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精霊王の愛し子は愛する王を奇跡の雨で祝福する  作者: 櫻井金貨
第1部 前世

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第1話 わたくしはもういいのです

「おまえのような平民の孤児が、フロリアン様のおそばにいられると思うの? 身分違いもはなはだしいわ」


「あ……っ!」


 ほっそりとした体に、飾りのない白のワンピースを着た少女は、突き飛ばされて、干上がった川床へと倒れ込んだ。


 フローランド王国の生命線であるはずのセイル川は、王国に雨が降らなくなってからその流れを急激に失い、今では岩だらけの川床に細々と水が流れるまでに水流を減らしていた。


 白のワンピースの少女は起きあがろうとした時に、川床の岩で指先を切ってしまった。


 血のにじんだ指先で、乱れたピンク色の長い髪を肩から押しのけると、川岸に立って自分を見下ろす、豪華なドレス姿の少女を見つめる。


「ロ、ロクサーヌ様? どうして、こんなことを——」


「お黙り、オフィーリア。平民のおまえがわたくしの名前を呼ぶなんて、許さないわ」


 完璧に巻いた栗色の髪。

 はっきりとした顔だちは、緑色の瞳が強い印象を放っている。


 目の覚めるような青に金色の刺繍を施したドレスを身に付けた少女は、隣国コリーナ王国の王女ロクサーヌだった。


「精霊王に守られたフローランド王国……」


 ロクサーヌは歌うように言い放つ。


「もう十ヶ月も、雨がいっさい降らないそうね?」


 オフィーリアは川床で起き上がり、混乱した表情でロクサーヌを見上げる。


「あなた、精霊神殿の神官見習いなんでしょう? 精霊王様は何ておっしゃっているの? おかしいじゃない? あなた達が毎日お祈りしても、精霊王様は何もしてくださらないなんて」


 ロクサーヌはつややかな栗色をした頭を左にかしげる。


「それは——精霊王様は、きっと何かお考えがあって」

「いずれにせよ、あなたにはもう関係ないことよ」


 ロクサーヌはぴしゃりとオフィーリアの言葉をさえぎった。


「オフィーリア、このままどこかへ行っておしまい。フロリアン様の妃にふさわしいのは、このわたくしなの」


 ロクサーヌは足もとから小石を拾い上げると、大きく振りかぶった。


「!!」


 オフィーリアのスミレ色の瞳が驚きで大きく見開かれた。

 彼女はとっさに両腕を上げて頭をかばおうとする。


「おまえは雨を降らせることもできない。『精霊王の愛し子』なんて嘘に決まってる! フロリアン様に結婚してもらいたくて、そんな嘘を言っているのでしょう? 『精霊王の愛し子』なら大事にしてもらえると思って。おまえなんかに、フロリアン様は渡さないわ!!」


「オフィーリア!? ロクサーヌ、何をしているんだ!!」


 はっとしたロクサーヌは小石を手から落とした。


 野原で馬を止め、大きな岩を積み上げたセイル川の護岸を乗り越えて来たのは、まるで太陽のように明るい金髪をなびかせた、堂々とした物腰の青年だった。


(フロリアン様)


 セイル川の川床でオフィーリアはぎゅっと両手を握りしめた。


 それは誰もがほめたたえる美しい王太子。

 まばゆい金髪に群青色の瞳をしたフロリアンは、かつてはオフィーリアと何でも打ち明けあった、花が好きな優しい少年だった——。


『オフィーリア、もうこうして会うのを止めよう』


 ある日、フロリアンがそう言うまでは。


 つきり、とオフィーリアの胸が刃物で刺されたかのように痛む。

 今でも、こんなに胸が痛むのだ。


『理由はわかるだろう? 私は将来は国王となる王太子で……きみは神殿の神官見習いだ。大神官はきみが『精霊王の愛し子』だと言うけれど、それは本当だろうか? 雨を——』


 フロリアンは困ったように言葉をそこで止めた。

 しかし、言われなかった言葉は、オフィーリアにもすぐわかった。


『雨を降らせることもできないのに?』


 それは、フロリアンだけではなかった。

 精霊神殿の神官達。

 王宮を行き交う貴族達。

 町に暮らす平民の人々だって。


 ある者は声も高々に。

 ある者は声を潜めて。


 オフィーリアは、自分がそう噂されているのは知っていた。

 今まであえて言葉に出さなかったのは、優しいフロリアンの思いやりだったのだろうか?


