第49話 聖都の光と、天から降る福音
王都神殿の大講堂を支配していたのは、数千人の信者が吐き出す、淀んだ熱気と絶望の匂いだった。
年に1度の「大施し」の日。神への忠誠を誓い、乏しい財産から魔石を献上してきた民衆に与えられたのは、泥水のような色の薄い粥と、石のように硬く味気ないパンの欠片だけだ。
「……これが神の慈悲だと? 冗談がすぎるな」
俺は、埼玉拠点のコタツの中で、マルチモニターに映し出される映像を眺めて呟いた。
左目のモノクル越しに脳内へ投影される神マケの半透明なインターフェースは、講堂内の温度、湿度、そして人々の心拍数までもが危険域に達していることを示している。
彼らの信仰心は、いまや空腹という名の限界点によって、脆くも崩れ去る寸前だった。
「高橋、座標の同期は完了している。……ここからは、物流による既存宗教の敵対的買収だ」
「了解。リオネルたちが誘導した信者たちの位置、固定されたわ。……さあ、異世界の連中に、日本の『本気』を見せてやりなさい」
俺はインカムを通じて合図を送る。
舞台上、沈黙を続けていたリオネル監査官が、突如として震える声で叫んだ。
「信徒たちよ、刮目せよ!! 我らが仕えてきたこの壁の向こうで、神の代理人を騙る者たちが何をしていたか、その目で確かめるのだ!!」
その叫びと同時に、俺は脳内の空間グリッドを操作し、舞台中央の座標を指定した。
「展開」
俺の意志に応じ、舞台袖に控えていた素体からレオンの分身体が実体化する。
巨躯を誇る黄金の騎士が、その【無限収納庫】から解き放ったのは、日本拠点で用意させていた屋外コンサート用の超高輝度LEDビジョンと、大出力のスタックスピーカー群だった。
ドォォォォォォォォン!!
空気を物理的に震わせる重低音が講堂に響き渡り、人々の心臓を強引に掴む。
それと同時に、高さ10メートルを超える巨大な光の壁が起動した。
闇に沈んでいた講堂が、現実の太陽すら凌駕する白熱の光に塗りつぶされる。
「な……なんだ、あの光の板は!? 目が、目が潰れる!!」
「奇跡か!? いや、神罰か!?」
パニックに陥る群衆の目の前で、LEDビジョンが「真実」を映し出した。
それは、斥候蜘蛛が潜入して記録した、神殿評議員ラグナの醜悪な日常だ。
画面には、信者たちが泥の粥を啜っているその裏で、ラグナが金貨の詰まった袋を笑いながら数え、滴るような肉汁にまみれた霜降り肉を頬張る姿が、4K画質の鮮明さで映し出されている。
神殿が独占してきた魔石が、どのように彼らの贅沢へと変換されていたのか。
その生々しい音声と、咀嚼の音までもが、逃げ場のない爆音と共に突きつけられた。
「見てください! これが、皆様が命を懸けて捧げた『祈り』の末路です!!」
セイルの叫びが講堂に響く。
だが、人々の怒りが頂点に達するよりも早く、俺は次の一手を打った。
脳内で大講堂のはるか上空、天井の梁が交差する1点の座標を確定させる。
「配送」
手元で人形サイズに圧縮されていたレオンの第2分身体が虚空へ消え、1瞬のラグもなく、10数メートル上空の梁の上に実体化した。
黄金の騎士が闇の中から現れ、講堂を見下ろす。その手には、何も持っていない。
だが、彼がその【無限収納庫】のゲートを全開にした瞬間、世界が変わった。
「これぞ! 我が主からの真の甘露なり!! 慈悲の雨を、その身に受け止めよ!!」
レオンの叫びと共に、空から「奇跡」が降り注いだ。
それは、雨ではない。
日本の製パン技術が産んだ、至高の菓子パンの奔流だ。
ふわふわとした純白の生地に、濃厚なカスタードが詰まったクリームパン。
芳醇なバターの香りと共に、たっぷりの粒あんが包まれたアンパン。
表面はカリッと香ばしく、中は驚くほど柔らかなメロンパン。
さらに、チョコレートでコーティングされたドーナツや、個包装された高級洋菓子が、宝石のように舞い落ちる。
人々は、パニックを忘れて、上空から降ってくるその「甘い福音」を奪い合うように受け止めた。
1人の男が、震える手で袋を引き裂き、白いパンを口に放り込む。
「あ……甘い……ッ!? なんだこれは、雲のように軽い……ッ!!」
咀嚼の必要さえないほどに柔らかな食感。
脳を直接揺さぶるような、純度の高い糖分と脂質の衝撃。
異世界の住人が一生かかっても味わうことのない、完成された「快感」が、彼らの味細胞を蹂躙した。
泥のような粥で誤魔化されてきた胃袋が、初めて本物の「豊かさ」を知り、歓喜に震える。
「脳が……脳が溶けるようだ! 本物の神は、我らを見捨てていなかったんだ!!」
1口食べた瞬間に、数千の忠誠心は、神殿の古い教義をゴミ箱に投げ捨てた。
映像で流される上層部への憎悪と、目の前にある圧倒的な快感。
それらが混ざり合い、民衆の目は「信者」から、九条のルールに従う「狂信的な顧客」へと変貌を遂げた。
その狂騒の真っ只中。
LEDビジョンの眩い光を背負い、1人の男が舞台の中央へと静かに歩み出た。
仕立ての良い黒いスーツ。冷徹なまでに事務的な表情。
1号――俺の分身が、スピーカーの重低音を切り裂くような、静かで通る声で告げた。
「皆様、お待たせいたしました。神々の市場・本店より派遣されました、エリア改善担当の九条です」
1号が恭しく一礼する。その背後では、巨大な画面にラグナが賄賂を受け取る決定的瞬間がループ再生され続けている。
「これより、この王都神殿の運営権を、我々ファントム・ロジスティクスが『買収』させていただきます。ご安心ください。今日からは、このポイントカードをお持ちの方全員に、毎日『奇跡』をデリバリーいたします」
2階のバルコニーから、顔を真っ赤にしたラグナが身を乗り出して叫んだ。
「ええい、黙れッ!! 貴様ら、そんな菓子一つで神を売るのか!? この愚民どもめ!!」
だが、その罵倒は、スピーカーの爆音と民衆の怒号にかき消された。
1号が、感情の起伏を一切排除した冷徹な声で追い打ちをかける。
「皆様、お手元のカードをご確認ください。指定の場所に魔石を置くだけでポイントが貯まり、次回のパンや、さらには『揚げたての唐揚げ』と交換できる機能を追加しました。……そして今、ラグナ評議員を『不良在庫』として1階の返品窓口まで運んでくれた方々には、ボーナスとして特大の生クリームケーキを支給いたします」
その瞬間、数千の「顧客」が、獲物を見つけた猛獣の目でラグナを見上げた。
「うおおおおおおおッ!! ラグナを捕まえろ!! ケーキだ! ケーキを持ってこい!!」
「ひっ、あ、やめろ! 来るな! 私は評議員……ぎゃあああああッ!!」
ラグナの悲鳴は、狂喜乱舞する群衆の足音に飲み込まれていった。
俺は司令室のコタツの中で、最後1口のポテチを飲み込み、満足げにホワイトボードを更新した。
《王都神殿:子会社化完了。澪の魂の評価額、さらに上昇中》
窓の外では、王都の空に、見たこともないほど眩いLEDの光が、新しい支配者の誕生を告げるように輝き続けていた。




