第196章~第200章
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部屋に流れる時間が、一瞬停止したようだった。何のことか理解出来ていない新入りも、何人かいた。しかし、殆どの人間は、その意味を察していた。
さすがの岡野の顔も青ざめていた。
「『暗黒師団』……って……あの某国の?」
達紀は黙って頷いた。
「何故、議長は秘密にしていたの?」
「監視の人間が多くなるとさとられます。博士の所で、一応洗脳はしました。けれど効果が切れる可能性もありました……だから」
「何故私じゃなくて?」
「美夏を保護したのは麗美です。麗美に近しいという理由……そして美夏とも近しい立場にいる……そういう理由で、議長は僕を監視役に選んだのです」
達紀の言葉に、岡野は小さなため息を吐いた。
「それで、装置の効果が切れたのね?」
「いいえ」
達紀はきっぱりと宣言した。
再び室内がどよめく。
「では何故、美夏はこんな真似をしたの?」
「再洗脳されたからです……これは僕の推測ですが、ほぼ的中していると思います」
「再洗脳?」
達紀は頷いた。
「東棟地下二階の『開かずの間』の中に、何があるのか、ご存じですか?」
「いいえ」
「洗脳装置の二号機です。一号機は、博士の所にあります」
「それを使って、誰が再洗脳したんですか?」
堪えきれないように、間から誰かが口を挟んだ。達紀は岡野の目を見つめたまま、言葉を続けた。
「あの部屋に入れる人間は、議長を含めて五人しかいません。議長、副議長、医局総監、狙撃手統括上級幹部、そして情報員統括上級幹部です……この中で『何かを企みそうな人間』と言ったら、真っ先に顔が浮かぶのは誰です?」
岡野は眉間にしわを寄せた。
プログラマーの一人が、ぽつりと呟いた。
「南野さん……」
岡野も目を上げて、言った。
「そうね……あえて挙げるなら、やっぱり私も彼かしら……で、どうなの?」
達紀は頷いた。
「お察しの通りです……今、紗希の治療の経過を調べに、博士の所へ行っている麗美が、姉妹組織の元関係者から、南野の過去についての情報を手に入れたそうです……それによると、南野は大学時代に某国に留学し、その際、暗黒師団のメンバーの一人と懇意になったと言います」
「そのメンバーの名前は?」
「スカーレット・江波・カーペンター」
五年以上組織に所属している人間の表情が、一斉に変わった。
「江波!?」
「おそらく、今南野が刺客を差し向けている、江波知弘の母親です」
「待って下さい。それじゃ、あの人は自分の子どもを殺せと命令していることになります」
そう言った一人に、達紀は叫んだ。
「あの男が、そんなことに構うわけがない!」
「でも、ちょっと待って……江波は組織を裏切ったんでしょう? 南野が組織を裏切っているなら、何故同じ裏切り者の江波を殺そうと躍起になる必要があるの? 私はこの間の会議で、彼がどんな手を使ってでも、江波を殺そうとしていたのを見たわ」
岡野の言葉に、何人かが「あ」と口を開いた。
「そうだ……確かに……」
達紀は異様に思考が透明になっている自分を感じていた。冴えていると言うこともできるし、冷血になっているとも言えるだろう。
「推測ですが……江波は南野に追われたのではないかと思います」
「追われた?」
何人かが全く同じテンポで同じ事を言った。
「あの人の、大切な人形に手を出したからですよ……前田浩一という名前の」
再び、五年前の事件を知る者の顔色が変わった。
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「南野は前田さんに、異様に執着しています……何故か分かります?」
全員が首を横に振ったり、肩をすくめたりした。南野が前田に執着していることを知らなかった人間もいるらしい。
「あ……」
唐突に、橋口の声が聞こえた。
「あった……保存した覚えも、今までに見た覚えもないファイル……」
「拡張子は?」
達紀が咳き込むように尋ねた。
「文書みたいですけど……」
「開きなさい。私が責任を取ります」
開けるべきか開けぬべきか逡巡する橋口に、岡野が命令した。
橋口はそれを聞くと、マウスポインタをファイル名の上に合わせた。
ダブルクリック。
文書ファイルが開くか……と思ったところで、小さなウィンドウが現れた。
《パスワードを入力して下さい》
「パスワード?」
殆ど全員が首を傾げる中、蒲原だけが「あ」と声を出した。
「判るのか?」
横にいた青年が言った。全員の目が蒲原に注がれる。
「たぶん……ほら、あの、先日の妙な侵入者が残していったメッセージがあるでしょう? ひょっとしたらあれがそうかも……」
