06 黄金の花が枯れるとき
06 黄金の花が枯れるとき
最初の収穫を迎えた日、ルーシーは王太子と並んで王家の農園を訪れた。
畑には、人の背丈を超える茎が並んでいた。大きな花はすでにうつむき、中心にびっしりと種をつけている。
「これほど採れるとはな」
王太子が、切り取られた花を覗き込んだ。
農園の管理人は、日に焼けた顔をほころばせた。
「一粒から、これだけの種が採れます。来年は栽培地を大きく広げられるでしょう」
「油のほうは?」
「お持ちしております」
差し出された瓶には、澄んだ黄色い油が入っていた。
ルーシーはそれを受け取り、光に透かした。
「綺麗……」
隣で王太子が笑った。
「君が見つけたんだ。もっと誇っていい」
ルーシーは瓶を両手で包んだ。
姉の机にあった紙には、確かに書いてあった。
種を乾かし、殻ごと砕いて圧力をかけること。採れた油を漉し、不純物を取り除くこと。
そのとおりに命じたら、油が採れた。
(何も難しいことはなかった。姉は図書館で、古い文字を一つずつ辞書で調べたのだろう。姉の背中が目に浮かぶ)
「お役に立てて、嬉しいですわ」
ルーシーが微笑むと、控えていた新聞記者が手帳に何かを書きつけた。
向陽草の油を使った自動車が王都の大通りを走ったのは、その年の冬だった。
沿道には人が集まり、窓から顔を出した王太子夫妻へ歓声を送った。
家畜の脂を使った燃料より安く、まとまった量を確保できる。
国外からも問い合わせが届いた。
採油場の建設が始まり、向陽草の種を求める領主たちが公爵家を訪れるようになった。
「種そのものを売り切ってしまってはいけません」
公爵は、応接室で帳簿を開いた。
「初めは栽培を委託し、収穫した種をこちらで買い取る。採油と販売はこちらで行うのです」
向かいの席で、王太子がうなずいた。
「王家の農園だけでは、注文に応えきれない。協力する領主には税の軽減を認めよう」
「それなら、皆も安心して向陽草に替えられますわね」
ルーシーが言うと、公爵は満足そうに娘を見た。
「お前のおかげだ。領地の者たちも喜んでいる」
公爵領に最初の採油場が完成した日、母は新しい首飾りをつけていた。
「これから忙しくなるわね、ルーシー」
「ええ。でも、私にできることなら」
工場の門前には、種を積んだ荷車が列を作っていた。
公爵家の紋章をつけた箱が次々と運び出される。
その光景を見ている間、ルーシーは姉のことを思い出さなかった。
二年目には、公爵領の小麦畑の半分が向陽草に替わった。
領地を視察した公爵は、道の両側に続く黄色い花を眺めた。
「今年の見込みは?」
「昨年の三倍ほどになるかと」
隣に座った家令が答えた。
「ただ、一部の村で、秋蒔きの小麦を残したいという者がおります」
「何故だ」
「食べるものまで買うようになっては不安だと」
公爵は眉を寄せた。
「小麦を作るより、向陽草を売ったほうが儲かる。数字を見せて説明しなさい」
「承知いたしました」
向陽草の代金で、小麦を買っても金が残る。
農民の家には新しい農具が入り、屋根が葺き替えられた。村の様相が変わった。
翌年には、残っていた小麦畑も黄色い花で埋まった。
王都へ入る荷馬車の積み荷も変わっていった。
国内の領地から届く穀物が減り、港から運ばれてくる外国産の小麦が増えた。
商人たちは、帰りの船に向陽草の油を積んだ。
港の倉庫が足りなくなり、新しい倉庫が建った。
王太子は議会で、燃料の輸出額が前年を大きく上回ったことを報告した。
拍手は、しばらく鳴りやまなかった。
四年目の秋、公爵領の収穫報告に、初めて減少を示す数字が載った。
「雨が少なかったそうです」
家令の説明に、公爵は窓の外を見た。
「隣の領地は、増えたと聞いているが」
「あちらは昨年から栽培を始めたばかりでございます。こちらの畑は、少々、力が落ちているのかもしれません」
「肥料は入れているのだろう」
「はい。来年は量を増やすよう、手配いたします」
翌春、畑には大量の堆肥が運び込まれた。
茎は伸びた。葉も大きくなった。
だが、秋に量った種の重さは、前年に届かなかった。
種は同じようにできるが、中身がないものが多かった。
「畑を休ませてはどうでしょう」
農園の管理人が申し出た。
「一部だけでも、別の作物に替えてみたいのです」
公爵は机に置かれた契約書を指で押さえた。
「今年納める油の量は、すでに決まっている」
「ですが、このままでは――」
「東の林を開きなさい。新しい土地なら採れるのだろう」
管理人は口を閉じた。
採油場を建てるために借りた金をまだ返している最中だ。
機械を止めても、返済の日は来る。
公爵領では林が伐られ、丘の斜面まで耕された。
新しい畑の収穫を加えると、その年の納入量はどうにか確保できた。
報告を聞いた公爵は、深く息を吐いた。
「ほら、やりようはあるではないか」
同じ頃、王宮には各地から相談が届いていた。
