別話 変わったお客様 (アニス視点)
アニスさん視点です。
ちょっと時間を巻き戻して話が始まります。
長いです。およそ7500字。
「ただいまです〜。」
「「「おかえり。アニス。」」」
特別巡回が終わって、ようやく本部に着きました。
先に戻られてた先輩方が迎えて下さいます。
あ、申し遅れました。
私、ルシェモモ北地区守備隊医療部隊所属第1級治療術士アニスと申します。
長い肩書きでしょ?
最近ようやく、舌を噛まずに言えるようになりました。
私の所属する医療部隊は読んで字の如く、医療全般を引き受けます。
普段なら、医療部隊の隊士のほとんどが本部に待機し、医務室に訪れる隊士や一般の患者の方々の治療にあたります。
あ、ルシェモモでは個々に医師や治療士や薬師の方々が医療所を開いていますが、そこでは手に負えない、もしくは珍しい種族の場合はこちらに回されます。
守備隊なら最高の治療を受けられますから。
守備隊は街全体を守りますから、もともと優秀な者たちが集まりました。
お給料も良かったですし、何よりカッコイイですよね。発足当時から大人気だったそうです。
そのため、術士も優秀な者たちが集まるようになり、今では守備隊に所属することは最高等級の術士だという証みたいになっています。
なので、普段なら訪れる患者さんの相手に追われているのですが、今日は違いました。
今朝は何時もより気温が低くて、街全体の機能がガタ落ちしたんです。当然、うちの守備隊もです。
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朝、何時ものように起きようとして、枕元の時計と気温計を見て仰天しました。
なんと、気温が何時もの半分くらいしかないじゃないですきゃっ。…噛んじゃった。
とにかく、私は驚いて飛び起き、先輩方を叩き起こして事態の説明をしました。
いつもなら、日の出前に起きてから本部の外周を走って、その後汗を拭って隊服に着替えて朝食なんですが、今朝はそんな事言ってられず、説明しながらも急いで隊服を着込みました。
先輩方もすぐに着替えて身仕度を整え、一斉に部屋を出ました。もちろん、他の医療部隊の隊士や術士隊の隊士たちを起こすためです。
私は隊内で1番の早起きですから、私たちの部屋が起き出せば早いうちに他の部屋の隊士たちも起こせますからね。
実際、この対応のおかげで我が北の守備隊は特に遅れをとることもなく事態を収拾出来ました。
「私は上に行きます!副隊長に報告してから、術士隊を起こしますっ。」
「「「よろしくっ。」」」
他の部屋に向かう先輩方に声をかけて、私は上を目指しました。
まずは、副隊長に報告してから、隊長に報告するかを決めます。
…普通は逆なんですが、我が北の守備隊は各部隊の隊長達が寒さに弱く、副隊長たちの方が強いという傾向があります。
そのため、休眠期のような寒い時期は、朝の緊急時にはまず副隊長に報告するのが通例になってます。
今朝も、この気温では休眠期と同じ対応になるだろうと、私は副隊長の部屋に向かっているんです。
まずは、我が医療部隊のリリィ副隊長に報告です。
リリィ副隊長は私と同じ深緑の森の一族で、ポム色の綺麗な緑の髪を持っておられます。
ドアの前に立ち、シェロンを叩きます。
カッカッ
「リリィ副隊長。アニスです。緊急につき失礼致します。」
返事を待たずに入ります。かなり早い時間なため、まだ起きてはいらっしゃらないでしょう。
…案の定、まだ寝てらっしゃいますね。
「リリィ副隊長っ。起きて下さいっ。」
「…どうしたの?っっ。これは…。」
私の声にお目覚めになってすぐに事態を把握されました。流石ですっ。
これだけ寒いなら当たり前かもしれませんが、何時もならまだお休みになっている時間です。私なら頭が働かないでしょう。
「皆は?起きてる?」
「同室の3つが起こしています。私は副隊長への報告と術士部隊への治療の許可を取りにきました。」
「そう。…この気温なら、キーファもキツイかもしれないわね。
キーファの所へ行って、動けないなら治療、動けるなら一緒に術士部隊の治療にあたってちょうだい。」
「了解しました。すぐに行きます。」
リリィ副隊長が気温計を見て素早く判断を下されます。やっぱりカッコイイです!