岡野は記憶を手繰り寄せるように、左のこめかみに指を当てた。
「メッセージ……たしか一回目が『私の勝ちだ』で、二回目が『Be careful. "Archenemy" has been among you.』で、三回目が……」
「『Scarlet』……あの女のファーストネームです」
達紀が言った。
「この三つのどれかがパスワードだ。きっと」
「英数字しか入力できませんが?」
「とすると、候補は二つね……『アークエネミー』か『スカーレット』」
「『Scarlet』を入力します」
《パスワードは間違っています。入力し直して下さい》
「『Archenemy』を入力します」
《パスワードは間違っています。入力し直して下さい》
「両方とも違う……」
橋口は、入力ミスはしていない、と、目で岡野に訴えた。
「あ、ねぇ……ひょっとして、メッセージってパスワードの順番になってるんじゃないんでしょうか?」
今年組織に入った穂積が言った。
「どういう事?」
岡野が発言を促した。
「だから、パスワードは三重になっていて、メッセージの順番に入力していけばいいんじゃないんでしょうか?」
「一つ目は日本語よ?」
「うーん……いちばんシンプルに英訳したら『I win』ですよね……『win』って入力していただけます?」
「間違ってたらどうする気?」
岡野にそう言われて、穂積はちょっとおどけた顔を作った。
「別のを入力するだけのことですよ」
《二つ目のパスワードを入力して下さい》
「やった!じゃ、次は『Archenemy』だ」
穂積がまるで子どものようにはしゃいだ。コンピューターを殆ど全部潰された上、本部内に裏切り者がいるかもしれないと言う事態なのに、恐ろしいほどのんきである。
《パスワードは間違っています。入力し直して下さい》
「外れよ?」
穂積はうーんと頭を捻った。
「橋口さん、最初、大文字で入力しました?」
「ああ」
「小文字に変えてみてくれます?」
《三つ目のパスワードを入力して下さい》
「やった!当たりだ!」
「んじゃ、次は『スカーレット』だな……これも全部小文字でいいのか?」
言う側から、橋口は入力を始める。
が、穂積は言った。
「最初は大文字にした方がいいと思います。これ、たぶん、人の名前だから」
「名前?……ああ。スカーレット・カーペンターか……」
橋口は入力をやり直す。
「待って……そうすると、これを送りつけてきた侵入者は……」
そこまで岡野が言ったところで、橋口がエンターキーを叩いた。
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「これ……」
それだけ言って、橋口は絶句した。
真っ先に表示されたのは、遠くからでも見える大きな『遺書』の文字。
「長いな」
達紀はさほど驚きもせず、スクロールボックスの大きさを見て、ただそれだけ言った。
「ちょっと文章だけにしたら長すぎません?」
穂積が口を挟む。
「図が入っているのかも」
「橋口、一気にスクロールして」
岡野の指示に従い、橋口は画面を下から上へと流し始めた。
「出生登録書?」
岡野が不審げに眉を顰める。
「南野さんの……あ、前田さんの分もだ……」
橋口はそう言いながら、少しスクロールの速度を上げた。
「でもまだまだ続きがありますけど……あ!」
いつの間にかちゃっかり橋口のすぐ後ろのポジションを占めていた穂積が、声を失った。達紀が青ざめた顔で呟いた。
「DNA鑑定の……」
「一、二、三、四……五人分……か」
「誰?誰の?」
何人かが橋口にせっつく。橋口はローマ字の名前を棒読みした。
「えーと……ケイシ・ミナミノ……コウイチ・マエダ……ヒロミ・ミハラ……トモヒロ・エナミ……ジュンイチ・ミハラ……?」
「ヒロミとかジュンイチって誰だ?」
一人が呟くように言った。
「南野さんか前田さんの血縁者でしょ?」
穂積が、DNA鑑定の結果を載せているくせに、何を当たり前のことを、とでも言いたげな顔で、同い年の同僚を見やる。
「じゃあ、南野さんと江波と前田さんって血縁なの?」
「あ……」
穂積だけでなく、達紀と画面に集中している橋口以外の全員が、言葉をなくした。橋口はブツブツ独り言を言った。
「……なんか変な英文が見える……和訳ないのか?」
「スクロール!」
岡野がまた同じ言葉を繰り返した。
「『ダーク・ディヴィジョン』……メンバーリスト……モロなんとか……南野圭司……あがりあれぷと?……湯浅ァ!?」
橋口の言葉に全員が驚くのと、いつの間にか部屋の中に侵入していた誰かの投げた爆弾が爆発したのは、殆ど同時だった。