中身のない種が増えた。
採れる油が減った。
去年まで青かった畑に、芽の出ない場所がある。
王太子は報告書を読み、農政を担当する役人へ渡した。
「肥料の購入を支援しよう。開墾の申請も、早く通すように」
「殿下。栽培を減らすことも、お考えいただけませんか」
年配の役人が言った。
「何を根拠に?」
「長く栽培している土地ほど、収穫が落ちております。一度、調査を――」
「調査はしてくれ。ただし、栽培を止めるという話は広めないでほしい」
王太子は、別の書類を引き寄せた。
外国との燃料供給契約だった。
「今、油の輸出を減らせば、食料を買う金が足りなくなる」
役人は答えなかった。
国内で減った小麦の生産を、すぐに戻せるわけではなかった。
種麦の在庫も少ない。刈り入れの道具を手放し、向陽草を運ぶ荷車に買い替えた者もいた。
「まずは、今年を乗り切ることだ」
王太子はそう言って、支援策に署名した。
六年目の冬、公爵領の採油場で、操業を休む日ができた。
運び込まれる種が足りなかった。
機械のそばで働いていた者たちは、半分が帰された。残った者も、仕事のある日だけ呼ばれるようになった。
町のパン屋では、パンがひと回り小さくなって値上げされた。
「小麦が値上がりしているんです」
買いに来た女に、店主は言った。
「前と同じ大きさでは、この値段で売れません」
「油は、あんなに高く売れていたじゃないか」
「俺に言われても困るよ」
店の前で、女は財布の中を数え直した。
採油場で働く夫の賃金は、先月から減っていた。
「一時的なものなのでしょう?」
ルーシーは、食卓で夫に尋ねた。
王太子の前には、朝食の皿と一緒に書類が置かれていた。
「ああ。新しく開いた畑では、まだ採れている」
「では、そちらを増やせば」
「道から遠い。運ぶだけでも金がかかるんだ」
王太子はパンに手を伸ばしかけ、やめた。
「公爵にも、契約分を確実に納めてもらわなくてはならない」
「父は、努力しておりますわ」
「わかっている」
返事は短かった。
以前なら、向陽草の話をすれば夫は笑った。
今は、ルーシーが何か言うたびに、書類へ目を落とす。
「採油場の機械が悪いということはありませんの?」
「種そのものが減っている」
「でも、最初はあんなに……」
「だから、原因を調べさせているんだ」
七年目の秋、王宮の執務室に、財務官が呼ばれた。
「足りないというのは、どの程度だ」
王太子が尋ねた。
財務官は帳簿を開いた。
「今季の穀物購入費の支払額は、油の輸出代金を超えております」
王太子は顔色を変えた。
「外国の商会は、次の穀物については、代金の先払いを条件としてきました」
財務官は続けた。
「これまで取引してきた相手だぞ」
「支払いの遅れが目立ってきておりますので」
机の上には、油の出荷予定表があった。
予定の欄には数字が並んでいたが、出荷を終えた印は半分にもついていない。
「公爵領の収穫が回復すれば――」
扉が叩かれた。
入ってきた侍従は、王太子の顔を見て足を止めた。
「何だ」
「地方から、至急の報告が届いております」
「公爵領か」
「いいえ。西部三領の代官より」
王太子は差し出された封書を開いた。
収穫は見込みの四割。
農家に種を残させれば、採油場へ納める分がない。
冬の穀物を買うため、王家の支援を求める。
「西部もか」
つぶやくと、侍従は腕に抱えていた残りの封書を机に置いた。
「こちらは、北部からです。東部からも届いております」
王太子は次の封を切った。
向陽草を諦め、小麦を蒔いた畑の報告だった。
芽が出ない。
出ても育たず、根を掘ると細く短い。
畑を替えようにも、村の周囲には、何年も向陽草を植え続けた土地しか残っていない。
もう一通を開く。
同じことが書いてあった。
さらに一通。
種を買う金がない。
食料商人が、現金でなければ穀物を渡さない。
村を離れる者が出始めている。
王太子は封書の日付を確かめた。
どれも、この数日の間に書かれていた。
「……地図を」
声がかすれた。
侍従が壁際から地図を運び、机に広げた。
王太子は報告の届いた領地を、一つずつ指で押さえた。
西部。北部。東部。
公爵領から遠く離れた土地にも、同じ異変が起きていた。
財務官が、開いたままの帳簿へ目を落とした。
「殿下。この収穫量では、油の収入を計算し直さなくてはなりません」
王太子は答えなかった。
地図の上に置いた手を、動かせずにいた。
(公爵領を立て直せば済むと思っていた。一つの領地が不作でも、ほかから買えばよいと思っていた)
だが、その買う先から、食料を求める手紙が届いている。
「国内の穀物の備蓄は」
「至急、確認させます」
財務官が立ち上がった。
扉へ向かう背中を見ながら、王太子はようやく地図から手を離した。
机の端に積まれた報告書のうち、まだ半分は、封も切られていなかった。




