第二十九話 亡霊の影
警報がヘリオス全艦へ響き渡った。腹の底まで震わせる重低音が格納庫の鋼鉄を揺らし、整備員たちは最後の固定具を外して静かに機体から離れていく。二十一機の重力炉が次々と目覚め、青白い光が装甲を滑るように走った。その光は夜明け前の闇を裂く稲妻にも、戦場へ送り出される兵士へ捧げる鎮魂の灯にも見えた。誰も口数は多くない。今日という日が、人類の未来を決める一日になることを全員が理解していたからだ。艦橋では巨大スクリーンいっぱいにアトラス周辺の戦域が映し出され、無数の赤い光点が静かに増殖を続けていた。まるで血液へ毒が流れ込むように、その赤は止まることなく広がっていく。
「敵影確認。ヴォイドⅡ、推定三百二十機。」
ライラの報告で艦橋から音が消えた。
三百二十。
その数字を聞いただけで喉が渇く。一機一機がグレイヴァと互角。その軍勢が人類最後の砦を飲み込もうとしている。
ガイウスはゆっくり立ち上がり、スクリーンへ視線を向けたまま口を開いた。
「全部隊へ回線を繋げ。」
「了解。全機、司令官より通信です。」
短い電子音が鳴り、二十一機のコックピットへ同じ声が届く。
「諸君。今日ここで敗れれば、人類に明日はない。だから勝ってこい。それだけだ。」
一瞬の静寂のあと、二十一人の声が重なった。
「了解!!」
格納庫が震えた。重力エンジンの唸りは大地の鼓動となり、鋼鉄の獣たちが一斉に牙を剥く。カイは静かにType-Kへ乗り込み、操縦桿を握る。モニターが次々と起動し、重力炉出力は百パーセントへ到達した。機体越しに伝わる振動は恐怖ではなく、生きているという確かな実感だった。
「隊長、今日も背中は私が守ります。だから前だけを見て戦ってください。」
ノアの落ち着いた声に、カイは自然と口元を緩める。
「頼りにしてる。」
「隊長、今回も無茶したら帰ってから説教します。もちろん全員で帰るつもりですけどね。」
レオンらしい軽口だった。
「それなら説教を受ける準備だけはしておくよ。」
「Type-Kは完璧に仕上げました。でも完璧だからって壊していい理由にはなりません。修理するのは私なんですから。」
イザベラの呆れた声が響く。
「善処する。」
「その返事だけは信用できません。」
張り詰めた空気の中に小さな笑いが生まれる。その笑顔は恐怖を消せはしない。それでも折れかけた心を繋ぎ止めるには十分だった。
「レイヴン隊、出るぞ。右翼は俺たちが抑える。中央は任せた、英雄。」
アッシュが静かに言う。
「また勝負は預ける。」
「その言葉、忘れるな。」
通信が切れる。
「隊長、生きて帰ることも命令です。俺たちは誰一人欠けません。」
ガレスの言葉にエリックとリナが力強く応えた。
「了解!」
「ヴィクター、今日は終わったら豪華な飯だ。ジェイタ、お前の奢りな。」
「勝手に決めないでください。でも生き残ったら付き合いますよ。」
「ルーク、今日は援護頼む。」
「任せろ。派手に暴れて、派手に生き残る。」
「調子に乗ったら置いて帰るから。」
クロエが呆れたように笑う。
「ヘクトパス隊、第三施設を死守する。一歩たりとも敵を通すな。」
ダリウス・ヴォルフの低い声に、コール、ミラ、ルーカスが短く応えた。
「了解!」
巨大ハッチがゆっくりと開く。朝日が格納庫へ差し込み、二十一機の装甲を黄金色へ染め上げた。その輝きは勝利を祝福する光ではない。命を懸けて飛び立つ者たちへ贈られる、あまりにも美しい餞だった。
「全部隊、発進。」
ガイウスの号令と同時に二十一基の重力エンジンが咆哮を上げる。轟音は空気を震わせ、青白い重力光が尾を引きながら二十一機は一斉に大空へ飛び立った。その姿は夜明けを切り裂く二十一本の流星。人類の希望は今、運命の戦場へ向かって加速を始めた。
二十一の鋼鉄は蒼い尾を引きながら空へ散開した。朝日を浴びた装甲は黄金色に輝いていた。しかし、その光は希望ではない。死地へ赴く戦士たちへ静かに手向けられた、あまりにも美しい餞だった。眼下には骨だけを残した都市が果てしなく横たわり、その向こうでは大地の色がゆっくりと失われていく。
