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第191章~第195章

やっぱりアクションを盛り込まないとと思って頑張っていた記憶がある。

          191


 太陽はだいぶ高くなってきた。車は高速道路を、西へ西へと進んでいく。

「追っ手の気配は依然ゼロ……なんか恐ぇよ、俺」

 いつでも反撃出来るよう、少しシートに浅めに腰掛けたままの体勢で、哲也や呟いた。

「そう? まぁ有り難いことなんじゃないの?」

 貴史はのほほんとした声で返す。

「まぁ確かにそうなんだけどさ……けど南野なら、もうそろそろ追っ手を差し向けてもいいはずだろ? ところが、俺たちは淀川側での例の爆破以降、これといった攻撃を受けてない……」

「じゃ、あれは南野の命令じゃなかったんじゃないの?」

 一瞬哲也は、貴史が何を言ったのか、全く理解出来なかった。

「ハァ?」

「フラウロスも言わなかっただろ。あれが誰の指示によるものか、なんて」

 確かに、貴史に捕まえられたあのフラウロスは、モロクの指示かという質問に対して、答えを寄越さなかった。

「じゃ、誰が千早の誘拐を企てたんだよ? まさか江波とでも? あの日昼になるずっと前に、江波は死んでたはずだ……カイムも……」

「まぁ江波じゃないだろ……それは俺も確かだと思う……」

「んじゃ誰さ?」

「さぁね……湯浅の独断だったりしてな。でもそうだとしても、変だな。湯浅だって、追っ手を差し向ける性格のはずだけど……」

「あー、もう……考えてもムダムダ!」

 そうかもね、と流して、貴史はふわっと笑った。

「でも俺たち、運がいいよね……」

 貴史はそう言いながら、バックミラー越しに、哲也に目を注いだ。

「何で?」

「だって、『降りた後で』爆発が起こってくれたんだから……普通なら、動いている時に爆発しそうなモンだよね……そうすると、俺たちと千早の三人が、死ぬことになってたわけだけど」

「……そういやそうだね」

 そう答えた哲也の耳に、遠くから、異様なスピードで近づいてくる物の音が届いた。眼前、見える限りにおいて、他に車はない。自分の乗る車のエンジン音に、近づいてくる物のそれが響き合って、ぞっとするような不協和音を作り出した。異様に大きい耳障りな音は、明らかに改造車のものである。

「イヤな予感がするのは俺だけかな?」

 そう言った貴史が、銃の安全装置をいったん解除する音を、哲也は聞いた。

 バックミラーに、貴史の目が映っている。

 冷たく沈んだジェット・ブラックの目……殺し屋の目だ。

「まったく。ハリウッド映画みたいに都合がいいな。対向車もろくにいない。こんな状況で撃ち合いやっても、そうそう気づかれはしないだろう。向こうがサイレンサーつけてないなら、話は変わるけどもな」

「言えてる」

「タイヤを狙えよ」

「わかってる……でも、こっちもそうされると困るから、車線変更しまくる気でしょ?」

「それで狙えてこそプロだ」

 貴史はニヤリと、ミラー越しに笑いかける。

「無茶言うよ……俺この世界に入ってまだ二年だってのに」

「んじゃ、運転代われよ。俺が撃つ」

「余計無理だ! 免許どころか、ブレーキとアクセルの区別も付かないのに!」

「それ以前に、この状況でまず乗り換えは不可だろ。と言うわけで、よろしく頼む」

「頼む、じゃないだろ!」

 本気なのかふざけているのか、判断の付きかねる貴史の態度に、哲也は半ばあきれたように叫んだが、かえって緊張がほぐれたような気もした。

「マジかよ」

 後方を睨んでいた哲也は、近づいてきた車の後ろから、さらに追いついてくる奇妙な集団を認めて、声を上げた。

「何が?」

「バイクの連中が敵に加勢の模様」

「暴走族か……妙な話だ」

「『DD』と川口組が繋がって……川口組系の暴力団と暴走族が繋がって……と考えると、話は合うと思うけど」

「普通、連中が高速に顔を出すのは、夜中の話だろ」

「そういやそうだね」

 哲也は両サイドの窓を下げた。

「それから、暴力団の指示で暴走族が動くってのは、むしろ稀なんだよ。普通は、暴走行為を認めてもらうために上納金を払ってる、って程度の繋がりなんだ。あと、他のグループといざこざが起こった時に、間に入ってもらうとか。まぁ、面倒見てるのは暴走族のOBってケースが多いらしいから、そういうのもあるかもしれないんだけど……」

