02
簡単な支度をしてから、彼女に連れられて到着したのは下地区の南西にある一角だった。
結構目立つ建物だ。なにせ壁が朱い。
ただ、途中から周囲の音が完全に途絶えたうえ、誰とも出くわさなかったところからして、知る人ぞ知るというか、許可された人間だけが足を踏み入れる事が出来る場所なんだろう。
その店のドアを、リッセは勢いよく開けた。
ステージにするためか中央に大きなスペースを取り、その周りをテーブルと椅子で囲んだ店内。
奥にはカウンターがあり、そこの壁には大量のお酒が入った棚が設置されている。左手には階段があり、脇にはトイレがあった。前の店より蛍光色の照明が明るい。そんな中でも特に汚れは見当たらず、全体的に清潔な印象だった。
「遅いぞ、リッセ!」
「ちょっと知り合い呼んでたのよ」
「知り合い……?」
俺とミーアの二人に、適当な感じで席に着いていた人たちの視線が集中する。
全部で九人だ。ここに来るまでに皆が参加するわけでもないと言っていたので、他にもいるんだろうけど、そのうちの二人ほどが顔見知りだったことには少し驚いた。
無口で当たり強めな方の門番と、ミーアの国の硬貨を買い取ってくれた店主。俺たちがこの街に訪れたその日に出会った二人だ。
「……まあ、お前のやる事になら、文句はないが」
こちらへの視線をリッセに向けて、門番が言う。
「それより、儂は腹が減ったぞ。この時の為に昼を抜いてきたんだからな。今日は食うぞぉ。倒れるまでくってやる、ははは!」
と、お腹の出ている中年の男性が豪快に笑った。身なりからして、儲かっている商人って感じだろうか。
あとの六人も、ワイシャツ一枚しか着てないように見える裸足の少女に、育ちの良さそうな少年、凄腕の冒険者にみえる三十半ばくらいの男女に、顔面中に刺青をいれたスキンヘッドの女性、そして妙に居心地が悪そうにしている眼鏡をかけた少女と、なかなかバラエティーに富んでいた。
「時間掛かる奴は下準備済ませてあるから、少し待つだけで済むわよ。――ラウ! そっちの方は任せても大丈夫よね?」
「問題ない」
カウンターの奥にあるドアの方から、静かなのにやけに明瞭な声が返ってくる。
「じゃあ、あたしは今からお手軽に作れるやつを、この料理下手に披露するから。それが出来るまでに出しといてよ? じゃないと、肥満オヤジの腹がうるさい事になりそうだしね」
「それは急いだ方が良さそうだな」
「なに、少しくらいは我慢できるさ。先に酒を飲んでて良いのなら、だがな」
と、肥満オヤジさんは目の前のテーブルに置かれていた空のグラスを手に取って言った。
「そっちの枠に入ってる安物なら、好きにしていいわ。……他の奴等もね」
「許可が出た事だし、さっそく飲ませてもらおう」
「ええ、そうしましょうか」
左側のテーブル席にいた冒険者風の男女が穏やかな調子で言って、酒の入っている棚の元に向かう。その背中に、肥満オヤジさんが声を掛けた。
「その前に、なんか曲流してくれないか? そうだな、騒々しいのが良いな。リッセも文句ないだろう?」
「お好きにどうぞ。……ほらほら、ぼけっとしないで行くわよ? きりきり歩く!」
「え、ちょっと――」
おもむろにミーアの手首を掴んで、リッセはずんずんとカウンターの奥に消えていった。
それに合わせるように、店内に音楽が流れ始める。
視線をそちらに向けると、左手の壁に設置されていた台の上の、カラフルなルービックキューブみたいなやつを、女性の方が、こんこん、と指で叩いているところが目に入ってきた。
「あら? なにか暗い感じですね。これじゃなかったかしら?」
「中身が変わってないなら、真上面の右下だ。最初に派手な音が飛び出るから、すぐに判る」
「……なるほど、確かにこれはわかりやすい。打楽器万歳ですね」
どうやら、ブロックごとに閉じ込められている音が異なる仕様らしい。これもラウの魔法によるものなんだろうか。正直、ちょっと欲しい代物だった。
「……君は、なにがいい?」
女性に任せて先にカウンターの方に向かっていた男性が、こちらに向けて訪ねてくる。
正直、お酒という存在はあまり好きじゃないんだけれど、まあ飲めないわけでもないし、こういう場で拒むのもあれだ。
「じゃあ、軽いものをお願いします」
「了解した。……水割りにしよう」
度数の高い酒しかなかったのか、少し間をおいてから彼は言った。
歓迎ムードとまではいかなくとも、こんな風に拒絶されているわけではないのを示してくれるのは、ありがたいものだ。
その空気に甘えて、俺は手近な席に腰かけた。
すると、肥満オヤジさんがこちらにやってきて、ドスンと隣の席に腰を下ろし、
「そういえばお前さん、あの二枚舌女にも絡まれていたんだって?」
「二枚舌……?」
