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真夏の鎮魂歌(レクイエム)  作者: 司馬 雅


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第2部:材料集め

 第一章:疑わしきは蓋の中


その夜、営業を終えた「雅宗」のカウンターでは、布施との会話で僅かな希望を見出した春馬が、

座っていた。

「…というわけだ。俺の感覚は、気のせいじゃなかった。だが、証拠がないことには変わりねえ」

春馬の話を聞き終えた隼人は、腕を組み、静かに目を閉じていた。

「面白いじゃない」

沈黙を破ったのは、古海だった。彼女は、カウンターを丁寧に拭き上げながら、艶のある声で言った。

「完全密室に、鉄壁のアリバイ。そして、消える香り。まるで、上質なミステリー小説みたい。こういう謎解き、嫌いじゃないわよ」

隼人がようやく口を開いた。

「そうか、仲間が増えたのは心強いな….諒平!」と思い出した様に言った。

「例の件どうだった?」

「わかりましたよ」と得意げな顔で見せてきた。

彼のノートパソコンの画面には、膨大な情報が整理されて表示されていた。


「まずは、一つ目。特許の件です」

諒平は、画面を皆に見えるように向けた。

「天堂の『デジタル・フロンティア』と、金田の会社が争っていたのは、『指向性超音波技術』に関する特許です」

「シコウセイチョウオンパ…?」智仁が、眉をひそめて復唱する。

「簡単に言うと、特定の範囲にだけ、音を届ける技術です」諒平は、指で画面をなぞりながら説明した。「例えば、このカウンターにいる俺だけに、他の人には聞こえない音や会話を届けることができる。美術館の作品解説とか、特定の広告の前でだけ音を流すとか、そういう使い方が想定されてる。でも、この技術、まだ開発途上で、いくつかの大きな欠点があった」

「欠点?」

「ええ。一つは、超音波の出力を上げすぎると、人体に影響が出る可能性があること。特に、心臓に持病がある人間には、不整脈を誘発する危険性が指摘されていたそうです。そして、もう一つは…」

諒平は、そこで一度言葉を切り、意味ありげに隼人を見た。

「この超音波、特定の物質…特に、ある種の鉱物や結晶構造を持つものに当たると、反射・増幅される過程で、ごく微弱な熱と、人間にはほとんど聞こえない高周波のノイズを発生させることがあった。そのノイズが、一部の人間の嗅覚を刺激して、『金属が焼けるような匂い』や『薬草のような香り』として感じられる、という報告があったそうです」

その瞬間、カウンターの空気が変わった。春馬が、息を飲む。

「…匂い」

「あくまで、実験段階での偶発的な報告ですけどね」諒平は続けた。「そして、この技術の改良版の特許を、天堂の会社が金田の会社から、半ば強引に奪い取った。それが、今回の裁判のきっかけです」

「…なるほどな」隼人は、静かに頷いた。「技術も、使いようによっちゃ、立派な凶器になるってわけだ」


「そして、二つ目。ホテルの総料理長です」

諒平は、別のウィンドウを開いた。

そこには、コックコートを着た、人の良さそうな初老の男性の写真が映っていた。

「総料理長の名前は、坂巻さかまき吾郎。御年65歳。この道50年の大ベテランで、フランス料理の重鎮です。経歴は、非の打ち所がないくらいに華やか。フランスの三つ星レストランで弟と修行を積み、帰国後は、都内の有名ホテルを渡り歩いてきた。

彼の信条は、『食材への敬意と、客の舌を常に新鮮な驚きで満たすこと』。

彼の作るコース料理は、軽やかな前菜から始まり、魚、肉と、味の緩急をつけた構成で、客を飽きさせないと評判です」

「そんな料理人が…」春馬が、信じられないという顔で言う。

「あんな、味の殴り合いみたいなコースを作るのか?」

「そこなんですよ」諒平の目が、鋭く光る。

「坂巻料理長、実は、一ヶ月前に長年勤めたこのホテルを退職する予定だったんです。

しかし、なぜか急に退職を撤回し、今も厨房に立ち続けている。そして、もう一つ奇妙なことが。彼の、たった一人の娘さん…重い心臓病を患っていて、最近、海外での移植手術が決まったそうです。もちろん、手術には、億単位の金がかかる」