私は胸に手を当てて礼をとり、すぐに隣のキーファ副隊長のお部屋へ向かいました。
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術士部隊の副隊長室の前に来ました。
私と同じく朝の早いキーファ副隊長ならもう目は覚まされているでしょう。
キーファ副隊長はルシェモモ屈指の術士で、数十年前のルシェモモ瓦解の危機を抑えられた英雄でもあられます。
キーファ副隊長は単色ではありませんが、ドラゴンの血が強く出ているため、個体としては単色に匹敵するほどお強い方です。しかし、同じく寒さに弱いという弱点も持っておられます。
もちろん、同族の中では寒さに対してかなりお強いのですが、今朝のような急激な変化には弱いでしょう。
きちんとした方なので、いつも目覚めの気温調整には非常に気を付けていらっしゃいますが、今朝の気温は異常です。調整が上手くいっていないかもしれません。
体温調整は非常に繊細な術で、体内の水と血液を水の術式で操って循環させ、さらに自分の魔素を注ぎながら相手の魔素を高めて個体の目覚めを助けるというものです。
しかし、体温調整するには、その種族の体内構造を熟知していなければならず、魔素の注ぐ量を間違うと肉体が傷んでしまうという危険もあります。
微細な魔素調整と同時に水の術式を操らなくてはならないこともあって、すぐに動けるくらいに回復させられる術士はとても少ないのです。
私は水の術式とは相性が良いらしく、安全に、かつ比較的早く終えられるため、この体温調整ではよく駆り出されます。
私に術士部隊への治療が命じられたのはそのせいです。
すぐに術式を行えるようにと考えながらも、少し緊張しつつ、ドアのシェロンを叩きます。
カッカッ
「おはようございます。キーファ副隊長。
起きてますか?……入りますよ?」
返事がありません。恐る恐る入ってみると、部屋の真ん中辺りにベッドがあり、その上のシーツが大きく膨らんでいます。
っっ。動けないのでしょうかっ。
急いで近づくと、枕元の陽球の設定を上げます。あれ?以外に高い設定だったんですね。
それから、用意していた術式の展開をはじめました。
布の塊をとると、綺麗な青緑の体色とつるつるの背中の真ん中辺りにある黒い鱗が目に入ります。
丸まっている背中側から覗き込むと、見開かれた黒い目と目が合いました。
やっぱり起きておられますね。ホッとしながら声をかけます。
「キーファ副隊長。陽球の設定を上げました。現在、気温は85です。動けますか?」
キーファ副隊長はゆるく2回目蓋を動かして、動けないと伝えてきます。私は展開していた術式でキーファ副隊長の全身を包み込み、少しずつ魔素を流し込み始めます。
「キーファ副隊長。キツくないですか?」
目蓋が2回、ゆっくり閉じられます。これは、『いいえ』っていう意味だから、質問から考えて、大丈夫ってことですねっ。
このまま続けますっ。
しばらくしたら、キーファ副隊長の魔素が活発になってきました。もう少しですねっ。
私が全身に行き渡らせていた術を少しずつ減らして、キーファ副隊長の魔素だけを循環させるようになると、少しずつ動けるようになられたようです。
「ありがとう。もう大丈夫だ。」
キーファ副隊長の言葉に術式を解きます。
すると、キーファ副隊長の魔素が急激に膨れ上がり、あっという間に回復されました。
すごいですっ。さすがキーファ副隊長ですっ。
部屋の温度設定といい、もう少し気温が高めなら私は必要ありませんでしたね。
「起き上がれますか?」
「うん。ありがとうアニス。おかげで助かった。…現在の状況は?」
「よかったです。…現在の状況は、治療部隊が起き出してリリィ副隊長がリード隊長に報告に行ってます。私はキーファ副隊長を起こして、動けるようなら共に術士部隊の治療を命じられています。」
簡潔に報告します。今は時間が1針でも惜しい時ですからね。
私の報告にキーファ副隊長は頷いて、ベッドから出られました。
「…。アニス。出来れば後ろを向いていてもらえますか?」
いつもの「副隊長」の口調に戻られたキーファ副隊長が、腰にシーツを巻いたままおっしゃいます。
…もしかして、その下って何も着ていらっしゃらないんですかっ?
「すっすみませんっ。」
慌てて後ろを向くと、クスリと小さな笑い声が聞こえました。
ううっ。なんで何も着てないんですか~っ。
「お待たせしました。行きましょうか。」
その声に振り返ると、すっかりいつもの隊服に着替えられた副隊長がいらっしゃいました。
早いですね~。私も身支度が早いと言われますが、それ以上じゃありませんか?1針もたってないですよね?
