ニヤニヤ猫の独り言
「裏切り者」
ペティは繰り返し、その言葉を口の中で転がしました。初めて言われたはずなのに言われ慣れた言葉のように感じます。
目の前の扉はいぜんと閉まったままです。その扉をぼんやりと見ていると、さっき魚が言っていたことを思い出しました。
「女王様……」
ペティはアリサが読み聞かせてくれた本の内容に女王様が出てきたことを思い出しました。
『女王様は一番偉いのよ。そしてこの国のことを何でも知っているの』
「そうだ! 女王様に会いに行けばご主人がどこにいるかも分かるかもしれない」
ペティは公爵夫人の家から背を向けて駆け出しました。そして、森の中にまた飛び込みました。
「ご主人~ 待ってて下さい。ペティがすぐに迎えに行きますから」
しかしすぐにペティの足取りは重くなりました。女王様がどこにいるのか分からなかったからです。森に入らず舗装された道を走っていたなら、すぐに悪趣味なほど赤い城がすぐ見えたでしょう。しかしペティは森に入ってしまいました。森は木が鬱蒼としていて日の光がはいらず、驚くほど暗いのです。その場所からは空はおろか、城なんてものは見えません。
「女王様どこ?」
心細くなったペティは再び白く長い耳をペタリとたおしました。その時、急にどこからから目の前にフアフアと浮かぶ猫が現れました。
「迷子かい? 白ウサギにしては珍しいにゃ。あんたは女王様のためならどこへでも行き、そして女王様のもとへ帰る珍しい兎なのに」
ニタニタ笑う猫を横目にペティは考え込みます。首からかけている鍵をギュッと握りしめました。この鍵が道しるべをしてくれると信じるかのように。
「こんな所で迷ってたら駄目なのに」
「聞こえているかにゃ? どこに行きたいんだい? 知っているだろうがおれの役割は道案内なんだにゃ」
道案内という言葉に、ペティはピクリと耳を動かしました。
「女王様はどこ?」
ペティの言葉に、猫の顔からわざとらしいニヤニヤが消えました。そして心底憐れみをのせた視線をペティに投げかけます。
猫はその場で躯をくるりと翻すと、芝居がかった声を上げました。
「ああ、なんて憐れなウサギなんだ。あんなに狂っていたのに忘れるなんてにゃ。そんな不憫な君の道はこっちだ」
猫が尻尾を振ると、森の木々が波が引くように割れます。先ほどまで暗かったことが嘘のように明るい光が差し込みます。ペティは思わず目を閉じました。
そして次にペティが目を開けると、新しい道が開けていました。
しかし開けた道は二又になっており、その分かれ目に気がつくと猫の模様と同じマフラーをした男が立っています。その男は猫のようにニタニタしながら言いました。
「右側には帽子屋が住んでいる。それから左側にはウカレウサギが住んでいる。みんな狂ってるから、あんたも狂えるぞ。そしたら女王様への道を思い出すんじゃないかにゃ」
「僕は女王様の道を聞いたんだ」
ペティは目の前の男を睨み付けます。男は肩をすくめて笑みを深めました。
「ふふ、あんたが捜してるのはアリサちゃんじゃないのかい?」
「どうして…… ご主人の名前をお前が知ってるの」
久しぶりに聞いたご主人の名前に不安がよみがえります。どうしてこの男が名前を知っているのかの見当もつきません。
「どうしてって、おれはこの世界の事をよく知ってるからな。それに、ここで道を聞かれたんだにゃ。あんたの新しい主人は、今までの『〇〇』よりも活発だな。まるで昔の『〇〇』のようだにゃ」
男はペティにそれだけ言うと、体が透けていきます。顔とマフラーを残した男はニヤニヤを引っ込めると、真剣な顔で言いました。
「あんたはこの世界に戻ってこない方が良かったのかもな。狂ってるおれが言うことじゃないけどにゃ」
そして顔も消えました。
「待って! なんて言ったの? いやそれよりご主人はどっちに行ったの? 道案内を自称するなら最後まで案内してよ……」
ペティは男が立っていた場所をにらみます。しかし男は現れません。それどころかせっかく現れた道がどんどん狭くなっていきます。
「あっ、そういえば、言い忘れてた。君の主人は『帽子屋よりもウカレウサギの方が狂ってそうだわ。狂ってるのって楽しそう』だそうだにゃ」
ペティの後ろから聞こえたその声はあの男のものでした。それを理解した途端、ペティは走り出しました。
「まっててご主人! すぐに追いつくから」