二つの、全く無関係に見えた調査報告。

それらが、一本の細い、しかし確かな糸で繋がり始めた。


 第二章:煮崩れしないアリバイ


二日後「大将!あのですね….ちょっと我々で調べたことがありまして!」

智仁がどや顔で言い出した。

「なんだ?」包丁研ぎながら隼人が聞いた

「何えばってんの!」グラス片手に諒平がからかう様に一口呑む

諒平と智仁、そして古海が集めた情報は、容疑者たちの完璧なアリバイの裏に隠された、生々しい人間関係を浮かび上がらせていった。

【調査報告①:副社長・西岡】

「西岡副社長、相当焦ってたみたいですよ」

諒平が、キーボードを叩きながら報告する。彼は、デジタル・フロンティア社の内部サーバーの「裏口」から、いくつかの消去されたメールデータを復元していた。

「天堂社長は、西岡を子会社へ左遷させるつもりだったようです。西岡は、それに気づいて、いくつかの取引先と秘密裏に接触し、新会社設立の準備を進めていた。天堂が生きていれば、彼は全てを失うところでした」

「動機としては、十分すぎるな」春馬が腕を組む。だが、函館での完璧なアリバイは崩せない。

【調査報告②:愛人・彩】

「天堂の愛人、彩…この女ただ者じゃないわね」

古海が、ススキノの情報網から得た話を披露する。

「彼女、銀座に来る前は、あちこちの街でパトロンを見つけては、大金を貢がせていたみたい。男を手玉に取る、天性の詐欺師よ。それに、最近彼女が親しくしていた若い男…これがまた、筋の悪い連中と繋がりがあるチンピラだった。金だけじゃなくもっと大きな何かを狙っていたとしても、おかしくないわね」

彩の動機もまた、金銭的な怨恨として十分すぎるほどだった。しかし、彼女が新千歳空港にいたという事実は動かせない。

【調査報告③:ライバル企業社長・金田】

「金田社長の方は、少し様子が違いますね」

智仁が、聞き込みで得た情報を報告する。彼は、消防士という立場を利用し、様々な会社の人間と自然に接触することができた。

「金田の会社は、特許を奪われたことで、確かに経営は火の車だったようです。でも、金田自身は、社員たちからものすごく慕われている。私財を投げ打ってでも、会社と社員を守ろうとしていた、って。彼が、自分の手を汚してまで天堂を殺すとは、ちょっと思えないんですよね…」

三者三様。誰もが怪しく、それでいて誰もが犯行不可能な状況。

「結局、振り出しか…」

春馬が、思わず弱音を吐いた。


第三章:米粒の中の塩


 翌朝春馬は、布施に頼み込み、非公式に、もう一度だけライオンズタワーの天堂の部屋に入る許可を得た。鑑識作業の忘れ物を取りに来た、という名目で。

部屋は、数日前と何も変わっていなかった。テーブルの上には、

鑑識がマーキングした「最後の晩餐」の痕跡が残っている。

飾ってある一枚の写真に目をやった。「一応撮っておくか」

隼人の言葉を思い出しながら、部屋の隅々まで、文字通り這いつくばるようにして見分した。

おぼしき場所はやはり何も出なかった。

「最…も関係なさそうな…所は?」

ふと、外を眺め「ベランダ?」

リビングに面した、広いベランダ。

警察の現場検証では、ほとんどノーマークだった場所だ。

「⁉」その隅、排水溝のすぐそばに、何かが擦れたような、ごく微かな傷跡が残っていた。そして、手すりの下側に、目を凝らさなければ分からないほどの、細い金属ワイヤーが引っかかっていたような、小さな痕跡。

(これは…何だ?)

