように俺は勢いよく駆けた。飛ぶ? 落ちる? 飛び上がる? いや、ここは潔く墜落するのが正解だ。それはきっと自由だ。どこまでも深い眼下の闇には無限に続く自由が広がっているはずだ。


 だから早く行こう。行こう。行こう。行こう。逝く――。


 現実からの逃避。生から死への境界線。地に足がつかなくなって微かな臨死体験を覚える。刹那、重力による自由落下。ビルの屋上から真っ逆さまに飛び落ちた。


 びゅう、と刃のように鋭い風が顔に当たる。闇の霧が抜けてそれが地面だと認識した時、どこからか聞いたことのある奇怪な擬音語と足音が風に乗って聞こえた。


「ke-ke-ke-ke-keeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeッ!」


 赤い血が染みついた長い髪が中空を走る。俺は地面擦れ擦れのところでしなやかに伸びた硬く丈夫な髪によって引き留められた。四肢や胴体には髪が巻きついていた。


「kekeke-kekeっ! ke-keke!」


 何を訴えているのか分からないが、見上げればとうの昔に死んでいるくせに、顔も半分ないのに、どうしてか赤い女の霊が決死の面持ちで転落死から俺を救い出していた。


「なに言ってんのか、わからないな」

「し死シ、ダメっ! 死んジャ、駄目!」

「別に死にたくて飛び降りたんじゃない。こうしたらお前が助けに来ると思ったからやったんだ」

「死にたくて? シは、駄目ダメだめだめ駄目ダメだめダメ駄目駄目だめダメ」


 駄目だ。話にならない。死という言葉に拒絶反応を示したクンティラポンティは巻きついた髪で身動きが取れない俺に長く鋭い爪先を翳した。


「なにをする気だ」

「死ヲ考えられナイ、ようニ、スル」

「そうか、口無音が昏睡状態に陥った原因はその爪で血液を吸い取られたからか」

「チガウ。私ガ奪ったノは――」


 クンティラポンティが何かを発しようとした時、身体中に巻きついていた赤い髪は四本の錫杖によって切り裂かれた。


 解放された俺は地面に着地する。俺を窮地から救い出してくれたのはにこりと楽しそうに笑っている美鈴だった。


「どうして、さきに帰ったはずだろ」

「そんな驚かなくても、そこは助けてくれてありがとー、でしょ? 私もありがと~。これで手っ取り早く祓える。夜月くんに任せて正解だった」

「待て、美鈴」

「待たないよ。こいつを除霊すれば口無音は目を覚まして問題は解決。悪霊側の事情なんか知ったこっちゃない」


 俺の引き止めを差し置いて、美鈴の蒼い霊眼が好戦的に光る時、クンティラポンティの長い髪と鋭い爪が彼女に差し迫った。

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