「っ。はいっ。」
慌ててキーファ副隊長の後について行きます。
そうですっ。急がなくては、隊全体に影響が出てしまいますっ。
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あの後、キーファ副隊長はキィ隊長を起こしに行かれ、私は他の術士を起こして回りました。
おかげで、素早い対応が功を奏し、我が北の守備隊はいち早く事態に対応出来たのです。
術士を治療した後は術士部隊の皆さんにお任せして、私は治療部隊に戻りました。
そしてクルビス隊長の指示の元、特別巡回に回ったのです。
で、現在。いつの間にか戻られていたシード副隊長に巡回終了の報告を行い、私はお昼ご飯を食べようと食堂のカウンターに並んでいるところです。
お昼ご飯は何がいいかな~。いっぱい動いたから、今ならたくさん食べられるなぁ。
ザワッ
それまで騒がしかった隊内が一瞬で静かになりました。
何事だろうと思って振り返ると、クルビス隊長がいらっしゃいます。出かけられてたんですね。
「「「…。」」」
お帰りなさいと言おうとした口は、そのまま開きっ放しになりました。他の隊士も同じみたいです。
理由は、クルビス隊長の隣にいる方が見えたからです。
見たことのない形の服、袖がついている服なんて久しぶりに見ました。
ルシェモモではひらひらした風の通りやすいデザインが多いのに、彼女の服は身体のラインにそっています。
カバンも…何の皮でしょう?ぴかぴか光って綺麗です。
形も四角くて、ルシェモモで流行している丸い布の袋とは違います。
靴も踵が非常に高い作りです。
これもルシェモモでは非常に珍しいですね。オシャレの一環として、多少高さをつけることはあるようですが、あれ程高いと機能性が落ちるでしょう。
姿を見ただけで、「彼女」が街の外から来たのだとわかります。
しかし、皆が見ているのは「彼女」の服装ではなく、顔でした。もっと言うと、髪の色だったんです。
仕方ありません。何せ彼女の髪は「黒」だったのですから。
それも一色に近い程に黒が多い…もしかするとクルビス隊長と同じ「黒一色」なのかもしれません。
私も呆然と見ていました。
クルビス隊長は彼女を気遣うように、1歩1歩慎重に歩かれます。手を引かれるままに「彼女」も1歩1歩足元を見ながら進んでいるようです。
ここの床は滑りますから、あの靴では歩きづらいでしょうね。
声をかけようかと思った時、先程より近づいた「彼女」と目が合いました。
「彼女」は瞳も「黒」でした。
一瞬のことでしたが、その瞳に吸い込まれそうになっていると、クルビス隊長から微量の魔素が放出されているのに気付きました。
何事かと思ってよく見ると、私はとっさに口に手を当てて悲鳴を飲み込みました。
「彼女」の魔素はほとんど見えませんでした。
――――「彼女」は消えかけていたのです。
おそらく、クルビス隊長の補給で何とかもっているのでしょう。
少しでも躓けば、その場で消えてしまうかもしれません。
治療部隊の他の先輩方も気付かれたようです。顔色を悪くして「彼女」を見つめています。
治療部隊以外の隊士もクルビス隊長の様子からただ事でないことに気付いたようで、皆、道を開けて固唾を飲んで見守っています。
恐ろしいほどの沈黙の中、クルビス隊長がシード副隊長に声をかけます。
「よお、どうした?そんな土産持ってきて。」
何時もの軽い口調ですが、ピリリとした空気がこちらにまで伝わってきます。
それに対して、クルビス隊長は簡潔に答えられます。
「急患だ。リードは医務局にいるか?」
「いるはずだぜ。さっき、リカルドが食器を取りに行ってたからな。」
「そうか。ありがとう。
後、病室のカギをくれ。…個室は空いてるだろう?」
「ああ。あいよっ。」
シード副隊長から鍵を受け取ると、クルビス隊長は「彼女」の手を引っ張って階段を上り始めました。
階段は木で出来てますから、「彼女」の足取りも軽いものになりました。
2階に上がったのを確認すると、足の力が抜けてしまいました。
き、緊張しました…。
「おいっ。アニスっ。大丈夫か?」
「はい~。ちょっと気が抜けただけです~。」
先輩に支えられて、何とか立ち上がります。
気を抜くとまた座り込みそうです。しっかりしなくてはっ。
「にしても、見たか?」
「ああ。ありゃぁ「黒」だったよな?」
「ああ。「黒」だった。」
「でも、茶色っぽくなかったか?」
「それでもあれだけ濃けりゃあ、「黒」と変わんねえだろ?」
「だよな~。ってことは…。」
「「「「「クルビス隊長の嫁かっ?」」」」」
皆さん綺麗にハモりましたね…。
他の方も同じことを考えてたようで、うんうんと頷いています。まあ、私も同じことを考えましたけどね。
これは有名な話なのですが、クルビス隊長はその強さのあまり伴侶が持てないだろうと言われ、各方面でその候補となられるお方を探しているそうなのです。
それは、おじい様のルシェリード様が同じだったからで、ルシェリード様は長い、長い間、伴侶を持てず1つきりでいっしゃいました。
幸い、ルシェリード様はドラゴンとしての長い命と幾つかの幸運が重なって伴侶を得られ、子まで授かることが出来ました。
ですが、クルビス隊長はトカゲの一族。同族より寿命が長くても、伴侶に出会える確率は限りなく少ないのです。
何故、これ程皆がクルビス隊長の伴侶様に関心を示すのかというと、強い個体ほど伴侶は得難く、また「狂う」可能性も大きいからです。
ルシェリード様はその強靭な精神で長い年月一族を守ってこられましたが、それは同族であるドラゴンが長命だったからだとも言われています。
仲間に先立たれ、家族にもその子孫にも…。そんな状況の中で耐えられる個体は極わずかです。
孤独に耐えられなくなった個体は自らの魔素を暴走させ、周囲を巻き込む「災厄」になると言われています。
これはあまり知られていないことなのですが、実際、数十年前のルシェモモの瓦解は、孤独に耐えきれなくなった個体が引き起こしたものでした。
それ以降、上の方々は躍起になってクルビス隊長の伴侶を探しているそうなのです。
それも、ここ数年は落ち着いていたと思ったのですが…。
「彼女」も伴侶候補なんでしょうか?