春馬は、慎重にその痕跡を写真に撮り、スマートフォンで隼人に送った。

『隼人、見つけたかもしれん』


 第四章:銀座の影


札幌中央警察署、捜査本部。

数日前までの解散ムードは消え、刑事たちの間に、にわかな活気が戻っていた。

春馬が非公式に持ち帰った、ベランダの痕跡だ。

それは、具体的な証拠がないながらも、膠着した捜査を動かすに足る、唯一の熱量を帯びていた。

「――以上が、我々が立てた仮令説です」

春馬は、ホワイトボードの前に立ち、隼人の推理を基にした事件の再構築を説明していた。

屋上からの何らかの機材の搬入、そして、複数の共犯者の存在の可能性。

「だが、轟!」

古参の山村刑事が、声を荒らげる。

「容疑者全員に、鉄壁のアリバイがあるという事実はどうにもならん!憶測だけで、これ以上捜査を引っ掻き回すな!」

「しかし、現場には確かにおかしな点があったんです!」

春馬は食い下がるが、本部の刑事たちの反応は、依然として懐疑的だった。


その時、捜査本部のドアが静かに開き、一人の女性が入ってきた。

歳の頃は四十代前半。パリッとしたパンツスーツに身を包み、その整った顔立ちには、

一切の隙も感情も見られない。彼女が部屋に入った瞬間、それまでの騒がしさが嘘のように静まり返った。

「私が、本件の指揮を執ります。警視庁から来た、本郷ほんごうです」

その凛とした声は、部屋の隅々まで響き渡った。彼女こそ、警視庁でも「氷の女王」と恐れられる、

本郷静香管理官だった。

「なぜ、警視庁の、それも管理官自ら、こんな事件に…?」

山村刑事が、戸惑いの声を上げる。

本郷は、まっすぐに春馬のほうを見ると、静かに言った。

「轟巡査部長。あなたの報告にあった、天堂栄一の愛人・あや…彼女の身元を、我々も追っていました」

本郷は、持っていたファイルをテーブルの上に置いた。

「彼女の本名は、高村咲子。数年前、銀座で起きた大規模な詐欺事件の重要参考人です。複数の資産家や、ある大物政治家から、巧みな手口で億単位の金を引き出し、忽然と姿を消した。我々はその背後に、指定暴力団・関東誠明会の影があるとにらんでいます」

捜査本部に、緊張が走る。

ただの愛人だと思われていた女が、広域暴力団の絡む大事件に繋がっていたのだ。

「天堂は、おそらく彼女の新たなカモだったのでしょう。彼が持つ会社の金、そして『人脈』。それが、彼女と、その背後にいる組織の狙いだった。だが、天堂が何かを嗅ぎつけ、彼女を切ろうとした。だから、消された」

本郷は、ホワイトボードに書かれた容疑者たちの名前を、冷たい目で見つめた。

「我々は、これを単なる痴情のもつれや、社内抗争とは見ていません。関東誠明会が、邪魔になった天堂を消すために仕組んだ、組織的な殺人事件である可能性が高い、と判断しています。鉄壁のアリバイを用意することなど、彼らにとっては造作もないことでしょう」