「各隊、予定ポイントまで二十秒。」
ライラの落ち着いた声が全機へ届く。
誰も返事をしない。必要がなかった。全員が同じ景色を見つめていたからだ。カイはゆっくりと息を吐く。その瞬間、胸の奥を冷たい手で掴まれたような感覚が走った。黒い。あまりにも黒い。地平線だと思っていたものは地平線ではなかった。数百機のヴォイドⅡが隙間なく並び、大地そのものを覆い尽くしていたのだ。その軍勢は静止しているだけで世界の色を奪っていく。まるで夜そのものが地上へ降り立ち、人類という小さな灯火を踏み潰そうと待ち構えているようだった。
「……冗談だろ。」
誰かが漏らした声は風に消えた。返事はない。誰もが目の前の現実を受け止め切れずにいた。絶望とは叫ぶものではない。ただ喉を塞ぎ、言葉を奪い、心の奥へ静かに沈んでいくものだった。
「全機、警戒。」
カイの一言が静寂を断ち切る。その声に導かれるように二十一人の意識は戦場へ引き戻された。そして敵が動く。数百機のヴォイドⅡが一斉に前へ踏み出した。重力エンジンの咆哮が幾重にも重なり、大気そのものを揺さぶる。目には見えない圧力が胸へ突き刺さり、都市に残された窓ガラスが耐え切れず次々と砕け散った。黒い機影は隊列を崩さぬまま空を埋め尽くし、巨大な壁となって人類へ迫る。
「来るぞ!」
ガイウスが叫ぶ。
「全機、迎撃開始!」
その号令と同時に戦場が爆ぜた。幾筋もの重力ビームが蒼い槍となって空を駆け、敵の紅い閃光と真正面から激突する。衝突した重力場は空間を歪ませ、透明な波紋を幾重にも広げた。轟音は空気を震わせ、砕け散った装甲片は灼熱の火花を撒き散らしながら街へ降り注ぐ。高層ビルは根元からへし折られ、長い年月を耐え抜いてきた巨人のようにゆっくりと崩れ落ち、巻き上がる土煙が廃墟を灰色に染め上げた。
「右三機!」
レオンが叫ぶ。
「任せろ!」
ノアのアークType-Nが横滑りするように割り込み、放たれた重力ビームが先頭機の進路をわずかに狂わせる。その一瞬をレオンは逃さない。アークType-Lが一直線に踏み込み、レーザーブレードが白銀の弧を描いた。ヴォイドⅡの左腕が宙を舞い、そのまま返す刃が胸部を深々と切り裂く。火花と黒煙を噴き上げながら敵機は地上へ落下した。しかし、その残骸へ視線を向ける暇すらない。空いた空域は一瞬で新たな敵に埋め尽くされる。一機を倒せば二機が迫り、二機を退ければさらに三機が牙を剥く。まるで闇そのものが己の身体を削りながら、無限に兵を生み出しているかのようだった。
「隊長!」
ノアの叫びが響く。三本の重力ビームがType-Kへ襲い掛かる。カイは操縦桿をわずかに傾けるだけだった。一発目が肩を掠め、二発目は腹部の下を抜ける。最後の一撃だけが逃げ道を塞いでいた。Type-Kは機首をわずかに沈め、紙一枚の隙間へ身を滑り込ませる。蒼い閃光は頭上を掠め、高層ビルへ直撃した。巨大な建造物は内側から握り潰された缶のように歪み、鈍い悲鳴を響かせながら崩壊する。
「そこだ。」
静かな一言と同時にType-Kが弾けるように加速した。蒼い残光だけを置き去りにして敵陣へ飛び込み、最初の一撃で首を断つ。返す刃で胸部を裂き、三機目が照準を合わせるより早く肘打ちで銃口を逸らす。その勢いのまま零距離から重力ライフルを撃ち放つと、青白い閃光が敵機を貫いた。重力炉は制御を失って内側から膨れ上がり、黒い炎を噴き上げながら四散する。それでも前線に隙は生まれない。撃ち落とした敵の向こうから新たな機影が押し寄せ、空はなお黒く染まり続けていた。
戦場の別角度では、アッシュが静かに前進していた。
「道を開けろ。」
その声には怒りも焦りもない。ただ揺るぎない確信だけがあった。アークType-Iは敵中へ真正面から飛び込み、最短距離だけを選ぶようにレーザーブレードを振るう。刃が閃くたびヴォイドⅡは何が起きたのか理解する間もなく崩れ落ち、黒煙だけを残して消えていく。その姿は英雄ではない。死を宣告する処刑人そのものだった。