そうだとしてもあの状態…。ただ事ではありません。何があったのでしょう。
彼女が向かったのはおそらくリード隊長の所でしょう。
リード隊長ならきっと何とかして下さいます。
騒がしい中、私は「彼女」の無事をそっと祈ったのでした。
*******************
「作業を続けて下さい。アニス。」
リード隊長の代わりに医務局に詰めて薬を調合していると、奥の部屋からリード隊長が出ていらっしゃいました。
隊長の言葉に礼を解いて作業に戻ろうとしましたが、後ろにクルビス隊長と「彼女」がいるのを見て、再度礼の姿勢に戻します。
よかった。魔素の枯渇と聞きましたが、回復されたんですね。
ホッとしていると、「彼女」がこちらに礼をしてくれました。
「えっ。」
驚いて声を上げると、「彼女」が顔を上げました。
黒い瞳と目が合います。
何故「彼女」がこちらに礼をしてくれたのかわからず戸惑っていると、今度はニコリと微笑んでくれます。
かわいらしいお顔立ちに優しげな笑み。きっと礼儀正しい優しい方なんだと思います。
驚きましたが、「彼女」につられて微笑み返すと今度は「彼女」が驚いたようでした。
何故でしょうか?
「少しここを離れます。お願いしますね。」
「はい。いってらっしゃいませ。」
疑問には思いましたが、リード隊長の言葉に我に返ると礼を取って皆さまを見送ります。
その際、「彼女」がかわいらしく手を振ってくれたので、思わず笑みをこぼして見送りました。
いつかお話する機会があったら声を聞いてみたいですね。
きっとかわいらしいお声でしょう。
そんなことを考えながら作業を続けていますと、リード隊長が戻ってこられました。
再び立ち上がって礼を取ろうとするのを、手振りで遮られます。
「ああ。そのままで。…アニス。少しお願いがあるのですがいいですか?」
珍しいですね。リード隊長からお願いされるなんて滅多にないことです。
何でしょうか?
「今出て行った女性のことです。少々事情がありまして、しばらくうちの隊で預かることになりました。」
リード隊長の口調にただならぬものを感じます。
おそらく「彼女」がここへ来た状態と関係があるのでしょう。
頷いて了承を示すと、リード隊長は言葉を続けます。
「名前はハルカさんです。彼女はかなり遠い所からルシェモモに来たようで、こちらの常識を知りません。
ずいぶん寒い場所の出身らしく、着るものも食べ物も違います。ですから、ここに滞在する間、いろいろと教えてあげて欲しいのです。」
「私が…ですか?」
そんな大役、務まるでしょうか…。
不安に思っていると、リード隊長がふわりと微笑んで下さいます。この微笑みにはいつも安心してしまいます。
「大丈夫ですよ。私も彼女にこの街のことや必要なことを教えるつもりです。ですが、年ごろの女性の身の回りの物となるとお手上げです。ですから、そういう生活に関することをあなたに任せたいのです。」
ああ。成る程。それなら納得です。
着るものの違いはハッキリ見てますし、身に着けるものがあれだけ違えば生活習慣も違うでしょうね。
先程見た感じだと、テラの巻き方が変わっていました。
おそらく口で説明を聞いて、ご自分で巻かれたのでしょう。そういうのを教えて差し上げればいいんですね。
「わかりました。出来る限りのことをさせていただきます。」
「お願いしますね。」
こうして私はリード隊長の命により、「彼女」―――ハルカさんのお世話を担当することになったのです。




