第八十八 完
『薔薇の女神』、『黒薔薇の騎士』、『世界の英雄』、『叡智の化身』そして『破壊神』……ホルンベルガー公爵令嬢の異名は多岐にわたる。
あるときは海を荒らす海賊を叡智をもって殲滅し、あるときは道をふさぐ巨大モンスターを一撃で粉砕した。彼女に助けられた人々は女神と称え、悪しき者共はその恐ろしさから『破壊神』と忌避している。
ローザディア帝国の皇宮でそのうわさを耳にするヴォルフラム達は、苦笑しながらブリュンヒルデを称えた。
「さすがブリュンヒルデだな。彼女の存在はローザディア帝国だけでなく世界に救いをもたらす」
「同時に心を盗まれた王侯貴族も多数おりますね。ファーシャ王国の皇子、レン・ハン帝国の皇帝……レスガル王国なんてホルンベルガー嬢を誘拐しようとしましたからね」
エルンストがため息を吐く。もちろん、その誘拐劇は未遂に終わったどころか、レスガル王国の目玉観光地が半壊している。それ以降、彼女が危険にさらされることはなくなったが、代わりにモンスター退治の依頼が殺到した。
「レスガル王も今頃、胸と懐を痛めているだろうな。犯罪を目論んだから当然の報いだがな」
そう言いながらもヴォルフラムの笑みは力がない。
彼も未だ失恋から立ち直れていない。まさか薔薇祭りの前にローザディア帝国を離れるとは夢にも思わなかった。知らせを聞いて呆然とするヴォルフラム達に母である皇后はさらに追い打ちをかける。
『かつてあなた方が彼女にした仕打ちを思い出しなさい。あなた方の好感度はマイナスだったのですよ。そこからどれだけ距離が縮まろうが、第一印象は中々覆りません。ホルンベルガー嬢から好意を向けてもらえるように精進なさい!!』
皇后が息子たちに厳しいのも理由がある。
というのも、かつてブリュンヒルデと交わした言葉が皇后の罪悪感をかき立てるからである。
以前、ヴォルフラムとの婚約解消の件で皇后はブリュンヒルデに条件を突き付けていた。
『あなたが国母を望むのであれば、その刻印に相応しい女性になりなさい。そしてヴォルフラムに指輪を付けてもらうのです』
今思い返さば穴があったら入りたいくらい恥ずかしい言葉だ。甘言に惑わされ、彼女の本質を見抜けずにいた自分たちは逆に彼女に相応しくない。ブリュンヒルデが国外逃亡したくなるのも頷けるのである。
ヴォルラムたちは反論することもなく、粛々と皇后の叱責を受けた。そして、ブリュンヒルデが戻りたくなるような国を作ろうと決意し、勉学や公務に励み始めたのだ。
さらに、ブリュンヒルデを国を挙げて称えるために、彼女の考案した『ポテチ』と『コーラ』を食す『芋祭り』を同時開催することを決めた。
こうして『ポテチ』はローザディア帝国の名物になったのである。
また、『薔薇の乙女』であるクララもブリュンヒルデに良い報告ができるようにと、薔薇の温室で花を一生懸命育てている。彼女の能力は素晴らしいものがあるが、幸か不幸かブリュンヒルデの功績の影にすっぽり隠れてしまい、どこからも横やりが入ることなく、趣味に没頭してヘルモルトと仲睦まじく過ごしている。ただし、友達以上の恋人未満なので周囲から「いい加減にくっつけ」と思われている。
なお、諸悪の根源、ユリアは『薔薇祭り』の恩赦で自由の身になっていた。しかし、外に一歩出ればブリュンヒルデを称える声ばかりが聞こえ、その度にユリアは何度も憤死しそうになるので監獄にいた方が幸せだったと空に嘆くのである。
月日は流れ、当時を知るものが一人としていなくなるころ、『薔薇祭り』の代わりに『芋祭り』が毎年開催され、人々の大量のイモとコーラが消費される日となった。