「リアム、左を支えろ。セレナは上空援護。カイルは死角を潰せ。一機も通すな。」
「了解!」
三人は迷いなく散開する。通信回線は怒号と警告、援護要請、撃破報告で埋め尽くされていた。
「右から!」
「被弾した!」
「まだ動ける!」
「援護する!」
生きようとする声が戦場を満たす。そして、その声が不意に途切れるたび、誰も振り返ることなく理解していた。また一つ、未来へ帰るはずだった命が戦場へ沈んだのだと。それでも誰一人、操縦桿から手を離さない。ここで退けば、守るべき未来が消える。だから彼らは前へ出る。蒼い光は黒い絶望へ何度も突き刺さり、それでもなお、人類は最後まで剣を振るうことをやめなかった。
戦場は、もはや空も地上もなかった。重力ビームが幾筋もの蒼い光となって縦横無尽に走り、紅い閃光と激突するたび空間そのものが悲鳴を上げる。砕け散った装甲は燃え尽きない流星となって降り注ぎ、その雨を浴びながら二十一機はそれぞれの戦場を駆け抜けていた。
「左翼、敵増援!」
ローガンが叫ぶ。
「数は!」
クロエが問い返す。
「十五!」
返事より早く、黒い機影がビル群の向こうから雪崩れ込んできた。
「任せろ!」
ルークのアークType-Lが急上昇する。重力エンジンが唸りを上げ、機体はビルの屋上をかすめながら敵編隊の真上へ躍り出た。振り下ろしたレーザーブレードが先頭のヴォイドⅡを頭頂から真っ二つに裂き、その爆発を煙幕代わりに敵陣へ飛び込む。至近距離から放たれた重力ビームを機体ごと横転してかわし、すれ違いざまにライフルを撃ち放つ。蒼い閃光に胸部を撃ち抜かれた敵は火花を撒き散らしながら地上へ墜落した。
「前に出すぎ!」
クロエの怒声と同時に二機のヴォイドⅡが左右へ展開する。
「分かってる!」
ルークは笑うように機体を反転させる。しかし、その背後へさらに三機が忍び寄っていた。
「ルーク、後ろ!」
ローガンが叫ぶ。
その瞬間、蒼い閃光が敵編隊を横切った。
Type-Kだった。
レーザーブレードは一振りで一機を断ち切り、返す刃で二機目の腕を斬り落とす。三機目が銃口を向けるより早く重力ライフルが火を噴き、敵機は空中で四散した。
「助かった!」
ルークが息を吐く。
「礼は生き残ってから聞く。」
カイは振り返ることなく前へ出る。
その背中を追うようにレオンとノアが加速した。
「隊長、右!」
ノアの声と同時に四機のヴォイドⅡが包囲を狭める。
「レオン。」
「任せろ。」
言葉はそれだけだった。
レオンが敵の真正面へ突っ込む。敵は一斉に照準を合わせた。その刹那、カイは左へ滑り込み、ノアは高度を落とす。三機はまるで最初から打ち合わせていたかのように交差し、敵の照準を互いへ狂わせた。放たれた重力ビーム同士が交錯し、二機のヴォイドⅡは味方の攻撃を受けて爆散する。
「今だ!」
レオンが叫ぶ。
Type-Kが敵の懐へ潜り込み、レーザーブレードを振るう。切り裂かれた装甲から火花が噴き上がり、機体は制御を失って回転する。そこへノアの重力ライフルが一直線に突き刺さり、最後の一機を撃ち抜いた。
「ナイス連携。」
レオンが笑う。
「まだ終わりじゃない。」
カイの視線はすでに次の敵を捉えていた。
その頃、はるか上空ではレイヴン隊が別の戦場を支配していた。青空を切り裂く四本の蒼い光跡は、高度を自在に変えながら敵編隊を翻弄する。地上の戦闘とは違う。速度も、高度も、一瞬で入れ替わる三次元の死闘だった。
「敵、高度二八〇〇!」
リアムが叫ぶ。
「追うな。上を取れ。」
アッシュの声は落ち着いていた。
四機は一斉に急上昇する。敵も追従する。しかし、その瞬間、アッシュだけが機首を反転させた。重力制御で急降下したType-Iは、落下速度をそのまま斬撃へ変える。蒼い刃が敵編隊を一直線に貫き、すれ違った三機は数秒遅れて爆発した。
「セレナ、右上。」
「了解。」
