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幽暗奇譚――死神遣いのノクターン――  作者: たけのこ
四章 シーサイド・イルネス
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4―2 鉢合わせ②

 屋敷に戻る道中、紅い和傘を差した美鈴がこちらに向かってくる。


「おかえり。良かった、沙月さまが無事に見つかって」

「ヘレナが俺と間違えて妹と鉢合わせたらしい。それで妹の頼みで半永久的に眠らせたみたいだ」

「そう、まあ、こちらとしてもその方が都合が良いけど、いつまでもそんな状態にはさせられないね」

「まあ、そうだな……」


 降りしきる雨が沙月の頬に流れる。何度も何度も拭ってもキリがない。とその煩わしい雨は頭上に翳された傘に遮られた。


「こんなに濡れてしまったらもう意味がないかもだけど」


 傘を手渡してきた美鈴の髪が濡れる。


「傘一つしかないんだろ。これじゃあお前も濡れちゃうぞ」

「いやぁ、面目ない。本当はね、もう一つ持って来たんだけど、さっき一夜に会って渡しちゃったんだよね」


 じんわりと濡れた前髪をかき上げながら言う美鈴はされど俺に傘を持たせて一人先に歩き始めてしまう。


「おい、いいのかよ」

「うん、いいよ。別にあろうとなかろうと私にはさして関係ないし」


 振り返った美鈴が雨に濡れることはなくて、微かに霊気を感じるのは霊力というオーラを身に纏うことで雨を受け流しているからだった。美鈴は前を向いて歩きだす。五、六歩、美鈴が進んだところで俺も歩き始めると、彼女は振り向くことなく訊いてきた。


「一夜となんかひと悶着あった?」

「何が?」

「何がって……一夜もだけど夜月くんも殺気立っていたから、何かあったのかなって」

「別に何もないよ。というかあいつが殺気立っているのはいつものことだろ」

「あはは、そうだね、ならいいんだけどさ」


 雨の音が沈黙の間を埋める中、誰に話すわけもなく、俺は沙月を眺めながら口を開く。


「はあ、こうなるんだったら疎まれ役は俺だけで良かったんだ。他人のことを大切にしようとする奴が意に反して他人を傷つけて、悲惨な未来を強いられるのは納得いかない」

「へぇ~、納得いかないんだ。でも私は夜月くんを殺さずに済んで良かったなって思ってるよ」

「なんでそう思うんだ」

「えー、そうだね……君が悲壮感漂う美しい顔立ちをしているからかな」

「は? 何言ってんだ、お前」

「単純な話だよ。助けたい人が大勢いる中で全員を助けられないなら自ずと優先順位をつけるでしょって話」

「……」


 それは確かにそうかもしれない。見知らぬ人間を助けるくらいなら思い入れのある人間を選ぶのは当たり前だ。救える人間は限られて、誰かを救うということは誰かを切り捨てることだ。だからもし星宮と沙月、どちらか一人しか助けられない場面を迫られたのなら俺は少し葛藤するかもしれないが、結局好きになった女を選ぶんだろう。でも今一番大事な存在は妹である沙月だ。


「でも今はまだ二者択一をする場面じゃない。その時は一先ずヘレナ・シフォンティーヌが先延ばしにしてくれた。……もしまた会うことがあったら適当にお礼を言っといてくれる?」

「ああ、あいつとは今夜会うことになっているからついでに言っておく」

「ふーん、随分と仲がいいのね」

「そんなんじゃねえ、単なる成り行きだ」

「そう。まあ、とりあえず沙月さまが目覚めても大丈夫なように私たち霊媒師は引き続き沙月さまの容態を見守るよ」

「なんか対策でもあるのか」

「まあ、絶対的な怨念の根絶は無理な話だけど、除霊の儀式を毎日執り行って不浄なエネルギーとその気を少しずつ取り除いていくよ。地道にね」


 だから安心して、と屋敷の玄関前に辿り着いた美鈴は振り返った。穏やかな表情を浮かべていた。その顔を見て信頼できると思った俺は抱きかかえていた沙月を美鈴に預ける。


「沙月をよろしく頼む」

「ええ、私に任せなさい!」


 美鈴と別れた俺は七羅が寝ているであろう部屋へと向かった。流石にもう起きているんじゃないかと思ったがノックをしてドアを開けると彼女はまだ熟睡中だった。いつもこうなのか知らないが精神的な不安が影響しているのか、泥のように眠っている七羅の寝相は驚くほど豪快で、うつぶせの状態で縞々の青いパンツに包まれたお尻を突き出しながら眠っていた。流石にこんな格好の状態で起こせば変な誤解が生まれそうなので床に落ちている布団を拾い上げてそっと被せた。


「ん、んー、ん~」


 布団をかけ直さない方が良かったか、呻き声を上げる七羅を余所に俺が部屋を出ようとした時、彼女はダイナミックにベッドから転げ落ちた。


「痛っ―――――――――た~い!」

「おい、大丈夫かよ」

「あれ、琉倭さまが、いる……ってことは帰られたのですね、さ、沙月さまはっ、沙月さまはどうなさいましたかっ!?」

「落ち着けって。沙月は一応無事だから」

「本当に本当なんですね?」

「嘘言ってどうすんだよ」


 ぺたんと床に座り込んでいる七羅はぼさぼさぐるぐるになった髪を揺らしながら這いずって俺の腰に腕を回してきた。


「おま、なにして――」

「良かった、本当に良かった、琉倭さまも沙月さまも無事に帰ってきてくれて」

「約束しただろって、なに泣いてんだよ。そんな泣くことじゃないだろ」

「だって私にとってお二人は息子と娘みたいな存在ですから、帰ってこなかったら心配しますよ」

「そうか……よ」


 酷い寝ぐせになっている髪を梳くように撫でながら俺は言う。


「じゃあ、先に謝っておく。これから毎夜、俺は死神退治に外へ出る」

「死神退治……?」

「ああ」

「どうしてそれを琉倭さまが……それは霊媒師のお役目ではないのですか?」

「前に話したと思うけど、俺には好きな女がいたんだ。だけどその女は死神が仕組んだ悪虐に巻き込まれて今はもういない。俺は彼女を死に追いやった元凶である死神を赦すことができない」

「それは復讐をするってことですか?」

「ああ」

「……復讐をしても虚しいだけです、何も生まない、意味ないです」

「意味はあるよ。この憎しみは俺の生きる糧だ。彼女の死を無意味にしないためにも」

「でもそれは正しいことだとは思えません」

「じゃあ訊くが、目の前で大切な人を殺されても同じことが言えるのか、七羅は?」

「それは……」

「きっとこの感情は当事者にしか理解できないものだ。何より俺は俺自身のために復讐する」

「……琉倭さまがそこまで仰るのなら私はもう無理に引き留めはしません。ですがこれだけは約束してください。どうか死なないでください」

「死ぬわけないだろ。俺の身を案じながら待つくらいなら、今夜もまたいつもの散歩かくらいの面持ちでいてくれた方がお互い気が楽だろ」

「それはそうですね。琉倭さまは散歩、お好きですもんね」


 そう明るい声で言った七羅の表情は穏やかに見えたが、その瞳の奥に何とも言えない諦念のような翳りがあるのは否めなかった。

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