「解説はいい!」

 哲也はそう叫んで、窓から腕を出し、真っ先に飛び出してきたバイク目がけて、引き金を引いた。

 弾丸が空気を切り裂いて飛ぶ。




          192


「ところでこの車のガラス、フィルター貼ってある?」

 三台目のバイクを倒したところで、哲也は貴史に尋ねた。

「二重にね」

 そう答えた途端、弾丸が窓を直撃し、小さくヒビが入った。

「どのくらい保つんだろ?」

「見当もつかない」

 パン!

「サイレンサー使いやがれ……こんちくしょう」

「あれ使うと、弾丸の初速度が音速以下になるからねぇ……理屈の上では、お互いに同じ初速度で撃ってても、向こうの弾の方が速いはずだけど」

 曲芸師のごとく、右に左に自在に進路を変更しながら、貴史は異様にのんきな解説をする。

「秒速十メートル足らずの差だろ!」

 不規則に移動するので反撃は難しい。哲也の声には苛立ちが混じっている。

「初速度が同じならね」

 貴史はまだ薄気味悪いほど冷静である。

「ひょっとして何か企んでる?」

「うん。ただ悪質だから、ちょっと実行悩んでて……」

「悪質も良質もないだろ! この非常時に!」

 二人乗りの後ろが射撃手と見える。哲也は狙いを、タイヤから人に切り替えた。防弾チョッキを着ていても、何らかの衝撃は与えられるはずだ。バランスを崩して転倒さえしてくれればいい。

「わかった、わかった……肘掛けの裏に蓋があるだろ? そっからトランクの中に手を入れられるんだ。そしたら麻のずだ袋がある。喧しいのを片づけたら、その中身を路面に撒き散らすんだ」

 肘掛けを下ろす。

 車外に腕を伸ばして撃つ。

 蓋を開ける。

 反対側の窓から撃つ。

 手を伸ばして袋を掴む。

 立て続けに窓に弾丸がぶつかる。ヒビがどんどん大きくなる。

 袋を取り出そうとする。金属が入っているのか、やたらに重い。

 もう一度、今度は二台続けて狙撃した。

 片方のバイクの運転手が、バランスを崩した。

 シートの陰に伏せる間に、転倒したバイクに、後続の何台かが衝突していくのが見えた。

 火炎が上がる。

 だがまだ十台は残っている。指令車と思しき改造車も健在である。

「車狙え!」

 先の方を守るように走るバイクの数が減ったチャンスに、貴史が叫んだ。

 哲也は銃を、口径の大きなものに取り替えて、狙いを定めた。

 立て続けに引き金を引く。ボンネット、ヘッドライトカバー……タイヤ!

 バランスを失った車が、独楽のようにぐるりぐるりと回転し、それから数度横転した。運良くか悪くか、天井が上になって止まる。

 哲也はチッと舌打ちした。

 バイクが一、二台、また前の方に飛び出してくる。懲りない奴らだ。

 立て続けに二発撃つ。

 弾は片方のバイクの運転手の胴に、吸い込まれるように当たっていった。

 しかし、倒れない。

 敵ながらあっぱれである。

 また窓ガラスにヒビが増える。割れていないのは奇跡だ。同じ箇所をねらい撃ちできないからこそ、奇跡ではなく現実になっているのだろう。

 貴史は依然、頻繁に車線変更を繰り返している。

 哲也はようやっと引き出した麻袋の中身を察した。

(マキビシかい)

