第二十八話「軌道計画(オービット・プロジェクト)」
天空環は完成していた。
だがハルトにとって、それは“完成形”ではなく、ただの中間段階にすぎなかった。
王都フラウの空を覆う鉄の環は、昼夜を問わず低い振動音を響かせている。
ゴウン……ゴウン……
その音はもはや都市の音ではなく、世界そのものの呼吸に近かった。
「空中で安定した構造物は作れました」
ルカは報告書をめくりながら言う。
「接続網も正常、輸送も可能、兵站も維持できています」
そこで一度言葉を切り、顔を上げた。
「ですが……これ以上何を?」
ハルトは、机の上に新しい図面を広げていた。
それは、もはや都市の設計図ではなかった。
巨大な円環構造。
そこからさらに外側へ伸びる、計算不能な軌道ライン。
ルカはその線を見て、乾いた声を出す。
「これは……地図ですか?」
「違う」
ハルトは即答する。
「軌道だ」
沈黙。
ルカは一度まばたきをして、もう一度図面を見る。
「……軌道、とは?」
ハルトは窓の外を見上げた。
天空環がゆっくりと回転している。
その動きを指でなぞるようにして言う。
「この都市は、動ける」
「なら次は、“どこを回るか”だ」
その言葉の意味を、ルカはすぐには理解できなかった。
だが数日後、それは現実として理解させられることになる。
王都フラウ外縁・第八試験施設。
そこには、今までとは明らかに異なる構造物が建っていた。
それは“塔”ではない。
水平に伸びた巨大な円筒。
内部には蒸気圧縮装置が無数に並び、外周には強化リベットが螺旋状に走っている。
「これは何だ……」
工兵の一人が呟く。
ルカは答えられなかった。
ハルトが静かに現れる。
「軌道推進装置だ」
「……推進?」
「天空環を“止まらない構造物”にする」
誰も理解できない沈黙が落ちる。
ハルトは続ける。
「今の天空環は“浮いているだけ”だ」
「だが浮いているものは、必ず落ちる」
「だから落ちないようにする」
ルカが恐る恐る問う。
「どうやって……?」
ハルトは図面の中心を指で叩いた。
そこには一行だけ書かれている。
“恒常加速機構”
「常に加速させる」
「落ちる前に進み続ければ、落ちない」
その瞬間、現場の誰もが理解した。
これは兵器ではない。
都市でもない。
“運動体”だ。
数週間後。
試験は実施された。
天空環の一部に、推進装置が接続される。
点火。
ゴォォォォォォ!!!
轟音とともに、空中の鉄の輪がわずかに動いた。
そして――
回転し始めた。
「動いてる……!」
「空の都市が……進んでいる!!」
工兵たちの叫び。
ルカはその光景を見て、膝をついた。
「都市が……空を回っている……?」
ハルトは静かに記録を取っていた。
「速度、想定値の0.3倍」
「安定性、良好」
「修正可能」
そして一言。
「行けるな」
その夜。
天空環は、王都の上空をゆっくりと移動していた。
まるで空に浮かぶ巨大な輪が、世界そのものをなぞるように回っている。
地上の人々は言葉を失った。
「空が動いている」
「都市が移動している」
「もはや国ではない……現象だ」
ルカは窓辺で呟く。
「これが完成したら……どこへ行くんですか」
ハルトは少しだけ間を置いて答える。
「世界の外側だ」
「外側……?」
「この世界が“閉じている”なら」
ハルトは空を見上げる。
「その外に行く」
風が強く吹いた。
天空環の回転は、わずかに速度を上げる。
そしてその中心で、誰も見たことのない構造が組み上がっていく。
それはもはや都市ではなかった。
国家でもなかった。
戦争の延長でもなかった。
「これは……何なんですか……」
ルカの問いに、ハルトは答えない。
ただ一言だけ、設計図に書き加えた。
“第零宇宙段階”
空は、まだ誰のものでもなかった。
そしてその空に向かって――
鉄の文明は、さらに加速を始めていた。