「ヴァネッサ・ガルドアンクだよ。どういう印象をもったのかは知らないが、あいつの言葉は鵜呑みにしない方が良いぞ。あれは魔女だ。あそこの幹部連中は全員、その毒に中てられて狂ってるしな。俯瞰で見てみればよくわかる。かなり嫌な感じだ。その点、うちの大将は判りやすい。あぁ、莫迦って言ってるんじゃないぞ? 本質が単純で信用できるって言ってるんだ。だから、もしどこかにつくなら、うちが良い」
「その大将が仲間にする気のない子を勧誘するな。がめついぞ?」
二つ奥のテーブルで頬杖をついていた刺青の女性が、こちらに視線を向けることなく、淡々とした調子で言った。
「それの何が悪い? 他人に遠慮なんてして生きていても愉しくないだけだろうが」
「奥さんの前でも同じ事が言えたのなら、格好いいんですけどね」
と、曲をかけ終えてこちらに戻ってきた女性が可笑しそうに言う。
「ははは! そんな事が出来れば苦労はしない! それに、何者にだって天敵は必要だろう? その方が愉しい。脅威とは刺激だよ。自らを錆びつかせない油のようなものでもある」
「……あ、油は、もう十分足りてると、お、お、思うけど」
ぼそぼそと眼鏡をかけた子が呟き、一人で、くふ、くふふ、とわらいだした。
なかなかに失礼な発言だが、肥満オヤジさんはむしろ自慢げに自分のお腹をさすりながら、
「なんだ、羨ましいのか? だが分けてはやれんぞ? それが出来るのなら、面白かったのかもしれんがな」
と、少女の控えめな胸をじっくり見ながら言い返した。
結果、見事なカウンターを喰らった少女は「そ、そそそ、そんな事、あ、ああ、貴方、なん、なん、なんてこと言う、し、信じ、られない……!」と凄まじいばかりの動揺を見せていたけれど、そこに刺青の女性がやってきて、少女の前に置かれていたグラスに透明な液体を顕した。魔法を使ったのだ。
「軟水で良かったよな?」
「え? え、ええ……うん、あ、あぁ、ええ、と…………あ、ありがと」
どもりながら少女は感謝の言葉をならべ、刺青の女性はその強面な外見とは裏腹な穏やかな微笑を返す。
そうやって、険悪になりそうな空気を見事に回避したわけだ。
オヤジさんもそれ以上の攻勢に出ることはなく「ところで酒はまだか? 喉が干からびてしまうぞ?」と、愉しげに催促を始める。
それらのやり取りからみて、なんだかんだ上手くやれている人達なんだろう。
不自然に仲良しをやってるわけでもなく、ギスギスしているわけでもない……悪くない空気感。
そんな感想を抱いたところで、結構な数の酒瓶を指と指の間に挟んでもっていた男性が全員の中間地点にあるテーブルにそれらを置いた。
「あとは自分で取りに来てくれよ」
反論はなく、全員がそこに向かう。
「水で割っても上手い酒はこれ。六、四が最適だ」
テーブルの前についたところで、逆さにしたグラスを被った瓶を差し出された。
それを受け取ったところで、瓶の中身に変化が生じる。紫色だったものが、じわじわと濃い青色に変わっていったのだ。その際、うっすらと魔力も感じた。刺青の女性の魔力だ。
どうやら、六、四というのは俺じゃなくて彼女に向けた言葉だったらしい。
「ありがとうございます」
感謝を伝えつつ、他の皆の行動に合わせて瓶の蓋をあけて、グラスに半分ほど液体をそそぐ。
……甘い匂い。これは飲みやすそうだ。
「さて、では全員に飲み物が行き届いたところで……そうだな、つまらない仕事の成功と、新たな知人との出会いに、乾杯」
オヤジさんがグラスを高く上げて、音頭を取る。
それに合わせて、
「「乾杯!」」
と、俺もまたグラスを掲げて、宴は始まった。
§
それから、どれくらいの時間が経過しただろうか。
俺は懐中時計を取りだして時刻を確認して……まあ、二時間もあれば出来上がる人は出来上がるよなぁと、最初の頃は澄まし顔をしてチビチビと飲んでいた隣のミーアを横目に見ながら、ちょっと痒かった首筋に人差し指の爪を立てた。
「大体、貴女はレニさまに馴れ馴れし過ぎるんですよ? 一緒に暮らしている私だって、色々気を遣ってるっていうのにぃ。これだから無神経な人間は卑怯なんです。どういう神経構造しているんですか、羨ましい。私が出来ないような事簡単にやって、大体貴女は……」
彼女はとろんとした目で、呂律の回っていない口で、目の前の酒瓶に向かってさっきから同じような内容を繰り返している。
「……弱いわねぇ。まだ二本しか開けてないっていうのに」
その酒瓶の斜向かいの席に腰かけているリッセが、呆れたようにため息を零しつつ、真っ赤な酒をグラス一杯に注ぎ一気に飲み乾し、肉汁たっぷりだった絶品ステーキの最後の一切れを平らげた。
「貴女よりは弱くありません! 訳あって魔力が枯渇気味になっているだけで、本来なら貴女たちになんて遅れは取らないんです。今の状態でだって、次にやれば負けないですし、ええ、負ける筈がありません。必ず勝てるんです。必ず。ですから、私はけっして弱くなんて、なくて……」
