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幽暗奇譚――死神遣いのノクターン――  作者: たけのこ
三章 怨讐のシュラフ
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3―14 昼間の死神③

「わ、私だってね、あんなことしたくてしたんじゃないんだからっ! あれはあなたが寒そうに凍えていたからあっためてあげようと思ったのよ。勘違いも甚だしいわ」

「だったら初めからそういえばいいだろ。なに処女みたいに恥ずかしがってんだよ」

「ほんっとうるさいわね。あなたっていう人は人を見かけでしか判断できないの?」


 その新事実に俺は思わず声に出していた。


「え、何だお前、じゃあ処女なのか? その容姿と恰好で」


 口が滑って出た言葉にヘレナは口より先に手が出る子どもみたいに俺を地面に押し倒して、組み伏せた状態でぽかぽか頭を叩いてくる。


「痛っ、痛い、痛いって」


 ヘレナの暴行が収まると俺は頭を守っていた腕を下ろす。フードが翻って素顔が露になっていたヘレナは息を荒くしていた。


「ほんっっと、デリカシーがないわねっ! そうよ、私は処女。悪いっ?」

「いや、そうだったのか。てっきり痴……いや、何でもない」


 言おうとしてやめた。これ以上の発言は火に油を注ぐだけだ。思ったことは口にせず、心の中だけに留めておこう。と言ってもこいつには見透かされていそうな気がぷんぷんするんだが……といきなり胸倉を掴まれた。


「か、勘違いしないで。そういうことに関して無知なわけじゃないからっ。わ、私だってね、頻繁にはやらないけど、一人で慰めることくらい、経験があるんだからっ!」

「……え、あ、ああ」


 何を口走っているんだろうか、この女。こんなことを公言してしまうあたり、やっぱり痴女神じゃないか。こんな道の真ん中で、公開処刑にも程があるようなことを自ら打ち明けるなんて頭おかしいんじゃないかと思ってしまう。こいつの羞恥心のベクトルが全くもって分からない。


「お前、恥ずかしくないのか」

「恥ずかしくなんてないわよ。そんなことより私を経験のない初心な乙女だと見下したことの方が屈辱的よ」

「いや別に見下してなんかないんだが」

「うるさいっ!」


 またポンポン頭を叩いてくる。流石に平日とは言え人が行き交う道でこんなやり取りをしている場合ではない。軽く死ねるくらい恥ずかしい光景だ。事実、俺たちを避けながら歩く通行人はみな白い眼で見ている。


「おい、ヘレナ。周りをよく見てみろ。早く退かないとみんなお前のことを変な女だって勘違いするぞ」

「変な女って言うなっ!」


 ああ、もうどうすりゃいいんだよ。目の前で大きく揺れている胸でも鷲掴めば大人しくなったりするのかって俺の思考もおかしくなっている。


「はぁ、はぁ、はぁ。いい気味ね」

「は? 何がだ?」

「教えてあげる。周りの人間には私の存在が視えていないのよ」

「は?」

「きっと周りはあなたが一人で血迷ったことを喋って、狂った奇行に走っている不審者だと思っているはずよ。ふふふ」


 ヘレナは口に手を当てて俺の無様な痴態を見下ろしながら嘲笑する。


「ど~お? 少しは私の気持ちが分かったんじゃないかしら?」

「ああ、だから早くどけ」

「ふん、やだ」

「は?」

「この際だからもっと辱めてやるわ」

「ふざけんな! そんなことさせるか」


 もうこの女の弱点は把握済みだ。傍から見れば手を伸ばして指十本を事細かく動かしている変人にしか見えないが仕方ない。伸ばした腕をヘレナの脇腹に差し込みくすぐりにかかる。が彼女は即座に両手でガードした。


「ばかね、同じ手段が通じると思ったら大間違――」


 ヘレナはこれで万全よと勝ち誇ったような目をしているが、別にくすぐる場所はそこだけじゃない。こいつは色々と肌を露出し過ぎなんだ。俺は即座に無防備に晒されている太腿の先をぎゅっと握った。「ひっ」ヘレナの声が漏れる。そしてなぞるように内側へと触れるか触れないかの力加減でくすぐりを開始した。


