プロローグ
雅宗隼人シリーズ第二弾
札幌、すすきのの路地裏に、その店は静かに佇む。
小料理屋「雅宗がしゅう」。
店主の名は、雅宗隼人。
白髪混じりの髪を結び、どこにでもいるの料理人。
しかし、彼が長年の経験で培ったのは、食材の味を見抜く舌だけではなかった。
人の心の機微を読み、嘘の匂いを嗅ぎ分ける、鋭い観察眼。
一人の刑事が持ち込む、警察が解き明かせない難事件。
常連客たちと共に、料理人は、今日も事件という名の厄介な食材を、
鮮やかに調理していく。
七月。札幌の短い夏がやって来た。
アスファルトの照り返しが厳しい大通りから一本入ったすすきのの路地裏は、
ビルの影が作る僅かな涼を求めて人々が行き交う。
その一角に、涼やかな藍色の暖簾を掲げるのが営む小料理屋「雅宗」だ。
昼時、店内は、外の暑さを忘れさせるクーラーの効いた室内と、客たちの活気で満ちていた。
「あいよ、おまちどうさん!豚の生姜焼き定食、ご飯大盛りね!」
白髪混じりの髪をきっちりと結びつけタオルを巻いた店主雅宗隼人の威勢のいい声が、
湯気の立つ厨房から飛ぶ。
カウンターの外では、パートの古海が、涼しげな笑顔で客の注文を取っていた。
年齢は五十代半ばのはずだが、その落ち着いた物腰と時折見せる色気は、彼女をこの店の「女将さん」だと信じて疑わない客も多い。
「お待ちのお客様、生姜焼きマヨありご飯小盛でよろしかったでしょうか?」
「ああ頼むよ」
「かしこまりました」
古海のそつのない接客が、店の回転を円滑にしている。
甘辛いタレの香りが食欲をそそる豚の生姜焼きは、この店の不動の一番人気メニューだった。
ランチのピークが過ぎ、やっと一息ついている午後一時半。
客足が途絶え、タオルで額の汗を拭った、その時だった。
カラン、と乾いた扉の音がした。
入口に立っていたのは、季節外れの熱気を纏ったような、くたびれたスーツ姿の大男。
北海道警捜査一課の刑事、轟春馬。
「あら、春さん。お疲れ様」
古海が柔らかな笑顔で迎えるが、春馬は「よう」と短く応えるだけ。
その顔には、夏の暑さとは質の違う、じっとりとした疲労感が滲んでいた。
「一番奥、空いてるわよ」
古海に促され、どかりとカウンターの一番端の席に腰を下ろした春馬は、
出された麦茶を一気に飲み干した。
「生姜焼き」
「マヨネーズはどうします?」
「……つけてくれ」
「かしこまり、生姜焼き、マヨあり1丁」
古海の言葉に、隼人が厨房の奥から顔を出す。
「あいよ!」
覇気のない顔、隼人と古海は、顔を見合わせた。この男が、好物のマヨネーズを頼むのに、
これほど力のない声を出すのは、よほどのことがあった証拠だ。
隼人は、黙って豚肉を鉄板に乗せた。ジューッという音と、醤油の焦げる香ばしい匂いが店内に広がる。熱々のご飯と、出汁の効いた味噌汁、そしてたっぷりのマヨネーズを添えた生姜焼きの皿が、
春馬の前に置かれた。
春馬は「すまねえな」と呟き、箸を手に取る。しかし、その動きはひどく緩慢だった。
生姜焼きを一切れ口に運び、ゆっくりと口を動かす。だが、その目はどこか虚空を見ていた。
半分ほど食べたところで、春馬は、ついに箸を置いた。
「隼人…」
その声は、ひどくかすれていた。
「また、お前の知恵を貸してくれ」
真剣な、というよりは、むしろ何かに追い詰められたようなその眼差しが、
夏の午後の気怠い空気を切り裂く。古海は、そっと春馬のグラスに新しい麦茶を注いだ。
隼人は、黙ってカウンターを拭いていた手を止めると、まっすぐに幼なじみの顔を見つめ返した。
「…今度は、どんな厄介ごとだ?」
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