上空から放たれた重力ビームが逃げ道を塞ぐ。
「カイル。」
「任せて。」
逃げ場を失ったヴォイドⅡへカイルが突入し、レーザーブレードで胴体を切り裂いた。黒煙が雲の下へ流され、レイヴン隊は再び高度を上げる。彼らは地上を守る剣ではない。空そのものを支配する翼だった。
だが、どれだけ撃墜しても敵の密度は変わらない。戦場全体を見渡すガイウスの額を汗が伝う。戦況図にはなお無数の赤い光点が蠢き、撃破された敵を示す印は次の瞬間には新たな赤へ飲み込まれていく。
「各隊、戦線を維持しろ! アークキャノンには絶対に近づけるな!」
怒号のような命令が響く。
誰も返事はしない。
返事をする余裕がないからではない。
全員が、その命令を胸に刻み、すでに身体を動かしていたからだ。空を焦がす閃光はなお増え続け、鋼鉄と鋼鉄がぶつかる轟音は途切れることなく戦場を揺らしていた。誰も、この戦いが始まりに過ぎないことなど、まだ知る由もなかった。
激戦の中、ガイウスの声が全通信回線へ響き渡る。
「各隊、敵の進路が分散した! 予定通りアークキャノン防衛配置へ移行する!」
二十一機は戦いながら散開を始めた。押し寄せる敵を押し返すのではなく、三基のアークキャノンを中心に迎え撃つ布陣へ切り替えるためだ。戦場は一つではない。三つの戦場が同時に産声を上げようとしていた。
「第七小隊、第一アークキャノン到達。」
ローガンが短く報告する。
「周囲に敵影なし。ルーク、クロエ、警戒を広げろ。」
「了解!」
「任せて。」
第一アークキャノンの巨大な砲身が朝日に照らされる。その前へ三機が横一列に展開し、防衛線を築いた。
「第二小隊、第二アークキャノンへ到着。」
今度はガレスの声だった。
「北側の廃ビル群に敵反応。迎撃位置につく。」
「了解。」
エリックがライフルを構え、リナは左翼へ展開する。第二アークキャノンを中心に三機が扇状の陣形を描き、接近経路を封鎖していく。
「第五小隊、右翼空域を確保。」
ヴィクターの落ち着いた声が続く。
「第二との中間ラインを維持する。突破してくる敵はこっちで止める。」
「ハンナ、上をお願い。」
「任せて。」
「ジェイタ、右は俺が見る。」
「了解!」
第五小隊は第二アークキャノンと中央空域を繋ぐ位置へ展開し、防衛線に厚みを持たせる。
「レイヴン隊、第三アークキャノン上空到達。」
アッシュの声だけが不思議なほど静かだった。
「高度三千五百を維持。航空戦力は俺たちが引き受ける。」
「リアム、さらに上を警戒。」
「了解。」
「セレナ、左空域を封鎖。」
「了解。」
「カイル、低高度へ降りる敵を逃がすな。」
「任せろ。」
四機は一斉に高度を変え、第三アークキャノンの真上へ巨大な防空圏を描き始めた。蒼い光跡は何重もの輪となり、空へ見えない檻を築いていく。
「ヘクトパス、第三アークキャノン地上防衛に入る。」
ダリウスが低く笑う。
「空はレイヴン、地面は俺たちだ。」
「コール、西側道路を封鎖。」
「了解。」
「ミラ、東側。」
「任せて。」
「ルーカス、後方警戒。」
「了解。」
四機は瓦礫の街へ滑り込み、崩れた高層ビルを盾にしながら市街地全体へ網を張っていく。地上を突破する敵は、一機たりとも通さないという意志が、その動きだけで伝わってきた。
ガイウスは戦況図を睨み続ける。三基のアークキャノンを中心に、防衛線は予定通り完成した。しかし、その中央だけがぽっかりと空いている。
「カイ。」
「聞こえてる。」
「中央遊撃は予定通りお前たちだ。どこが崩れても最初に駆け付けろ。」
「了解。」
レオンが苦笑する。
「結局、一番忙しい役目ですか。」
「隊長らしいな。」
ノアも笑った。
カイは短く息を吐く。三基のアークキャノン。そのどこが狙われても間に合う位置。それが自分たちの役目だった。守る場所は決まっていない。だからこそ、すべてを守らなければならない。
その時だった。
「第一アークキャノン前方、敵接近!」
ローガンの通信が響く。
「第二も接触!」