轟音が過ぎ去った後に残っていたのは、破壊されたコンピューターのハードディスク。そして爆風と破片をまともに浴びて、血まみれになった橋口。他の人間も、多かれ少なかれ傷を負っていた。
軽傷の人間が、橋口など、爆弾の爆発した近くにいた人間に声をかける。
「大丈夫か」
橋口の返事はない。気絶しているのか、絶命してしまったのか。
「大丈夫だ……まだ脈はある……呼吸も……弱いけど……」
そう言った男の足下には、穂積が昏倒していた。
反対側では、蒲原が岡野を助け起こしていた。
「姐さん、いけますか?」
まだぼんやりする頭で頷いてから、岡野は問うた。
「美夏が?」
「判りませんが……澤村さんの話から推測するに、そうかと……」
「確証ではないわけね……」
苦い表情でそう言った岡野は、四人だけの警報ベルを鳴らした。
「おい! 澤村!」
同僚の一人が倒れたままの達紀を揺さぶる。
コンピューターの破片が傷に食い込む痛みで、達紀は意識を取り戻した。
「僕を死体として運び出してくれ」
達紀は小声で、自分を揺さぶった彼に言った。
「え?」
「死体として、地下の遺体安置所へ……」
「どうする気だよ?」
「君らは何も知らないふりができる。でも僕は逃げられない……だから死んだことにしてくれ」
「わけ分かんねぇ」
「後で説明する……頼む……」
彼はぐっと言いたいことを呑み込んで、岡野の方へと歩いていった。しばらく小声で話をやり取りしていたが、戻ってきた彼は、達紀に毛布代わりの白衣を被せ、担架に乗せて、地下へ連れて行くよう指示をした。
「澤村は死んだ」
裏に意味があることを教えるように、岡野は一音ずつはっきりと発音した。それから声を落として、次の指示を出した。
「全員、何も知らないふりをしろ。コンピューターに異常が起きて、その対応に追われていた時に、誰かが爆弾を投げ込んだだけだと、そう記憶しろ。南野が何かを探ろうとしても、それ以上のことは爆発のショックで忘れたと言え。澤村の身体は、何人かでモルグに運べ。また私が指示を出すまで、この方針を貫け。いいか?」
返事をする代わりに、全員がしっかりと頷いた。と、銃を構えた金城たちが扉を開いて入ってきた。
「遅い!」
入って来るなり、岡野にそんなことを言われ、金城は一瞬顔をしかめた。
「岡野さんのベルじゃ、議長経由になります」
岡野は額に手を当てて、右手を小さく挙げた。
「……とりあえず、怪我人を医務室に運ぶの手伝って。それから、澤村はモルグに……」
「死んだんですか?」
金城は、信じられない、という顔で問い返した。
岡野は、じっと金城の目を見た。
(さっきコンピューターに現れたアレに関して……知っているのかしら?)
金城は、岡野の抱いている疑問を察した。
「澤村の死体、運ばせてもらえますか? 南野に訊かれたら、彼は死んだゆうて答えますけん」
それで、岡野も得心した。
「じゃ、頼むわ」
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モルグ:死体置き場に着くと、金城は周囲に他に人のいないことを確認してから、被せられた白衣をはぎ取った。
案の定、達紀は呼吸していた。
「起きィ……わしだけじゃ」
そう耳元で囁くと、ぱちりと、死体のふりの下手な男は目を開けた。
「何があったんじゃ?」
「アレの裏を取っていたら、コンピューターが狂って……で、一つだけまともだったコンピューターを調べてみたら、江波の遺書らしいものが見つかったんです……で、それを見ていたら、爆弾が投げ込まれました」
「美夏か?」
「確証はありませんが、おそらく……」
ほうか、と、金城は深いため息を吐いた。
「ただ、この手の訓練も一応受けているはずの美夏にしては、少々やり方が拙いと思うところもあるんですが」
「美夏は技術専門じゃろう?」
「ええ。でも恐らく、あなたと同等に渡り合うくらいの力はあると思います」
金城は渋そうな笑みを浮かべた。
「そがぁな事になりゃあ、見せてもらうさ……で、どうするんじゃ?」
「北棟へ行きます。あそこは孤島ですから、閉じこもるにはうってつけで……あっ!」
「何じゃ?」
「南野はこっちにいますか?」
「まだいるが……それが?」
「いや、僕と同じ事を、彼も考えているかもしれないと思って……」
東西南の三棟にいれば、どこからなりと追っ手が来る可能性に悩まされる。しかし北棟は、武器さえあれば、立て籠もるには、この本部の中では最も適している。東西南は開けているが、窓があり、攻撃は容易だ。北側は急な斜面に面している。そちらからの攻撃は想定しなくていい。