本郷の言葉は、春馬が漠然と抱いていた「見えない大きな力」の存在に、具体的な輪郭を与えた。

「これより、本件の捜査指揮は、私が執る」

本郷は、全員を見渡し、冷徹に宣言した。

「轟巡査部長、あなたには引き続き、現場の指揮をお願いします。あなたのその、常識外れの『嗅覚』、気に入りました」

それは、事実上の、春馬への全権委任だった。

組織の中で孤立していた一匹狼の刑事は、東京から来た氷の女王という、

最強の武器を手に入れたのだ。

春馬は、本郷の鋭い視線を受け止めながら、固く拳を握りしめた。

事件は、札幌の密室殺人という小さな枠を大きく超え、日本の裏社会を揺るがす巨大な犯罪計画へと、

その姿を変えようとしていた。


第五章:寄せ鍋


捜査本部での慌ただしい一日が過ぎた夜。

春馬は、本郷管理官から「話がある」と、二人きりで呼び出された。

場所は道警本部に近い、静かなバーだった。

「轟巡査部長。その節は、世話になったわね」

以前、札幌、いや日本を揺るがせた警察官僚事件の際、本郷は単身札幌入りし、事件の捜査を指揮した。

「いえ、こちらこそ。管理官があの時、動いてくれたおかげで助かりました」

春馬が言うと、本郷は「今回も、あなたたちの力を借りることになりそうね」と、

珍しく弱音のような言葉を口にした。

「今回の事件、私が考えていたよりも根が深い。また、あの店の力を借りたいの。案内してもらえる?」

その申し出に、春馬は黙って頷いた。

東京から来た氷の女王が、あの路地裏の料理屋に再び助けを求めようとしている。

事件の尋常ではない大きさを、春馬は改めて感じていた。

春馬は、本郷を伴って、夜の闇に沈む「雅宗」の暖簾をくぐった。


店には、ちょうど片付けを終えた隼人と、古海がいた。

春馬の後に続く、見知らぬ女性の姿に、二人は少し驚いた顔をした。

「隼人、古海さん。紹介する。今回の合同捜査本部で指揮を執る、警視庁の本郷管理官だ」

春馬に紹介され、隼人は黙って頭を下げた。古海も、にこやかに会釈する。

「あなたが、雅宗隼人さんね」

本郷は、カウンターの中に立つ隼人に、まっすぐ向き合った。

「前回の事件では、あなたが重要な役割を果たしたと聞いているわ。会うのは初めてだけれど、礼を言うわ。ありがとう」

それは、儀礼的ではあったが、彼女にしては珍しい、率直な感謝の言葉だった。

「いえ。俺は、ただの料理人ですよ。友人が困っているのを、少し手伝っただけで」

隼人は、淡々と答える。

「面白いことを言うのね」

本郷は、隼人を値踏みするように、頭のてっぺんからつま先まで見つめた。

隼人もまた、その鋭い視線を、静かに受け止める。二人の間に、無言の火花が散った。

「管理官さん、どうぞこちらへ」

その緊張を解いたのは、古海の柔らかな声だった。彼女は、本郷をカウンターの席へといざなう。

「あなたが、今回の事件の最初の『違和感』に気づいた料理人…」

本郷は、カウンターに座ると、改めて隼人に向き合った。

「あの奇妙なコース料理の謎。そして、消えた香り。あなたの推理を聞かせてくれるかしら」

隼人は、多くを語らなかった。

ただ、自分が料理人として感じたこと、食材と調理法の流れから導き出した、

論理的でありながらも大胆な仮説を、淡々と説明した。


本郷は、腕を組み、黙ってその話に耳を傾けていた。彼女の表情は、氷のように変わらない。

隼人の話が終わると、彼女はしばらく目を閉じていたが、やがてゆっくりと口を開いた。

「…なるほど。科学的根拠は何もない。けれど、不思議と説得力がある。あなたのその推理、気に入ったわ」

彼女は、初めて、ほんの少しだけ口元を緩めたように見えた。

「轟。あなたの言う通り、この店は、ただの料理屋ではなさそうね」

本郷は、カウンターの中に立つ隼人、そしてその傍らで微笑む古海を見つめた。

「警察の捜査が行き詰まった時は、また、ここの『料理』を食べに来させてもらうわ」

それは、東京から来たエリート管理官が、路地裏の小さな店の「力」を認めた瞬間だった。

その時、静かに見守っていた諒平が口を開いた。

「春馬さん、頼まれてた件、少し見えてきましたよ」

諒平は、本郷の方に会釈しながら、ノートパソコンを開いて報告を始めた。

「彩…高村咲子の過去の足取りを追っていたんですが、彼女が関わった詐欺事件の被害者の中に、一人、奇妙な人物がいます。表向きはただの資産家ですが、その金の流れを追っていくと、関東誠明会ではなく、別の、もっと違う組織の影が見え隠れするんです」

「別の組織…?」春馬が問い返す。

「ええ。そして、その組織と、天堂社長のライバルだった金田社長の会社が、数年前に、ある取引をしていた記録を見つけました。あくまで、噂レベルですが…」

次々と明るみに出る、新たな繋がり。

事件は、関東誠明会という分かりやすい敵の裏で、さらに複雑な様相を見せ始めていた。

本郷は、その報告を聞きながら、静かに呟いた。

「…どうやら、この札幌の事件、私が考えていたよりも、ずっと根が深いようね」

氷の女王と、路地裏の料理人。

そして、カウンターに集う仲間たち。

公式と非公式、二つの捜査本部は、見えない糸で結ばれ、共に、巨大な闇の核心へと迫っていくことになる。


(第2部了)

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