3―6 工業跡地にて
「美鈴こそそんな恰好で、悪霊退治にでも来たのか?」
「うん、そうだよ~。最近、やたらと多く出没するようになって出番が多いのよね、全く困っちゃう困っちゃう。この場所も刀童家総動員の大掛かりな除霊儀式を行ったんだけど、半月も経ってまた湧いて出てくるなんて、ほんと、どうしちゃったのかしらね」
「ここは空襲の被害で廃墟になった工業跡地だろ、一度除霊したならここにいる地縛霊はもうきちんと成仏したんじゃないのか?」
「へえ、詳しい。そうだよ、綺麗さっぱりお祓いはした。だからこの通り、半月前に感じた霊感はない」
「ということは今現れた悪霊はまた別の霊ってわけか」
「ええ、地縛霊ではなく不成仏霊……でもおかしいんだよ、ここが霊が好き好む場所だってことは視ればすぐに判る。だからね、霊符を貼ってきちんと結界を張った」
「じゃあ結界が破られたのか」
「いいえ、破られていない。でも破られていないのに結界の中にはたくさんの悪霊がいた。あの霊たちはここから出られずに滞留していたの。これがどういう意味か分かる?」
「……。考えられることとしては……何者かが結界を破らずに結界内に侵入し、その中で霊を生み出したか、あるいは結界を破り他の霊を招き入れた後に、結界を修復したかの二つってところか?」
「まあ……そうなるよね。つまるところ、これは単なる悪霊の仕業ではないということ。前者にしても悪霊が悪霊を生み出す、作り出す、事例なんて存在しないし、後者に限っても刀童家総員十七名で編み出された高度な結界を破るどころか、それを修復させる時点で悪霊よりもはるかに上位な存在であることは間違いない」
「……悪霊の仕業じゃないとなると、死神の仕業か……」
俺の言葉を聞いた美鈴から朗らかな表情が消えて、針のように鋭い視線になる。
「あー、そういうこと。夜月くんに入れ知恵をしたのはあの死神女ってか」
彼女が死神という言葉に嫌悪感を示すということは何か個人的な恨みでもあるのか、それとも刀童家……霊媒師にとって何か因縁でもあるのだろうか。
「あの死神女ってヘレナ・シフォンティーヌのことを知ってるのか」
「あれでしょ、胸のあたりにばっか過剰な贅肉がついた包容力がありそうでまったくないおてんばの死神女、霊媒師なら誰だって彼女の名を一度くらいは聞いたことがあるよ」
ひどい言われようだが、概ね間違ってはいない。あいつ、今頃どこで何やってんだろうか。
「で夜月くんの霊力と霊感が強まっているのも彼女が原因ってわけね。何をされたか知らないけど、あまり彼女に関わらない方がいいと思うよ」
「別に関わりたくて関わってるんじゃない。これは俺の私情で動いているだけだ。それと別にあいつは死神なだけで悪い奴じゃない」
「私、悪い奴だなんて言った?」
「いや……言ってはないが」
「別に彼女に関しては問題視していないよ。でもね、関われば身の危険が高まるのも事実ってこと。これは忠告だよ」
「そうはどうも」
「まあ、夜月くんなら大丈夫か。……でもそうだね、夜月くんの言う通り、こんな所業ができるのは死神くらいかな。何が目的かは皆目見当がつかないけれど」
ヘレナが言っていた死神がどういう奴なのか、これがその死神の仕業なのかは分からないが、この街は着実にこの世界の異物によって暗雲が立ち込めている。いずれまた星宮みたいに何の罪もない人間が理不尽な死に遭うのは時間の問題だろう。
「ところで、地元のごろつきさえ立ち行かないこんな場所で何をしていたのかな?」
「単に散歩をしていたらひどい悪臭がしてそのニオイを辿っていたらここに迷い込んだだけだ」
「へえ、そうなんだぁ~」
「美鈴こそ悪霊退治はもう済んだのか?」
「外はあらかた片付けたよ。中の方はこれからだけど……まあ、この感じだと悪霊はもういなさそう。……でも今日の本題は単に悪霊退治じゃないの。昼間、相談者からの依頼があったことは知っているでしょ? 今こうして私が夜の街を巡回しているのは行方不明になった口無さんの息子さんを捜索するためなの」
口無……そんな珍しい苗字。たぶん、一人しかいない。
「口無の息子って、口無音のことか?」
「ひょっとしてクラスメイト?」
「ああ、話したことはないけど珍しい苗字だから覚えている」
「ふ~ん、ちょっと意外」
「何がだ」
「だって夜月くん、他人に関心がないでしょ」
「関心がないからってそれが名前を覚えていない理由になるのか。関心がないだけで観てはいる」
口無音は名前に似て無口であり、女性に間違われるくらい中性的な顔をした男子生徒である。大人しくて地味で控えめで、決して向こうから話すようなタイプではないが、話しかけられたら愛想よくきちんと答える奴であるため、俺から見た口無音は争いごとに巻き込まれるのが苦手で、他人に関心はないが他人に嫌われたくはない印象を受ける。
「確か、昨日は普通に学校に来てたと思うぞ」