ガレスが続く。
「第三上空、敵編隊を確認。」
アッシュの声は変わらず冷静だった。三つの戦場が、同時に燃え上がる。カイは三方向へ視線を走らせた。次に最初に崩れるのは、どこだ。
第一、第二、第三。三基のアークキャノンを中心に広がった戦場は、それぞれ異なる表情を見せ始めていた。第一では第七小隊が正面から押し寄せる敵を迎え撃ち、第二では第五小隊と第二小隊が互いに援護しながら防衛線を維持する。そして第三では、遥か上空をレイヴン隊が制圧し、その足元ではヘクトパスが瓦礫の街を縫うように敵を狩っていた。中央には、どこへでも駆け付けられる三機だけが静かに戦場全体を見渡している。
「第一、敵十機突破!」
ローガンの声が響く。
「まだ止められる!」
ルークが敵編隊へ飛び込む。ビルの壁面を蹴るように急旋回したアークType-Lが一機の頭部を切り飛ばし、その勢いのまま二機目へ体当たりを叩き込む。激突した装甲が火花を散らし、二機は絡み合うように地面へ墜落した。しかし、その隙を縫うように後続が第一アークキャノンへ迫る。
「クロエ!」
「分かってる!」
重力ライフルが蒼く閃く。先頭のヴォイドⅡが胸部を撃ち抜かれ、爆炎を上げながら横倒しになる。その残骸が道路を塞ぎ、後続の進路を乱した。
「今だ、押し返せ!」
ローガンの号令で三機が一斉に前へ出る。
一方、第二では敵が左右へ大きく展開していた。
「囲むつもりか。」
ガレスが低く呟く。
「右へ三機!」
エリックが迎撃へ向かう。
「左は私が行く!」
リナが廃ビルの隙間を縫うように駆け抜け、死角へ回り込もうとしていた敵へ重力ビームを浴びせる。爆発で舞い上がった瓦礫が視界を覆う。その煙の向こうからさらに敵が飛び出した。
「まだいる!」
「止まるな!」
第五小隊が横から割り込む。
「ハンナ、上!」
「了解!」
上空へ逃れようとした敵をハンナが撃ち落とし、その直後、ヴィクターが至近距離からレーザーブレードを突き立てる。二つの小隊は言葉を交わす暇もなく、互いの動きを信じて防衛線を繋いでいた。
その頃、第三アークキャノン上空ではレイヴン隊が蒼い光跡を幾重にも描いていた。
「敵、高度三二〇〇。」
リアムが報告する。
「さらに上を取る。」
アッシュが短く答える。
四機は一斉に上昇し、敵編隊のさらに上空へ抜ける。太陽を背負った蒼い機影は逆光へ溶け込み、次の瞬間、一気に急降下した。重力制御による落下速度がそのまま刃へ乗る。アッシュは敵の中央を貫き、すれ違いざま三機を切り裂いた。
「セレナ。」
「逃がさない。」
上空から放たれた重力ビームが敵の退路を断ち、方向を失った敵をカイルが横から撃ち抜く。リアムはさらに上空へ駆け上がり、新たな敵影を探していた。レイヴン隊は戦うというより、空そのものを書き換えていた。
地上ではヘクトパスが市街地を支配していた。
「西側異常なし。」
コールが報告する。
「東もクリア。」
ミラが瓦礫を飛び越えながら答える。
「油断するな。」
ダリウスは崩れたビルの影からゆっくりと顔を出す。静かだった。あまりにも静かだった。空では激しい爆発が続いているというのに、この一帯だけ音が遠い。
「……妙だな。」
小さく呟く。
「隊長?」
ルーカスが聞き返す。
「敵が少なすぎる。」
その一言に、全員が周囲を見回した。第三アークキャノンへ向かう敵は確かに存在する。だが、戦況図が示していた数より明らかに少ない。
「ライラ。」
ダリウスが通信を開く。
「第三周辺、敵影が予測より少ない。本当にこの数で間違いないか?」
わずかな沈黙。
「……こちらでも確認中。戦況図では変化ありません。」
ライラの声にも迷いが混じる。
「了解。」
通信を切ったダリウスは、もう一度瓦礫の街を見渡した。風だけが吹いている。嫌な静けさだった。
第一アークキャノンでは第七小隊がなおも敵を押し返し、第二では第五小隊と第二小隊が防衛線を維持していた。第三上空ではレイヴン隊が航空優勢を保ち、地上ではヘクトパスが市街地を巡回する。戦況は苦しい。それでも誰一人、自分たちの持ち場を失ってはいなかった。