「ほうじゃの……もし逃げ込んで、奴らが来た場合は、どうする気じゃ?」
「放射線実験管理室に逃げ込みます……あそこは鉛の分厚い扉ですから」
結局、前田の言ったとおりになりそうだ。
……待て。
もしも前田が、南野に本当に操られていて、いずれ南野たちがあそこに立て籠もるつもりであるなら……
自分は始めっから、人質に取られるために、北棟に行くことになってしまうではないか。
「やっぱり、ここにいます……ここがいちばん安全そうだから……」
「ほうか」
金城は達紀の言いたいことが解ったのだろう。軽く頭を叩いてから、外へと出ていった。
(さて……と……大人しくここで死体として寝転がっているか……別の場所へ移動するか……)
金城も、意外なところで間抜けな男だ。
親しくしていた人が死んだ時には、人目も構わず大声を上げて泣くような、そんな人間なのに、なぜ「澤村達紀が死んだ」のに泣かないのだ?
絶対に南野に不審がられるだろう。
(くそっ……追い詰める絶対的な証拠が提示されたと思ったのに……!)
待てよ?
あの「遺書」は、江波から送られてきたものに、まず間違いない。
江波が南野と反目していたという事は、もうすでに推測したところだから、その事に関しては、今は別にいい。
何故、今日、コンピューターのデータが壊されるのだ?
何故、今日でなければならないのだ?
いや、それ以前に、何故南野……もしくは湯浅は、本部のコンピューターに江波が遺書のプログラムをひそませたことを、知ることができたのだ?
……どうやって?
情報の破壊は美夏が仕掛けたに違いない。そんなことができるのは美夏だけだ……少なくとも自分のつかんでいる情報の限りでは。
だがその元になる情報は、どこから仕入れたのだ?
美夏が、コンピューターの中のデータを調べ直していて、偶然それを見つけて、偶然それを解読していたとしたら?
しかし、技術科は基本的には人手不足だ。仕事だらけのはずの美夏に、情報の底を浚い直すなどという、七面倒くさい作業をする暇などあるだろうか?
……しかしそれ以外には考えづらい。
(あー……出歩いて調べにいけたらいいんだけどな……)
しかし、コンピューターはあらかた美夏に破壊されてしまった。
(図書室で調べる……のも面倒……っていうか、それ以前に「死人」だしな)
達紀は死体を安置する棚の上で、腕を組んで枕にした。
今日は有り難いことに、ルームメイトはいない。死体搬入の予定はなかったし、紗希がいないので、勝手に持ち込まれるものもない。先日までの分は全て焼却処理に出されている。
それが、この不気味きわまりない部屋にいる彼にとって、せめてもの慰めであった。
自分が立てない限り、物音一つしない真っ暗な部屋。死体の並べられていた棚以外に、視界に入るものは、天井と壁と床と、窓のない扉だけである。
(MolochとAgaliarept……か)
橋口の比較的近くに立っていたおかげで、暗号名を読みとることができた。しかし、対応する知識のない単語である。
(たぶん、モロクとアガリアレプトって読むんだろうけど……どういう意味なんだろう?)
『ダーク・ディヴィジョン』……『暗黒師団』は、メンバーの暗号名に、悪魔の固有名詞や、反逆者という意味の普通名詞を使用することが多い。あるいは、あの時チラリと見えた「ベローナ」から察するに、よからぬものを司る神の名も、使用されているのだろう。偶然憶えていただけだが、ベローナは確かローマ神話における、戦争の女神だったはずだ。
おそらく、あの二人の暗号名は固有名詞だろう。普通名詞とは思えない。
(固有名詞なら、悪魔や堕天使としての特徴があるはずだ)
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紗希や美夏のような『造られた』子どもたちは、アルファベットと番号を組み合わせた、文字通りのコードネームで呼ばれるが、紗希の『サロメ』のようなニックネームがつくこともあるらしい。美夏の『シンシア』は、卵提供者のファーストネーム……
美夏の場合は別として、少なくとも紗希の場合は、首を欲しがるという彼女の性質故に、『サロメ』のあだ名が付いたわけだ。
とすると、別に役割に合わせて暗号名を与えるというケースを想定することは、突拍子でもなんでもないはずだ。
そうすると、あの二人の暗号名から、その『暗黒師団』での役割を推測することは、不可能ではないかもしれない。
(しかし、それ以前に、無理なんだよな……調べるのが……)
この何もない霊安室の中では、辞書さえ手に入れることは不可能である。
思わず達紀は、頭の中で叫んだ。
(麗美! 戻ってきてくれ!)