 激しい車線変更の繰り返しのおかげだろうが、こちらのタイヤが無傷なのは奇跡に近しい。

 哲也は身を乗り出し、狙撃手の顔が見えるぐらいまで接近してきた一台を、二発の銃弾をもって葬り去った。

 後方に乗っていた狙撃手の身体が、衝突実験用の人形のように、路上に飛んで、転がった。頭の方に一筋、赤いものが見えた。

「次の車線変更で、やる」

 哲也は銃を置き、袋を持ち上げた。

 ついにガラスの一角に穴が空き、天井に弾が刺さった。

 貴史がハンドルを切る。

 大量のマキビシが、路上にばらまかれた。

 追い縋ろうとするバイクのタイヤを、金属の刺が突き破る。

 慌てて急停止したために、後ろに乗っていた方が飛ばされ、マキビシはその身体に突き刺さった。

 停止していたバイクに、後続のバイクが一台衝突し、運転手二人および狙撃者一人の三人ともが、マキビシの上に身体を投げ出される羽目になった。

「すっげぇ残酷なゲーム……」

 車線変更をやめて、一気に加速する車の中で、その光景を眺めていた哲也は呟いた。銃を使わずとも、敵は勝手に、面白いほど自滅していく。

「だからやりたくなかったんだよ」

 そう言った貴史に、哲也は返した。

「偽善者」




          193


<偽善者>


 貴史は小さく笑っただけだった。

 それきり、哲也はもう何も言う気がしなくなって、天井に刺さった弾を抜いて、窓から捨てた。

「俺は優しくなりたい」

 貴史がぽつりと呟いた。

 哲也の髪が、下ろしっぱなしの窓から吹き込む風に流される。

「それで?」

「優しくなりたい……でも、憎しみを捨てられない……」

「捨てなくていいんじゃない?」

「今はそうかもしれない。でも、いずれは捨てなきゃいけない」

 哲也は静かに一度、瞬きをした。


 貴史なら、ひょっとしたら、いずれは憎しみを捨てられるようになるのかもしれない。

 でも、自分が憎しみから解き放たれることは、永遠にないような気がする。

 兄を殺した江波への憎しみ。

 美佳ちゃんを売った兄への憎しみ。

 友人を捨てて逃げ出した、自分への憎しみ。

 おぞましい鎖は、長く長く繋がって、自分を束縛し続けている。

 この鎖を……自分の中でだけ……断ち切る、一番手っ取り早い方法。

 それは、夢から覚めること。

 死の向こう側へ行くこと。


「紗希さんのことは?」

「可愛いよ……でも俺は、あの子への償いをするつもりで、彼女を好きになった気がしてるだけなんじゃないんだろうか、と……」

「可哀想だね、紗希さんが」

「会えば、解るさ……今はあの村で療養してる。あと二時間もすれば、全てがはっきりするだろう」

「貴史と紗希さん、二人についての全てはね……」

「君と美夏のことは、まだ蹴りはついてない、か……」

「前田さんと、江波のこともね」

 ただ言い残しておきたいことは、愛している、の一言だけ。

 その顔を焼くほどに憎んでいたのに。

 殺してやりたいぐらい憎んでいたはずなのに。

 違った。

 殺してやりたいぐらい、彼が好きだったのか。

 理解に苦しむけれども、そんな状態こそがあの二人らしい関係なのだろう。

「あの人は、生を選ぶだろうか?」

 貴史の問いかけに、哲也は首を振った。

「死を選ぶと思う……ううん……自分で死ななくても、南野がきっとあの人を道連れにするよ。江波が前田さんを独占したかったように、南野もあの人を、独占したいはずだから……」

「いったい何が、あの二人をそうさせたんだろう? 南野の場合は、浩美への歪んだ愛情……でも江波は? 江波は何故、そんなにまで?」

 哲也は端正な顔に、皮肉めいた笑みを浮かべた。

「恋愛に方程式があるのだとしたら、それはとても難しいものに違いないね。そして解けない式は存在してても意味がないよ」

「俺たちは、直感で正答にたどり着くしかない……って言いたいのか?」

 哲也は静かに頷いた。

「式が本当にあるのならね」

 それから、遠くをぼんやりと眺めながら、続けて言った。

「そして、自分の全存在を賭けた恋の場合、たった一回の誤答が、身を滅ぼすことにつながる……前田さんみたいに」

「江波は、あの人を嫌ったわけじゃない」

「嫌ってたよ」

 1足す1は2である、という、永久不変の真理を告げるように、哲也は言った。貴史がミラー越しに睨みつけるが、哲也は遠くを向いたままだった。

「憎くて憎くてたまらなくて……でも愛おしくて愛おしくて……自分だけの、可愛い人形でいてくれれば良かったのに……彼は自分の意志で動きすぎた……それが苦しくて……自分だけを愛して、自分だけに愛されて……それで十分なはずだったのに」