「各隊、状況を報告。」
ガイウスが通信を開く。
「第一、防衛継続中!」
「第二、問題なし。」
「第三上空、制空権維持。」
「第三地上も異常なし。」
報告は順調だった。
順調すぎた。
ガイウスは戦況図へ目を落とす。赤い光点はなお無数に蠢いている。それにもかかわらず、第三アークキャノン周辺だけ敵影が薄い。敵が少ないことは喜ぶべきはずだった。しかし、その違和感だけが胸へ小さな棘のように刺さる。
「ライラ、敵の進路予測を更新しろ。」
「更新しています……ですが、おかしいです。」
「何だ。」
「第三方面へ向かっていた敵反応が、途中で消えています。」
「撃墜したんじゃないのか。」
「違います。撃墜なら消滅位置が記録されます。でも今回は……。」
ライラの指が止まる。
「……反応そのものが消えています。」
ガイウスは眉をひそめた。センサー故障。通信障害。戦闘中なら珍しい話ではない。そう考えようとしても、経験が胸の奥で静かに警鐘を鳴らしていた。その頃、第三アークキャノン地上ではダリウスが崩れた高架道路の上から周囲を見渡していた。風が瓦礫の隙間を吹き抜ける。遠くでは爆発が絶えず続いている。それなのに、この一帯だけ時間が止まったように静かだった。
「コール。」
「います。」
「西側。」
「異常なし。」
「ミラ。」
「東側も敵影なし。」
「ルーカス。」
「後方も変化ありません。」
誰もが同じ答えを返す。静かすぎる。ダリウスはライフルを握り直した。戦場では静寂こそが最も信用できない。
「隊長。」
ルーカスがぽつりと呟く。
「何だ。」
「……さっきから、鳥が一羽も飛んでません。」
ダリウスは空を見上げる。崩れたビル。流れる黒煙。遠くを横切る蒼い閃光。そのどこにも、生き物の姿はなかった。
「気にするな。」
そう言った自分の声が、妙によそよそしく聞こえた。
一方、中央空域ではカイが三基のアークキャノンを順番に見渡していた。第一は押されながらも耐えている。第二も持ちこたえている。第三上空はアッシュたちが完全に制圧していた。なのに。胸騒ぎだけが消えない。残響は現れない。未来も見えない。それでも身体だけが何かを警戒している。
「隊長?」
ノアが通信を入れる。
「どうしました。」
「……いや。」
カイは答えられなかった。理由がない。敵が見えたわけでもない。何かを感じたわけでもない。ただ、本能だけが叫んでいる。ここではない。どこか別の場所で、何かが始まろうとしている、と。その直後だった。
「こちら第三地上。」
ダリウスの低い声が通信へ流れる。
「……誰か、今動いたか?」
一瞬だけ、全ての通信が止まった。
「こちら第三地上。」
ダリウスの低い声が通信へ流れる。
「……誰か、今動いたか?」
一瞬だけ全ての通信が止まった。
「どうした。」
ガイウスが問い返す。ダリウスは崩れたビル群へ視線を走らせる。瓦礫の隙間を風が吹き抜け、舞い上がった砂埃が陽炎のように揺れていた。その奥で、黒い何かが建物の陰へ滑り込んだような気がした。しかし次の瞬間には何もない。崩壊した街だけが静かに横たわっている。
「……見間違いかもしれん。」
「隊長!」コールが鋭く叫ぶ。
「二時方向! 今、何かいた!」
四機が一斉に銃口を向ける。だが照準の先には崩れた高架橋と砕けたコンクリートが広がるだけだった。
「熱源なし。」ルーカスが報告する。
「センサーも反応ありません。」ミラが続けた。
ダリウスは眉をひそめる。四人が同じ方向を見た。それなのに何も映らない。偶然では済まされない違和感だけが胸へ残った。
「カイ。」ガイウスが通信を開く。「第三を確認しろ。」
「了解。」
中央空域で待機していたType-Kが即座に進路を変える。レオンとノアも左右へ展開しながら後に続いた。三機の蒼い光跡は燃え上がる戦場を横切り、第三アークキャノンへ一直線に伸びていく。