「ひぃんあぁぁぁあ――やめ、それ無理っ! いや、んははは!」


 可愛らしく身体をのけ反らして、黒いスカートの中が丸見えになる。ノーブラだったから下の方も履いてないのではと思ったが、以外にも白いパンツだった。


「……」


 くそ、何やってるんだ俺は。こいつは星宮小夜じゃない、ヘレナ・シフォンティーヌという女だ、何なら人間じゃない冥府の女神、死神だ。髪や瞳の色だって、性格もルックスも違うのに、顔が少し似ているだけで、どうしてこんなにも俺の情欲を掻き立ててくる。


 駄目だ。これ以上は。歯止めが利かなくなる前にやめなくてはならない。それなのに俺の上で悶えるヘレナの身体を離せずにいる。もちろん、こいつから目が離せない。だが鼠径部の方まで手を伸ばそうとした時、明らかに周囲の目がヘレナの姿を認識し始めているのが何となく分かった。だって立ち止まっているのは男ばかりだったから。


 我に返った俺はすぐさまヘレナのしなやかな肢体に戯れていた手を離して、彼女の頭にフードを被せた。流石にこんなあられもない姿を見知らぬ人間に見せるわけにはいかない。


「おい、ヘレナ」

「な、何よ、はぁ、もうすごく……疲れた」

「なんでか知らないが、たぶんお前皆に知覚されてるぞ」

「誰のせいだと思ってんのよ、ばか……もう最悪」


 そそくさと立ち上がったヘレナはぷんぷんと独り歩きする。その姿を目で追う人間は誰もいない。通行人たちは見えていたものが見えなくなって驚いているようだった。俺も立ち上がり、ヘレナの後を追いかける。


「悪かったよ。ちょっと悪目立ちが過ぎた」

「ちょっとどころじゃないわよ、あんなことして。変態」

「ほんとごめん」


 返す言葉が見つからない。これじゃあ星宮を襲った時と何ら変わらない。


「……」


 一分弱の短くて長い沈黙が続いた時、前を歩いていたヘレナが俺の隣にやってきて彼女の手がそっと俺の頭に添えられた。


「……ちゃんと謝れるのはいいことね」


 慰められることに抵抗感があるのは否めないが、ヘレナなりの思いやりなんだろうと素直に受け止めて脱線した話を戻す。


「……その、話を戻してもいいか?」

「ええ」

「どうして沙月は眠らされているんだ?」

「そうね。事実を先に述べておくと今の私にはあなたの妹さんに蔓延る積怨を払拭することはできないってこと。それを承知の上で妹さんは私に頼み込んだ。人殺しにだけはなりたくないと。私的にも殺人衝動が原因で無関係の人間が命を落とすのは納得できないから彼女の誘いに乗ったってわけ。あのまま野放しにしていたらきっと彼女は夜を超えられなかったはずよ」

「……そうか。でもそれじゃあ沙月はいつ目を覚ますんだ?」

「覚まさないわ。自分が命を落としたところで根本的に問題は解決しないし、生きていたところで染みついた本能的な情欲には勝てなくなって殺人を犯す。それならずっと眠り続けていた方がいいと彼女は決めた」

「本当に、沙月がそんなこと言ったのか」

「なに? 私を疑っているの?」

「いいや、そういうわけじゃないけど」

「私なら永久の眠りに落ちるくらいならいっそのこと情欲のままに退魔師の生き残りすべてを滅ぼすくらいの勢いで暴れ回った方が清々しいと思わないってそう提案するわ。すべてを出し尽くして殺されればきっと後世にはそこまで影響はないはずだもの」

「でもその殺意や恨みが無関係の人間に向けられたらどうするんだ」

「あはは、面白い。やっぱり兄妹は同じようなことを考えるのね。もちろんそうなった時は私が誰一人も被害を出さずに殺してあげるわ。でもね、そう言ったら妹さんはたとえ憎い相手でも傷つけたくないって言ったの。……まるで聖女みたいな発言よね。だからこそその発言が私には信じられないの。呪いや恨み、憎しみを押し付けられて、それでも他人のことを思いやられる存在なんているとは思えないから。悪の情念を隠し通して偽って死なれることの方がずっと厄介だわ」


 ヘレナが言うことは至極当然のことだった。俺もそれには同意見だが、根本的に問題は解決していない。だが現状、どうしようもない問題は解決手段が見つかるまで事態を先延ばしにする他なかった。

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