「言ったら悪いけど、それって変態的だな」

 苦い顔で貴史は言った。

「ううん。彼らには……江波には、これが正常だった……そして南野にも……だからあの二人は対立した。南野は江波を実質上追放して、前田さんを独占した……身体の中に毒を埋め込んで……」

「そんなの、愛じゃない」

「そりゃ、アガペじゃないだろうよ……悪魔が神の愛なんて持つもんか」

 哲也は優しい貴史を、どこかからかうように言った。

「エロスだって愛なんだよ。必ずしも人を癒すものではなくても、それでも、それもまた一つの愛の形ではあるんだ」

「歪んでる」

「そりゃあ、人間のやることだもの」

 クッ、と、哲也は冷たい笑いを浮かべた。

「キリスト教的思想に従うなら、俺たち人間はみんな、原罪を背負って生きているんだぜ……神の目から見りゃ、歪んでない方が不思議だろうさ」

「原罪?」

「人類の始祖アダムとエヴァが、エデンの園で、善悪の知識の実を食べた……神の言いつけに逆らって……それが人間の原罪……」

「知ってる」

 貴史も聖書は読んでいる。

「人は生まれながらに罪を背負ってる……人間である以上、罪から逃れることなど出来やしない。歪んだ形こそ、人間の本当の形なんだ……」

「違う」

 はっきりと、貴史は主張した。

「創られた時の姿こそ、人間の本当の形だ」

「茜で染められた布が、白くなるわけがないだろ」

「人にはできないことも、神にはできる」



 たとえ、お前たちの罪が緋のようでも

 雪のように白くなることができる。 (イザヤ書1章18節より一部抜粋)




          194


 正午を過ぎた。インターチェンジで買い込んだ適当なものを頬張りながら、麗美はなおもハンドルを握っていた。

 早く。

 一刻も早く。

 もっともっと速く。

 早く本部に……

 しかし、まだあと三時間近くはかかる。

(ああ忌々しい……ワープができたらどんなに有り難いことか……)

 そんな、現在の技術ではあり得ないようなことに考えが飛ぶあたり、麗美は相当に焦っているらしい。

 ベーコンエッグパンを、しっぽの先まで口に押し込むと、慎重に咀嚼する。

(しかしワープができたら、私の作ったシステムの意味なくなっちゃうか)

 麗美の作ったシステムとは、本部の警備網の一部で、組織で唯一彼女のみが専門とする、レーザーを使ったものである。本部の周辺にフレアートラップのごとくレーザーの網を仕掛け、不法侵入の気配があれば、すぐに警報が鳴る。ただし、警報といっても、議長と副議長、それから技術科のトップである上条と岡野の四人が携帯するベルが鳴るだけである。あんまり大げさなことをすると、誤報だった時の追及が厳しいから、責任逃れがしやすいよう、麗美が考案したのである。むろん、誤報でないと確認された場合には、本部全体に連絡が飛ぶ仕組みになっている。

 このシステムの存在については、本部詰めの人間しか知らない。しかし外部と頻繁に接触する狙撃手や、連絡員だけではなく、本部詰めの研究員も詳細は知らない。詳細を知っているのは幹部以上の人間に限られ、完全な全容となると、上層部以外には、管理者の麗美以外に知る者はない。

 もっとも知る機会に恵まれたところで、何か役に立つことは全くないが。

 いや、もちろん、役に立つ場合もないではない。

 組織を裏切り、本部によそ者を入れる……というような事を企んでいる場合には、非常に役に立つ。

 息の根を止めるのは甚だ簡単である。いや、単純である。要するにレーザーとは、一方向に向かう光線の束、つまり光である。電源を落とせばいいだけの話だ。ただし、それが少々厄介である。