「それは口無さんの母親から聞かされた通りだね。だから彼が行方不明になった時間帯は下校途中になる」
「そう考えると悪霊に攫われたんじゃなくて、単純に巷で騒がれている連続通り魔事件にでも巻き込まれたんじゃないのか。悪霊は昼間に活動しないらしいし」
「それは低級の悪霊に限った話だよ。もし昼間に幽霊が現れたなら近づかない方がいい。ここは霊媒師として知っている知識を少し教えてあげる。いい? 幽霊の持つ怨念の強さが強ければ強いほどその幽霊の危険度は増していくの。そしてなぜ幽霊は夜になると活発になり、昼になると姿を現さなくなるのか。それは地球の地磁気が深く関係していて、地磁気は夜よりも昼の方が強くなる。で幽霊を形作っているのは感情や思考の際に起こる電気信号が持つ磁気だと言われているの。つまり幽霊は地磁気が強い昼間だと磁気が乱されて姿を形作るのが難しくなるってわけ。だけど、怨念が強くなればその分電気信号が強くなって、発生する磁気も強力になる。だから昼間でも姿を現すことができる奴はとても強い怨念を持っていて、それだけ強く形作られた幽霊は普通の人間と見分けがつかなくなる場合も多いから厄介なんだよ」
「へえ、さすが霊媒師。あいつに比べて断然分かりやすい」
えっへん、と美鈴は胸を張った後、歩きながら話を続ける。
「確かに夜月くんの言う通り事件に巻き込まれた可能性も無きにしも非ず。でも口無さんの母親によれば、一応警察にも捜索願いを出しているみたいだけど、霊媒師である私に相談を持ち掛けてくる時点で彼女なりに不可解な点があったの。彼女は一度、下校途中の彼と会っている。その日は土曜日ってことで授業が午前中に終わるからその帰りに駅前で待ち合わせをして一緒に何処かで昼食を済ませるはずだったらしい。だけど息子の顔色がひどく青ざめていたことに気付いた母親は息子を行きつけの病院に連れて行こうと思ったらしい。そのことを息子に伝えようとした時、自分の目に強い陽射しが差し込んで思わず瞼を閉じてしまった。その一瞬のうちに息子がいなくなったって言うの。手の届くところにいたのに」
「まるで神隠しだな」
「そう、科学的にも物理的にも説明がつかない神隠しの相談♪」
美鈴はなぜか楽しそうに言って、闇に沈んだ工業跡地を後にする。
「なんでそんなにわくわくしてんだよ」
「え~、だって私霊媒師だもん。どこぞの名探偵だって犯罪が起こるとウキウキわくわくしてるでしょ?」
「どこぞのって……あー、眼鏡をかけた?」
「そう、警察だって犯人がいないと成り立たないし、正義を語るには対等な悪が必要でしょう? だから私という存在も悪い霊がいないといらなくなっちゃう。だから私という存在意義を高めてくれる霊を視ると私、すごく嬉しくて楽しくて、興奮しちゃう」
「そうかよ、それはよかったな」
何となく彼女が殺意を向けない理由がわかった。根本的に向けているものが違ったのだ。刀童美鈴、彼女が向けているものは好奇心と自己実現への欲求だけだ。彼女にとって悪霊という存在は自身の能力や才能を発揮できる要素でしかない。
「高揚しているところ申し訳ないが、もしこの神隠しが単なる誘拐事件だった場合、美鈴はどうするんだ?」
「どうもしないよ。へえ、そうだったんだぁ、で終わり。そこから先は警察の出番、私が出る幕じゃない」
美鈴は続けて言う。
「正直言うとね、口無音くんが死んでようが私にとってはどうでもいいの。私が興味あるのはまだ見ぬ悪霊、強ければ強いほど、燃えてくる。夜月くんだってそうでしょ?」
「は? 一緒にするな」
「あはっ、怒った? 怒らせちゃった?」
前のめりになって俺の顔を覗き見てくる。修験者の装いには相応しくないにやにや顔でにじり寄ってくる。その顔を俺は押し退ける。
「それよりも捜索はいいのかよ」
「あ~うん。長話してたら必要なくなっちゃった。もう見つかったらしいよ。私の随伴者からの伝達によれば、小川の廃ビル地下駐車場で眠っていたらしい」
意思の伝達手段……俗にいうテレパシーというやつも霊的な能力の一つなんだろう。どんな原理でテレパシーを可能にさせているのか、霊感の応用術なのか、おそらく彼女に向けている相手のエネルギーが、行動よりも先に届いている。そのエネルギーを「受けとる力」「察知する力」が彼女に備わっているからこそ「伝わっていることがわかる」というしくみなんだろう。
「見つかったなら良かったけど、どうしてそんなところで」
「さあ? とりあえず私は状況を確かめるためにも現場に向かう。夜月くんとはここでお別れだね、寄り道せず早く帰るんだよ? じゃーね」
元気よく手を振って颯爽と夜の闇へと去っていく。振り返らず曲がり角の向こう側に消えていくのを俺は見送った。それからして俺もその場を後にしようとした時、不意に背後が気になって振り返った。「……気のせいか」後ろに誰か、人のような気配がしたが、周りにはどこまでも深い深い闇だけが広がっていた。