麗美が戻ってきてくれさえすれば、何か事態が好転するような気がした。
「金城君」
呼びかけられて振り返ると、何か思い詰めたような目をした山本議長が、そこに立っていた。
「何でしょうか?」
「澤村のことで話がある」
山本も、達紀や金城たちとともに、紗希や美夏の過去を知る一人だ。金城は頷いて、その後について歩き始めた。階段を上がっていく。誰にも聞かれたくないのだろう。自分の部屋に向かう気に違いない。
他の人のものより広い議長の部屋は、話し合いの時のための椅子とテーブルが置かれている。金城は、勧められて山本の向かいに腰掛けた。
フゥーッと、重いため息が聞こえてきた。
「手遅れだったみたいだな」
「美夏のことですか?」
「ああ……で、澤村はまだ生きているのか?」
これは岡野が何か言ったな、と思って、金城はこう答えた。
「霊安室で話しました」
それを聞いて、山本の表情は、幾分柔らかくなったように見えた。
「そうか……で、何か言っていたか?」
「南野が美夏を『二号機』で再洗脳した、いう説の裏を取っとったら、コンピューターが狂った、と。ほんで、一つだけまともじゃったんを調べてみたら、江波の『遺書』が見つかったそうです」
山本は一瞬眉を顰めた。
「ここのシステムは、裏切り者が出ない限り絶対安全だと思っていたが……」
「いや、『裏切り者が出た』から、破られたんです」
山本はそれで解った。
「なるほど。江波がこちらにいるうちに、何かを仕掛けていたと言うことか」
金城は黙って頷いた。
山本は、呟くように、あるいは問いかけるようにも聞こえる声で、言った。
「彼を殺せと命令したのは、誤りだったのだろうかね……」
金城は答えられなかった。
江波はたしかに、南野の裏切りを暴いてくれた。
しかし、彼が前田の足を撃ち、他の狙撃手を妨害してきたのも事実。
裏切り者には死を。
それがこの組織のきまり。
南野は確かに殺されなければならないが、江波もまたそうされなければならないのだ。二人が、組織の定義における『裏切り者』である以上。
「まあ今は、南野を潰すことが先決だ……」
苦い表情で山本は言った。
南野は裏切り者だが、しかしそうと知る前は、信頼出来る優秀な部下であったわけなのだから。そう……信頼云々は置いておいても、確かに南野や湯浅は優秀だった。
それで思い出して、金城は言った。
「湯浅もです……湯浅も、南野に与しています」
「ああ。美佐から聞いたよ。湯浅の文字が見えた、とね」
そう言って、彼は少し頭を掻いた。
「命令として、皆に伝えてくれ……南野圭司、湯浅克彦の両名、及び、彼らに加担する者を殺せ、と……」
「美夏はどうしますか?」
美夏は『自分の意志』で加担しているわけではない。
「……戸川が帰ってきたら、彼に片をつけさせよう」
つまり生け捕りにしろということか。
「了解しました」
部屋を辞する金城の耳に、ぽつりと山本の呟きが聞こえてきた。
「六十年代以来だな……地下牢に人が入るのは……」
扉を閉めてから、前田をどうするか聞き忘れたことを思い出した。
(まぁ、えぇか)
自分の意志で加担しているなら、殺すだけのこと。
(嫌な気分じゃのぉ……)
そう思いながらも、彼は無線のマイクに呼びかけた。
「裏切り者として、南野、湯浅を殺す……南棟六階に集合……」
そう呼びかけたのと殆ど同時に、放送が流れた。
<議長より命ず。繰り返す。議長より命ず。南野圭司、湯浅克彦の両名、及び彼らに加担する者を殺せ。繰り返す。加担する者も殺せ。これより、この二人の全権限を剥奪する>
さて、いよいよ本部での戦闘開始です。