 ただ電源を落としただけでは、非常時用の電源に切り替えられるし、二重のパスワードを入力せずに、非常用電源もろとも潰した場合、システムは完全に麻痺するものの、今度は別系統の電源で、盛大に警報が鳴り響くようになっている。その電源とは電池である。その所在は、麗美と議長以外知る者はない。したがって、パスワードを入力せずに電源を落とした人間が、お縄にならない可能性は限りなくゼロに近い。警報が響くが早いか、警備員(特別狙撃手)が飛んでくるのである。逃げられるものなら逃げてみろ、だ。

 追記するなら、パスワードは麗美が一つ、議長が一つ持っている。二人とも適当な頃合いを見計らって変更する。ただ、適当とはいっても、三ヶ月に最低一回は変更している。なるべく誰も思いつかないような、長めの、そして妙な語を選ぶ。あるいは適当に作る。

 今、麗美が設定している分のパスワードは<neutralred>。

 生物の細胞の、核の部分を染める赤い薬品である。中性赤とも言う。

 議長のパスワードは知らない。

 仮に南野が自分だけを捕まえたところで、安全に電源は落とせないわけだ。

 もっとも、南野もそんな無茶をやりはしないだろうが……いやいや、そうとは限らないか……いまや、彼は殆ど八方塞がりに近くなっているのだ。

 あの男、死ぬ時は大人しく自分一人で死ぬだろうか。

 いや、きっと誰かを道連れにすることだろう。

 あの男が道連れにしそうな人間といえば、誰だろう?

 湯浅は道連れにするも何も、最初から一緒に破滅すると決まっている。

 では、誰だろう。

 そう考えた麗美の脳裏を、一人の影が過ぎる。

(前田さん……?)

 あの男の歪みまくった……そう呼んでいいものだと仮定するなら……愛情が注がれていると考えられなくはない、唯一の人間。

(そして、私の、腹違いの……)

 兄弟なのだという意味での愛情は感じない。

 ただ、一緒に時間を過ごしてきた仲間として、大切な人だ。

 けれどもそれでは彼は満足出来ないことを、麗美は直感的に知っていた。

 自分を愛してくれる人はただ一人でいい。

 ただし、そのただ一人は、自分以外の何ものをも見つめることのない人間でなければならない。

 そんな人間がこの世にいるわけがない。

 だから、愛してくれる人間はただ一人でいいと願ったところで、彼の願いが叶えられることなどあり得ないのだ。

(……本当にそうだろうか?)

 今の南野には、彼しか見えていないのではないだろうか……

 そんなことを考えて、麗美は小さく首を振った。

(違う。南野が見ているのは『浩美』……『浩一』ではないもの……)

 たとえ『形』を見てくれても、『自分』を愛してくれるのでなければ、彼は拒絶する。

 だから父親を刺し殺したのだ。母の影ばかり追っていたから。

 そこまで考えて、麗美は小さくため息を吐いた。

 母の顔が、脳裏に甦る。

(お母さん、元気にしてるかしら……)

 麗美の母は、彼女が、こんな妙な組織に入ったことなど知らない。普通の会社に就職したように告げている。研究施設が辺鄙な場所にあるから、なかなか連絡は取れないと、最初に告げておいたが、もう二年も会っていない。きっと心配しているだろう。達紀とのこともあるし、この件が片付いたら、議長に許可をもらって、母に会いに行こう、と、彼女は考えた。




          195


 昼食後、午後に入ったばかりの本部。中央情報処理室。

 達紀は、江波に細工された、例の蒲原のコンピューターを、再び線に繋ぎ、『聖域』の情報に攻撃を試みた。盗みたい情報ははっきりしている。「開かずの間」に、最近入った人間の記録だ。そこに湯浅か南野の名前があれば、事態はまさに恐れていたとおりだった、と言える。

(嘘だろ……?)

