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幽暗奇譚――死神遣いのノクターン――  作者: たけのこ
四章 シーサイド・イルネス
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4―5 夜の巡回①

 朝から何も口にしていないとはいえ、食べ過ぎた。ハンバーグ三個は流石に胃がもたれる。満腹を通り越して息をするのも苦しい。こんな状態では流石に外出できないと俺は自室のベッドにもたれかかった。消化されるのを待ちながら壁に立てかけてある時計を見る。時刻は二十時二十分。待ち合わせ時刻は二十二時であるため、遅くても二十一時には家を出ないと間に合わなくなるだろう。じゃないとどんな反感を買われるか分からない。


「あいつ、すぐ怒るからな」


 だったら早めに行くかと起き上がった。特にやることもないし、歩いた方が消化も促されるだろう。厚手の黒いジャンパーを羽織って、本格的な冬が迫っている夜の中を歩いた。


 外は暗く冷たく静かで、夜の暗さと寒さに追いやられるように人のいない街は死んでいるみたいだった。事実、人は確実に死んでいる。行方不明扱いとして連日報道されているはずだが、殺人鬼と思われる少年は一人の霊媒師によって呆気なく殺害された。これで被害が収まればいいが、夜明け直後に見たあの大量虐殺の光景は殺人鬼による犯行とは別件だ。


 だとすれば何が原因であんなことになるというのか。市民同士が突然殺し合うだなんて、ここは島国だ、民族浄化じゃあるまいし、俺の記憶が正しければ、見知らぬ人間同士が殺し合っただけでなく、家族、恋人、友人同士が殺し殺されていた。これを単なる人の悪意と愚行で片付けていいはずがない。この残虐な光景の背後にはきっと何か善からぬモノが蠢いている。だが霊気や霊力が感じられない以上、霊媒師やヘレナは人類の悪行として判断するんだろう。まあ、それが本当にそうであるならば、別に構わないのだが。


 待ち合わせ場所である公園に辿り着いた。予定の時刻よりも二十分も早い。まあ、でも早いに越したことはないだろう。ヘレナがやってくるまでの間、ベンチにでも座って待っていよう。……と思ったが、ベンチには既に先着がいた。その先着は俺の顔を見るや否や、飼い主の帰りを待っていた犬みたいに喜んだ。


「琉倭っ!」


 夜だからか知らないがすごい元気な声で俺の名前を呼んだヘレナは立ち上がった。お馴染みの黒いローブに心許ない白いレースの装い。こいつ、寒くないのか、見てるこっちが寒くなるような恰好は肌の露出が多いからだろう。ブラをせず無防備に晒された胸元と艶やかで滑らかそうな白い脚は夜の暗さで余計に際立っている。そんなことよりも……。


「お前、いつからここにいるんだよ。約束の時間よりも随分早く来たつもりなんだが」

「え、そんなの一時間近く前からよ」

「は?」


 確かに外での待ち合わせならば時間前に現地に到着しているのが人として礼儀にかなった行動だが、それにしても早すぎる。


「一時間近く前ってお前、どんだけ暇なんだよ」

「別に暇なんかじゃないわよ、ただ琉倭に会いたくて待ちきれなかったの」

「……」


 なんなんだこいつ、なんでこんなに俺はこいつに好かれているのか分からない。ただまあ、悪い気はしない。星宮に好かれているみたいで……って何を俺はまた、こいつは星宮じゃない。星宮として見るのは虚しいだけだ。何よりこいつに対しても失礼だろう。


「だったら一時間早く来させるようにテレパシーで伝えればよかっただろ。俺を屋上に呼びつけた時みたいに」

「……だってその時の琉倭、怒ってたから」


 昼間とは打って変わったしおらしい態度で俺に言う。まあ、俺のことをこうしてずっと待っている時点でしおらしい女なのだが、それはそれで調子が狂う。


「それは授業中だったからな。でもそれ以外の時間は別に暇だから気にかけずに申し付ければいい。言ったろ、好きに使えって」

「ん~~~、琉倭、大好きっ!」


 無邪気な笑顔で俺の肩に手を回しながら抱きついてくる。無邪気さとは正反対に邪気のある一対の柔らかいものがジャンパー越しとはいえ、伝わってくる。相変わらずのでかさと柔らかさに多情多感な十六歳の俺は――■■しそうになってヘレナを引き剥がした。


「もういいだろ、早く街を巡回するぞ」

「ええ!」


 公園から出て、闇に沈んだ街を歩く。隣を歩いているヘレナは紅い眼を輝かせながら周囲を見渡しているようだが特に気にかかるような気配は感じないらしい。じゃあ、気にかかっているのは俺だけなのか。この通りには大勢の人間が殺し合ってできた赤い惨状が見えないだけで色濃く残っている。