そこで、言葉が途切れた。
続けて視界の隅に柔らかな金色の髪が過ぎり、彼女の身体がこちらの肩に寄りかかってくる。
そして聞こえてくる、静かな寝息。
「酒飲むと素直になるみたいね、そいつは」
「……みたいだね」
リッセの言葉に苦笑気味に同意しつつ、俺は自分のグラスに残っていた少量の酒を飲み乾して、少し熱くなった息を吐きだした。
ペース配分は考えていた方だけど、さすがに酔いが回ってきたようだ。飲むのはこれくらいでいいだろう。
そう思ったところで、右手の方からオヤジさんの声が聞こえてくる。
「リッセ、酒が無くなったぞ! 高いの開けていいか? そこのやつとか!」
「ダメに決まってんでしょう? あたしが飲むんだから!」
「じゃあ、代わりになんか買ってこい!」
「はぁ? なんで、あたしが――」
「今回の主催者はお前だろう? そういう仕事を招いた客にやらせるのか?」
「む、まあ、それは確かに不味いとは思うけど…………はぁ、わかったわよ。行けばいいんでしょう、行けば」
ちらりと中央で演奏をしていたラウと育ちの良さそうな少年、そしてその二人の音楽に合わせて楽しそうに歌っているワイシャツ少女を見て、さすがに今は頼めないと思ったのか、朱色の髪の毛を焔みたいにバサバサと左手で揺らめかしながら、ため息交じりに答えて、リッセは席を立った。
「といっても、あたし一人じゃ持ちきれないくらいには、まだまだ飲みそうだしね、こいつら。……だからレニ、あんたも付き合いな。少し、二人きりで話したい事もあるし」
「……わかった」
同居人をこの場で一人にするのはどうかとも思ったけど、まあ心配する面子でもなさそうだしと頷き、慎重にミーアの上体をテーブルに預けて、一緒に外に出る。
扉を開けた途端、酒で火照っていた体を夜気が冷やした。
「……」
気安い話ではないのか、リッセはすぐに切りだすわけでもなく、また俺の方も急かす理由があるわけでもなかったので、しばらく無言で歩く。
不思議と、居心地の悪さは感じなかった。多分、彼女がなにを話そうとしているのか、ある程度想像出来ていたからだろう。
「……あんたとは、対等な友人になれるかもしれないって、言ったでしょう? でもさ、一つだけ引っ掛かっている事があるのよね」
不意に外の喧騒が復活したところで、リッセが口を開いた。
「なんていうか、あたしだけ一方的に知られてるっていうのは、やっぱり気分が悪いっていうか……まあ、もう片付いた事だから、そんな大したもんでもないんだけどさ。でも、やっぱりモヤモヤするのよ。嫌な感じになる。別にこっちから暴いてやってもいいんだけどさ、それはそれでなんか違う気もするし。だから、あんたもなんか吐いてよ。好きな男の事とか、やらかした事とか? そんな感じのやつ」
「……とりあえず、男性を好きになった事はないかな」
適当な言葉を返しながら、どういう秘密を明かすべきかを考える。
彼女の口ぶりから見て、内容自体には興味ないんだろう。本当になんでもいいんだと思う。
だけど、俺が知った彼女の過去はとても重いものだし、彼女の人格形成にだって関わっているような類だったのだ。それに対して、どうでもいい秘密を並べるというのは、いくらなんでも釣りあいが取れていない。それは俺にとっても気持ちの悪い話だ。
とはいえ、レニ・ソルクラウの中身が男だという、ある意味一番重要な秘密を共有するというのはさすがにリスキーすぎるし、そもそも現在進行形で知られない方がいい事実だ。だから、これは言えない。
なら、なにを話せばいいか、なにが彼女の秘密に相応しいか……思い当たるものは、幸か不幸か一つしかなかった。
そしてそれは、この世界ではもう意味のないものでもあって、
「……リッセにとっては、大した話じゃないのかもしれないけど…………ずっと昔にね、母と一緒に他の誰にも言えない事をしたんだ」
今でも、昨日の事のように覚えている。
傷付いていた母が、父を殺した日の事を。守られていた俺が、父を殺せなかった日の事を。
「完全犯罪っていうのかな。色々と足掻いてみたら、神様が見ていてくれたのかなって思うくらい上手くいって、私達は自由になった。……人を殺して、自由になったんだ」
それが日本という国で生きていた俺が、絶対に隠し通さないといけなかった過去で、義父も知らない罪で、文字通り死ぬまで抱えてきた、母との二人だけの秘密だった。
これにて『貴族飼いの朱』は完結となります。ここまでお付き合い頂き、真にありがとうございました。
といっても『神を殺すまで』の物語はまだ続きますので、よろしければ一週間後に投稿予定の続編にもお付き合い頂けると幸いです。