これは、一人の少女の『復讐』の物語である。
『世界を破壊して欲しい。薔薇祭りなどいらない。薔薇の騎士などいらない。薔薇の乙女などない世界を!』
それが皇太子だけを愛し、地獄に落とされた公爵令嬢が望んだことだった。そして、地獄の王は自分の妻となる条件で願いを聞き入れ、世界を破壊しうる魂を異世界から招き、この世界を再始動したのである。
その魂こそ、根本まで腐りきった筋金入りの腐女子だった。そのため、少女の想像とは違う形で当初の願いは叶えられてしまったのだ。
地獄の王宮、玉座の間にて王は何とも言えない顔で妻となった公爵令嬢に伺いを立てた。
「と、とりあえず薔薇祭りはなくなったが……どうする?」
世界を映す大きな鏡には、揚げたてのじゃがいもをむさぼり食い、コーラを瓶のまま飲む人々が映る。実に楽しそうだ。
薔薇祭りのようなロマンチックさや華やかさはないが、同じくらいのにぎやかさがあって楽しそうである。
ブリュンヒルデも地獄の王と同じように何とも言えない顔になった。だが、特に不満はない。
なにしろ、にっくきヴォルフラム達は恋が実らないまま天寿を全うし、『わたくしと同じように報われない恋に苦しむといいわ』という願いも叶えられている。しかも、途中から憐れみを感じるくらいに不憫だった。
また、薔薇の乙女が覚醒すれば、その功績でヴォルフラムと結婚し、あの男の恋が叶ってしまうかもと危惧して獣をけしかけたこともあったのだが、全くの無駄だった。
地獄の王に無理を言った苦労も水の泡どころか、そもそも無用の苦労である。
おそらく、この肩透かしの感覚がわかるのはユリアだけだろう。
はじめこそ、不幸を願っていたが、いくら頑張っても努力が報われない有り様に嘲笑を通り越して涙を禁じ得なかった。自分と同じくらいプライドの高い彼女にとってあれはかなり堪えただろう。
しみじみとそれまでのことを思い返し、本物のブリュンヒルデはくすりと笑う。
「王よ。わたくしは満足しましたわ。この世界はこのままにいたしましょう」
「そうか、そなたがそう言うならこれにて世界への干渉はやめるとしよう」
王は愛しい妻が喜ぶのを見て嬉しそうにほほ笑んだ。
彼はどこまでも妻、ブリュンヒルデを愛しており、優しくて頼りがいのある王に愛され、ブリュンヒルデはとても幸せである。
なお、世界の破壊を目論んだブリュンヒルデだが、彼女が知らない事実が一つある。
魔獣は『薔薇祭り』が原因で起こる。
薔薇祭りの日は愛の告白に使われるの日なのだが、同時に失恋者が大量に発生する。そして恋に破れた人々の怨嗟が蓄積し、約千年かけて魔獣へと成り代わるのだ。
一方、薔薇の乙女は恋が成就した人々の思いが加護となって緑の目の少女に宿るのである。すなわち、怨嗟の力が強ければいくら薔薇の乙女でも魔獣を蹴散らすことはできない。
ブリュンヒルデが破壊を願ったことで、この世界は恒久的に平和となったのだ。
地獄の王はこれ以上ブリュンヒルデを憎しみに染めたくないためにこのことを言い出せなかったが、後日それを知ったブリュンヒルデは大笑いするだけだった。
王に愛され続け、荒んだ心がすっかり落ち着いた彼女にとって、かつての世界のことなどどうでもよくなっていたのである。
むしろ、幸せを願う余裕すらあり、彼女は笑顔でこう言った。
芋祭りに栄光あれ。
と。
誤字報告ありがとうございます。
大長編にもかかわらず、読んで下さったあなたに感謝致します。
2024年1月某日