その頃、上空ではレイヴン隊が激しい空戦を続けていた。アッシュは敵編隊のさらに上空まで駆け上がると、太陽を背負ったまま急降下する。落下速度をそのまま斬撃へ変えたレーザーブレードがヴォイドⅡを切り裂き、すれ違った三機が時間差で爆散した。リアムがさらに高高度へ上がり、新たな敵影を索敵する。セレナは逃げ道を塞ぐように重力ビームを放ち、進路を失った敵をカイルが仕留める。四機は息を合わせるというより、一つの生き物のように空を支配していた。
「第三上空、異常なし。」
アッシュが報告する。
「地上は現在確認中です。」
ライラが答える。
アッシュは短く息を吐いた。敵の動きは理屈に合っている。空域も押さえている。それでも胸の奥に残る小さな違和感だけが消えなかった。
第三アークキャノンへ到着したType-Kがゆっくりと高度を落とす。
「ダリウス。」
「こっちだ。」
カイは周囲を見渡した。崩れたビル。砕けた道路。瓦礫の谷間。どこにも敵はいない。しかし、静かすぎた。遠くでは重力ビームが絶え間なく交差し、大地が揺れ続けているというのに、この一帯だけが戦場から切り離されたような静寂に包まれていた。
「何があった。」
「分からん。」
ダリウスは苦い表情を浮かべる。
「敵が少なすぎる。それに、何度か誰かが動いたように見えた。」
カイは目を閉じるように一瞬だけ呼吸を整える。残響は現れない。未来も見えない。それでも全身の感覚だけが、見えていない何かの存在を訴えていた。
「隊長?」
ノアが声を掛ける。
「……待て。」
その時だった。崩れたビルの窓ガラスへ、一瞬だけ黒い影が映る。ほんの刹那。瞬きをすれば見失うほど短い時間だった。
「いた。」
カイは迷わず重力ライフルを構える。
「撃つ!」
蒼い重力ビームが一直線に瓦礫を貫いた。轟音とともにコンクリートが砕け散り、濃い土煙が路地を覆い尽くす。誰もが煙の向こうを見つめる。やがて風が砂埃をゆっくりと払い始めた。しかし、そこには砕けた瓦礫しか残っていなかった。敵機の残骸はない。熱源もない。センサーも沈黙したままだった。
「……消えた。」
ダリウスの呟きだけが、静まり返った廃墟へ静かに吸い込まれていった。
土煙だけが静かに流れていく。崩れたビルの谷間には砕けたコンクリートが転がるだけで、敵影はどこにも見当たらない。重力ビームが直撃したはずだった。それなのに残骸はない。熱源もない。センサーも沈黙したままだった。
「……外したのか。」
ノアが小さく呟く。
「隊長が?」
レオンは首を振る。
「あり得ない。」
カイはライフルを下ろさなかった。照準は崩れたビルの奥へ向いたまま動かない。胸の奥を締め付ける嫌な感覚だけが、消えずに残っていた。
「ダリウス。」
「何だ。」
「全員、距離を取れ。固まるな。」
「理由は。」
「分からない。」
その答えにダリウスは何も言わず頷いた。長年戦場に立ってきた者ほど、説明できない直感を軽視しない。
「コール、右へ。」
「了解。」
「ミラ、左を警戒。」
「了解。」
「ルーカス、後方。」
四機がゆっくりと間隔を広げる。その瞬間だった。
ガンッ――。
乾いた衝撃音が廃墟へ響いた。
「っ!?」
コールの機体が突然弾き飛ばされる。何かに殴りつけられたように横転し、砕けたビルへ激突した。
「コール!」
「被弾! だが敵が見えない!」
全員が周囲へ銃口を向ける。しかし映るのは瓦礫だけだった。
「熱源なし!」
「レーダー反応なし!」
「何だ、これは……。」
ダリウスの声に初めて動揺が混じる。その時、カイの背筋を冷たいものが走った。右。考えるより早くType-Kが横へ跳ぶ。次の瞬間、さっきまで機体がいた空間を紅い閃光が貫いた。重力ビームは後方のビルを音もなく抉り取り、数秒遅れて巨大な建物が崩れ始める。
「いた!」
カイが叫ぶ。ビルの壁面。ほんの一瞬だけ、黒い機体が姿を現した。細い。速い。ヴォイドⅡとは明らかに違う。
「撃て!」
四方向から重力ビームが集中する。しかし敵は消えた。蒼い閃光だけが瓦礫を砕き、街路を抉る。
