第3話 1000億の絶望と2億の保険
読み込み中の黒い渦。
その奥でチラついた、巨大な樹木のシルエット。
(……これが、検索結果?)
渦はやがて収束し、黒い背景に──
たった1行だけ、金色の文字が浮かび上がった。
《SSランク・アイテム:世界樹の魂雫》
「……こん、ずい?」
世界樹の、魂の、雫。
名前だけで分かる。
これはただの回復アイテムではない。
澪の症状は、肉体の損傷じゃない。
魂の迷子だ。
必要なのは「身体を治す薬」じゃない。
魂そのものに作用する、たったひとつの奇跡。
(……これだ)
震える意識で、詳細ページをタップする。
《価格:100,000,000,000クレジット》
「…………は?」
喉から、間抜けな音が漏れた。
桁がおかしい。
指が震えながら、ゼロを数え直す。
いち、じゅう、ひゃく、せん、まん……じゅうおく、ひゃくおく。
──1000億。
頭を殴られたみたいな衝撃で、思考が一瞬飛んだ。
3300万の借金ですら、現実感のない絶望額だ。
そこに、さらに1000億。
(ふざけてるだろ……)
俺が優良養分候補だからって、舐めすぎだ。
月80万の延命費を払い続けながら、3300万の借金を返す。
その上で、1000億?
ポケットからスマホを取り出し、電卓を起動する。
仮に、月100万稼いだとして──
1000億に到達するまで、10万ヶ月。
年に直して、約8333年。
(人類どころか、地球が先に死ぬな)
小杉の下で奴隷のように働いたって、
あいつが言った「10年か20年」どころの騒ぎじゃない。
──いや、違う。
問題はそこじゃない。
俺がこの、「常識的」なペースで稼いでいたら──
澪の心臓が止まる方が早い。
(……間に合わない)
ベッドに倒れ込む。
ギシリ、と安っぽいスプリングが軋む音が、やけに大きく響いた。
蛍光灯の白が、目に刺さる。
(ここで、計算を諦めるのか?)
ROIの鬼を名乗っておきながら、
計算する前に「詰み」を認めるのか。
(いや、待て)
(思考が飛躍しすぎだ。順番が違う)
俺の「最終目標」は、1000億。
だがその前に、「短期目標」として3300万の借金返済がある。
じゃあ、3300万を返して、クロノスから脱出したあと──
俺はどうなる?
(……詰むな)
俺のスキル【ワールド・デリバリー】は、どう考えても国家転覆級だ。
今は「スポンサー企業への債務奴隷」という隠れ蓑があるからこそ、ギリギリ見逃されている。
もし借金を返して、クロノスから解放されたら──
俺はその瞬間、「虚偽申告のSランク」として
国家の監視機関に即座にマークされる。
拘束。
尋問。
処分。
そうなれば、澪の延命費どころの話ではない。
(1000億の前に、まず──俺自身が生き残る保険がいる)
俺は神マケの検索窓に、もう一度意識を集中させた。
「隠蔽」
「不可視」
「Sランク」
エンター。
今度は、いくつかの商品がヒットした。
その中で、一番レビューが多く、価格がまだマシなもの。
《Sランクスキル福袋》
《価格:200,000,000クレジット》
《説明:Sランクスキルが1つ確定。中身は開けるまで不明。【完全隠蔽】【次元切断】などが報告されている》
(2億……)
喉が、かすかに鳴る。
これだ。
これが俺の「中期目標」。
国家の監視をすり抜け、
俺のスキルの存在そのものを消すための保険。
これを手に入れて、初めて──
俺は「1000億」に向かうスタートラインに立てる。
だが、その2億ですら、今の俺には遠すぎる数字だ。
3300万の借金を返し、さらに2億。
(……結局、詰んでるようにしか見えないな)
視界を閉じかけた、その瞬間。
さっき開いた「1000億」のアイテムページが、
ウィンドウの裏で、かすかに光った。
《レビュー(1)》
(……そういえば、レビューがあったな)
どうせ冷やかしだろう。
「買えねーよw」
とかいう、俺と同じ負け犬の書き込みか。
それでも──
俺の指は、何かに引き寄せられるように、そこをタップしていた。
万に一つ。
億に一つの「最適解」を、まだ探している自分がいる。
ページが切り替わる。
そこには、たった1行。
たった一言だけが、書き込まれていた。
《レビュー:取り戻せた》
「────ッ!」
胸が、ひっくり返った。
1000億。
2億。
3300万。
全部まとめて、脳内の絶望グラフが吹き飛ぶ。
全身の血が、一瞬で沸騰した。
(誰だ? 誰が、1000億を払った?)
(何を、取り戻した?)
家族か。
恋人か。
失った未来か。
あるいは──俺と同じ。
病院のベッドで、ただ「生かされて」いるだけの、
**魂の迷子**か。
(……どっちでもいい)
重要なのは、ただ二つ。
一つ。
100,000,000,000クレジットは、この世界のどこかの誰かが実際に届いた数字だということ。
二つ。
このアイテムの効果は、本物だということ。
それだけで充分だ。
電卓?
8333年?
そんな常識の計算、今すぐ捨てろ。
(そうだ。ここは、異世界のチートアイテムが流通する市場だ)
(なら──稼ぎ方も、異世界の常識でやればいい)
笑いが、喉の奥からこみ上げる。
最初は乾いた息みたいな笑いだった。
それが徐々に形を持ち、声になり、
気づけば、俺はベッドの上で狂ったように笑っていた。
安っぽい寮の壁に、俺の笑い声が反響する。
3300万の借金。
2億の保険。
1000億の奇跡。
(待ってろよ、澪)
病室の白い光を思い浮かべる。
あの日、お前だけが、俺を「信じて」くれた。
スキル無しで、何も持たない俺をだ。
(今度は、俺の番だ)
(俺が、最強の計算(ROI)で──お前を取り戻す)
視界に浮かぶ【神マケ】のウィンドウを睨みつける。
まずは、最初の1円。
……じゃない。
最初に必要なのは、「軍資金」だ。
(……小杉)
あの脂ぎった顔を、頭に思い浮かべる。
(お前の貯金箱、アテにさせてもらうぞ)
ベッドの軋む音と、蛍光灯の唸り。
その上から、俺の静かな笑いだけが、いつまでも部屋に残っていた。