 オフィーリアは細々と水が流れる川床に座り込んだまま、川岸を見上げた。


 川岸に立っているのは、まるで絵に描いたように、お似合いの一対である。

 フローランド王国王太子であるフロリアンと、隣国コリーナ王国の王女であるロクサーヌ。


 オフィーリアの珍しいピンク色の長い髪が風に乱され、顔にかかった。

 細い指先でそっと髪を払うと、深い悲しみの色が映った、スミレ色の瞳が現れた。


「フロリアン様」


 ロクサーヌが自信に満ちたしぐさで、フロリアンの腕を取った。


「あなたがあの娘を助けようとするなら、わたくしの母国からの援助はなしです」

「!!」


「このまま、行かせておやりなさい。命を()ろうというわけではないのよ。ただ、この国から出て行ってもらうだけ。どうせあの子はただの孤児。本当は、『精霊王の愛し子』ではないのでしょう? たしかに、ちょっとかわいい、珍しい外見をしているけれど——」


 そう言って、ロクサーヌが肩をすくめた時だった。

 オフィーリアは、ふと足先に冷たい水の流れを感じた。


 水。

 今、この国が何よりも欲しいもの。

 もう十ヶ月も、雨が降らない。


 このままでは井戸も枯れるのではと、誰もが恐れている。


『わが国は、精霊王様のご加護を受けた国ではなかったのか』

『何か精霊王様を怒らせることを、してしまったのではないか』


 人々の困惑と恐れは、『精霊王の愛し子』であるオフィーリアに向かった。


『精霊王の愛し子』のはずなのに、毎日祈っても、精霊王は雨を降らせてくれない。

 それは『精霊王の愛し子』に、何か悪いところがあるのではないか?


 本当に『精霊王の愛し子』なら、きっと雨を降らせてくれるはず——。


 オフィーリアは涙を必死でこらえながら口を開いた。


「もし……わたくしがこの国を出たら、ロクサーヌ様はフロリアン様と結婚できるのですか? そうしたら、ロクサーヌ様の国は、この国を援助してくださるのですか……?」


 オフィーリアの言葉を聞いて、ロクサーヌはまるで別人のように、優しく微笑んだ。


「そうよ。理解が早いじゃないの。わたくしがお父様に頼んで、この国が必要なだけ、水を供給してあげるわ。愛するフロリアン様のためですもの」


 ごう、とどこかで地鳴りのような、何かがとどろくような音がした。

 フロリアンが不思議そうに顔を上げる。


「何の音だ? おかしいな……オフィーリア、ともかく今は川から上がるんだ。何か嫌な気配がする——」


「——オフィーリアに手を差し伸べないで!!」


 フロリアンがオフィーリアに手を差し伸べようとした時、ロクサーヌが金切り声で叫んだ。

 フロリアンは震え、手を下ろす。


 その瞬間だった。

 ほとんど枯れていた川に、一気に水が満たされた。

 上流から流れてきたのではない。

 ただ、水がそこからあふれてきた、とでも言うような不可思議な水の動きだった。


 どん! と再び地鳴りがした。


 鉄砲水と言うのも生ぬるい、ごう音とともに大量の水が一気に湧き上がり、川幅を埋め始めた。


「きゃあ!!」


 地鳴りに悲鳴を上げたロクサーヌを、フロリアンは反射的に抱き寄せた。

 そのまま後退して、川から十分に距離を取る。


「フロリアン殿下!!」


 異変を見て、護衛騎士達も駆け寄ってきた。


「危険でございます!! 安全な高台まで、避難を!」

「待て……っ! オフィーリアが川にいるんだ。誰か、オフィーリアを助けてくれ!!」


 水かさはあっという間に増して、オフィーリアの体は完全に水に浮き上がった。

 しかし、オフィーリアは水から上がろうとする気配をいっさい見せていなかった。


「オフィーリア?」


 フロリアンの姿を認めたオフィーリアはかすかに微笑んだ。


「心配しないで」


 オフィーリアの声は、なぜか激しい水音の中でも、はっきりと聞こえた。



「わたくしはもういいのです」



「…………」


 しかし、オフィーリアが最後につぶやいた言葉は、水音にかき消され、フロリアンには届かなかった。


 やがて、ふわりとしたピンク色の髪が水面に広がり、オフィーリアは流され始めた。


 見えない力に運ばれるかのように、川の中央に寄せられ……。

 オフィーリアの体は、ゆっくりと沈んでいく。


 最後に、大きく見開かれたスミレ色の瞳はまるで鏡のように光り、柔らかなピンク色の髪はふわりと水面に広がったまま、オフィーリアは静かに水の中に消えて行った————。


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