「また……消えた。」
ノアの声が震える。
「どこへ行った。」
誰も答えられない。その時、上空からアッシュの通信が割り込んだ。
「カイ。」
「何だ。」
「今、お前たちの上空を何かが横切った。」
カイは空を見上げる。何もない。レイヴン隊ほどの索敵能力を持つアッシュが見間違えるとは思えなかった。
「見えたのか。」
「いや。」
アッシュは静かに答える。
「見えたんじゃない。」
一拍の沈黙。
「消えた。」
その言葉が通信へ流れた瞬間、戦場の空気が変わった。ヴォイドⅡではない。数でもない。誰も知らない何かが、この戦場に紛れ込んでいる。そして、その正体を知る者はまだ誰一人としていなかった。
崩れた街を重苦しい静寂が包んでいた。遠方ではなお無数の重力ビームが空を染め、爆発音が絶え間なく響いている。それなのに第三アークキャノン周辺だけは、不自然なほど音が遠い。まるで戦場そのものが、この場所だけを避けて流れているようだった。
「全機、警戒を維持しろ。」ガイウスの声が通信へ響く。「正体は分からんが、第三方面に何かいる。」
「了解。」
短い返答だけが続く。カイは重力ライフルを構えたまま瓦礫の街を見渡していた。砕けた高架橋、崩れたビル、風に舞う灰。どこを見ても敵影はない。センサーも沈黙したままだ。それでも胸の奥では警鐘だけが鳴り続けていた。
「隊長。」ノアが小さく呼び掛ける。
「……静かすぎます。」
「ああ。」
返事をした、その瞬間だった。
ガガッ――。
通信回線へ激しいノイズが走る。
「ライラ?」
返事はない。耳障りな雑音だけが数秒間流れ、不意に途切れた。
「こちらヘリオス。通信障害を確認。各隊、状況を報告。」
ガイウスの声が戻る。
「第一、異常なし!」
「第二、問題なし!」
「第三上空、異常なし。」
アッシュの落ち着いた報告が続く。
「第三地上……。」
ダリウスが口を開いた、その瞬間だった。
「隊長ッ!」
ルーカスの叫びが通信を突き抜ける。全員が振り向く。コールの機体が何かに殴り飛ばされたように横へ弾かれ、道路を削りながら瓦礫へ激突した。砕けたコンクリートが噴き上がり、視界が砂煙に覆われる。
「コール!」
「大丈夫だ! だが見えない! 敵が見えない!」
ヘクトパス四機が瞬時に円陣を組み、お互いの死角を埋める。しかし照準の先には何も映らない。
「熱源なし!」
「レーダー反応なし!」
「ふざけるな……!」
ダリウスが歯を食いしばる。姿が見えない敵など、どう迎撃すればいいのか誰にも分からなかった。その時、カイの視界の端で、崩れたビルの壁面がほんの一瞬だけ揺らいだ。陽炎のように背景が歪み、黒い輪郭が浮かんでは消える。
「そこだ!」
Type-Kが弾けるように飛び出す。重力ライフルでは間に合わない。レーザーブレードを抜き放ち、一気に間合いを詰める。蒼い刃が一直線に振り抜かれた瞬間、甲高い金属音が街へ響き渡った。見えない何かと確かに刃がぶつかる。火花が散り、腕へ衝撃が伝わる。しかし次の瞬間、そこには何もなかった。空を切る風だけが、静かに瓦礫の間を吹き抜けていく。
「……斬った。」
カイは低く呟く。
足元へ、硬い音を立てて何かが転がった。黒い装甲片だった。握り拳ほどの小さな破片。その切断面は今まさに斬り裂かれたばかりのように赤熱している。
「隊長、それ……。」
ノアが息を呑む。レオンが破片へ視線を落とした。
「実体はある。」
幻ではない。確かに存在している。それなのに見えない。誰も言葉を失った。
「カイ。」
アッシュから通信が入る。
「何だ。」
「その破片を回収しろ。」
「理由は?」
わずかな沈黙の後、アッシュは静かに答えた。
「俺も、さっき同じものを拾った。」
その一言だけで、第三アークキャノン周辺の空気が凍りつく。
「……どういう意味だ。」
カイが問い返す。
「第三だけじゃない。」
アッシュの低い声が続く。
「俺のいる空でも、見えない敵と交戦した。」