 南野の名前、湯浅の名前は確かにあった。

 しかし、いちばん最近、あの部屋に入った人間は、二人のうちのどちらでもない。たしかに、一週間ほど前に、南野はあの部屋に入っていた。これで達紀の予想は、おそらくほぼ的中したと言える。人を洗脳する以外の目的で、あの部屋に入る人間などいるわけがない。

 しかし、最後にあの部屋に入った人間の名前は……山本誠二。

(議長が……何故?)

 そう思った瞬間、コンピューターに異変が生じた。

 一切の操作を受け付けなくなった。

 とっさに強制終了を試みたが、効かない。

 暗転したディスプレイに、でたらめな青白い文字が流れ出した。

「くそっ!」

 思わず声を上げると、何人かのプログラマーが振り向いた。蒲原もいる。

「どうしたんですか?」

 達紀は最早これまでと諦め、電源のコードを引き抜いた。

 だが、時既に遅し。

「おい! こっち!」

 一人が悲鳴を上げた。

 続けて、あちらこちらで叫び声が上がる。

 コンピューターに蓄積された情報が壊されていく様が、まるで手に取るように、達紀には判った。

(やられた……)

 達紀は真っ白な天井を仰いだ。そしてその天井のように青白い顔をした、一人の女の顔を思い浮かべた。

(くそっ、美夏のやつ!)

 こんなことをやる人間で、達紀が思いつくのは美夏だけだ。

「澤村さん!」

 呼ばれた方へ小走りに向かう。

 電源がついている殆ど全てのコンピューターがクラッシュしている中で、何故か手招きした男のコンピューターだけは無事であった。

「何故これだけ?」

「一週間前から、作業に集中したくて、LANを切っていたんです」

 ということは、一週間前よりこっちに、美夏はLANを通して、この迷惑なプログラムをばらまいたのか。

 しかし、一つ腑に落ちないことがある。

 潰すなら蒲原のコンピューターだけでよかったはずだ。なんだって、LANに繋がっている全部のコンピューターを潰す必要があるのだろう。

 その必要が、あるのか?

 あるとしたら……何だ?

 美夏は……南野は、何をする気だ?


 この組織の情報の多くは、バックアップデータを、デジタル、アナログの両方で取っているとはいえ、基本的にはコンピューターで管理されている。

 達紀が今までに盗み出してきた情報は、達紀自身が抹消した。今更消す必要などどこにもなかろう。

 では、何を消したかったのだ?

 消さなければいけない情報、潰しておきたい何かが、LANに流されていたということではないのか?

 しかし、そんなものが流されたという記憶はない。

 いや、実はこっそり流されていたのではないだろうか。


「橋口、ちょっと、見慣れないファイルとかがないか、調べてくれないか?」


 攻撃を唯一免れたコンピューターの持ち主、橋口は、一瞬戸惑ったような顔を見せたが、すぐに言われたことを始めた。

 誰かがこの事態を、上に報告に行ったらしい。

 姐さん、こと、岡野美佐が、血相を変えて部屋に飛び込んできた。

「澤村君、これ、どういうこと!?」

 達紀が橋口に何か指示を出したのは、これに関係していると踏んだ一人が、そのことを岡野の耳に入れたようだ。

「もう少し待って下さい……今、アレをばらまいた奴が、潰したかった情報を探しているんです」

「……まるで、誰がばらまいたか判っているような口振りね」

 岡野は達紀の隣に腕を組んで立つと、ファイルをさらい直している橋口の頭越しに、チラリとディスプレイを覗き込んだ。

「見当はついてます」

「誰?」

 達紀は一瞬逡巡したが、意を決して口を開いた。

「川崎美夏です」

 途端、部屋中がどよめいた。

「美夏が?」

 岡野は、思わず手を止めた橋口の頭を叩き、そして達紀に向き直った。

「何故、そう言い切れるの?」

「僕は、議長と、議長の舅の山村博士……元議長の指示で、彼女を監視していたからです」

「何故、監視する必要があったの?」

 達紀は激しく迷った。言っていいのだろうか? 隠し通してきた秘密を。

「言いなさい」

 岡野の目が、達紀を睨み据えた。達紀は俯き、手で目と額を覆い、絞り出すような声で言った。

「美夏が、『暗黒師団』の元メンバーだったからです」




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