「ねえ琉倭、もしかして亡くなった人とかって元に戻してあげた方がいいのかしら?」

「え」

「いやさぁ、悪霊化になるのを防ぐために私の冥界で遺体を保護して魂を浄化させていたわけだけど、遺族の中にはきっと行方不明になっている人に会いたい人もいるだろうから」

「……まあ、会えても死んでいたら悲しむだろうけど、会えないままはずっと苦しいままだからな……」

「そう、じゃあ元に戻すわね」


 言うと、何処からか風が吹き上がった。ヘレナの白髪が舞い上がり、徐々に煌びやかに輝きだした。明らかに何かをしようとしているヘレナを俺は慌てて引き留めた。


「ちょっ、ちょっと待て、夜とはいえ、まだ人通りがある時間帯だ。やるならもっと遅い時間になってからだろ」

「んー、ま……それもそうね」


 納得したのか、何かが起ころうとしている予兆は鳴りを潜めた。ほんと躊躇がないというかおっかないというか。狼狽えている俺を余所に駅の方へとヘレナは歩を進める。俺もその後をついていく。


「お前、いつもこんな風に夜を巡回してるのか」

「ええ、鉢合わせた悪霊や死魔を片っ端からやっつけていく感じよ。自由気ままにね」

「そ、そうか。お前らしいな」

「あ、そだ。学校では何か異変はあったのかしら?」

「いや特になかったよ……お前だって一応学校には来てただろ。異変があればお前が一番気付いているんじゃないのか」

「まあそうね。確かに気にするほどの霊力は感じなかったわ」

「あー、でも気になることはあったな」

「へえ、なにかしら」

「もう解決した話だけど、クラスメイトの奴が失踪したんだ」

「ふ~ん、その失踪の原因に霊的存在が噛んでいたって感じ?」

「まあ、神隠しみたいなものだ」

「神隠しね……。でも、そのクラスメイトは見つかったのでしょ」

「ああ」

「じゃあたぶんそれは霊的な存在による仕業ではなくて、霊的な現象に偶々巻き込まれたんじゃないかしら」

「巻き込まれた?」

「ええ、可能性としては二つね。一つは空間の歪み。普通の人間が暮らしている空間にも裂け目のような歪みはあって、不思議な空間が生まれたりその中に入ってしまったりすると、全然違う空間や時代に飛ばされたりするのよ。そして二つ目が細胞の消失。細胞が消えるっていうのは、負の念や悪い念が、ものすごく濃厚なところに踏み入れた瞬間に、人間を構成している成分が一瞬にして分解されるようなことを言うの。世界の穴に落ちるって表現されることもある現象なんだけど、物理的に穴に落ちたとかじゃなくて、その人の存在が分解されて一瞬で消えるっていうようなケースね。大袈裟に例えるならそうね、マグマの中に氷の人形を入れたり、砂の人形に水をかけたらじわって溶けたりするみたいな感じよ」

「そんなことって……あんのかよ」


 流石に信じられないと思っているとヘレナと目が合った。彼女は不機嫌そうに紅い目を細めて言う。


「なによ、冥界の女神である私が言っていることが信じられないって言うの?」

「別にお前のことを信じていないわけじゃないけど、こういうのは自分の眼で確かめないと信じるにも信じられない」


 正直に言うと、ヘレナは顔を逸らしてそのまま歩き始めた。


「いいわ、どうせ後で魅せることになるのだし……でも失踪したその子は何処で消えて、何処で見つかったのかしら?」

「具体的には分からないけど、下校途中……たぶん学校の最寄り駅だから堤ヶ原駅周辺でいなくなって……見つかったのは小川の廃ビル地下駐車場だな。駅からだと三キロぐらい離れた場所にあるな」

「そう、その子が見つかるまでに要した時間はどれくらいかしら?」

「土曜の昼にいなくなって日曜の夜に見つかったらしいから一日以上は経っているんじゃないか」

「その子はどんな状態で見つかったのかしら?」

「どんな状態って……眠っていたらしいけど」

「それはおかしいわ。霊的な現象に巻き込まれたと言っても、一日以上、気を失っているなんて」

「何がおかしいんだよ。別におかしくないだろ。人間はお前が思っているよりも脆くか弱い生き物なんだよ」


 俺の反論に一瞬だけむっとしかけたヘレナだが、こちら側の意見を汲み取るように頷いた。


「まあそうね。単純にその可能性もあり得なくはないわね。……とりあえず、その小川の廃ビルマンションに行ってみるわよ」


 言って俺の手を握ってくる。冷たくて細長い女の手は何だかこそばゆい。なんで握ってきたのか、視線で語り掛けるとヘレナはふくれっ面をする。


「早く……」


 ああ、そういうことか。場所が分からないからそこまでエスコートしろってか。だったらそう言えよ、と口走りそうになったが、やめた。全くもって女心は分からない。


 とりあえず俺はヘレナを引き連れて不夜城めいた駅前に続く道とは反対の方向へ足を進めた。

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