第十九話 戦艦ヘリオス
スレイヴァーの残骸は黒い破片となって海へ沈んでいった。荒れ狂っていた海は少しずつ静けさを取り戻し、重力の檻が残した青白い光だけが波間に淡く揺れている。勝利の余韻に浸る者は誰一人いなかった。その時、ローガン機の索敵システムが鋭い警報音を鳴らす。
「隊長!」
ローガンの声が通信回線に響く。
「海底に超巨大反応!」
レオンは即座に振り向いた。
「規模は!」
ローガンは表示された数値を見たまま息を呑む。
「全長……二千メートル以上!」
次の瞬間、海面全体がゆっくりと持ち上がり始めた。まるで海そのものが呼吸を始めたかのように。巨大な波が四方へ押し広げられ、海水が轟音と共に吹き上がる。
「全機、戦闘態勢!」
レオンの号令と同時に四機のグレイヴァが重力ライフルを構えた。しかし、その隣でレイヴン四機だけは微動だにしない。アッシュは静かに海面を見つめたまま呟く。
「帰ってきたか。」
爆発にも似た轟音が海上を震わせた。
巨大な水柱が夜空を貫き、その中心から黄金とダークブルーに彩られた一隻の超巨大戦艦が姿を現す。船体を覆う海水は滝のように流れ落ち、左右に搭載された反重力推進ユニットが青白い光を放ちながら、二キロを超える巨艦を静かに海面から持ち上げていく。その威容は戦艦という言葉では足りない。海から現れた一つの都市だった。
レオンは思わず息を呑む。
「……なんだ、あれは。」
ヴィクターも呆然と呟く。
「こんな艦……データベースに存在しない。」
その時、アッシュがゆっくりと武器を下ろした。
「安心しろ。」
「俺たちの母艦だ。」
リアム、セレナ、カイルも続いて武装を解除する。レオン達だけが警戒を解かない。やがて超巨大戦艦の側面格納庫がゆっくりと開き、眩い白い誘導灯が八機を照らした。同時に全周波数通信が開く。
『こちら戦艦ヘリオス。』
低く、威厳に満ちた男の声が戦場へ響く。
『レイヴン部隊、帰還ご苦労だった。』
アッシュは静かに機首を下げる。
「レイヴン小隊、帰投します。」
短い返答だった。しかし、その一言には十五年ぶりに故郷へ帰る兵士の安堵が滲んでいた。レオンは巨大戦艦を見上げながら操縦桿を強く握る。敵ではない。だが、味方とも言い切れない。十五年間消息を絶っていた伝説の部隊と、その母艦。海上へ姿を現した戦艦ヘリオスは、人類が知らなかったもう一つの戦場の存在を静かに物語っていた。
「全機。」
レオンは迷いを振り払うように前を見据える。
「アッシュに続け。」
ヘリオス側面の巨大格納庫へ八機がゆっくりと進入する。艦内へ足を踏み入れた瞬間、レオンは思わず息を呑んだ。格納庫は一つの都市がそのまま収まるほど広く、何層にも重なる整備デッキでは数百人もの整備員が休むことなく動き続けている。巨大クレーンが機体を運び、反重力搬送レールが装甲を滑らせ、壁一面に並ぶ三次元製造機は青白い光を放ちながら部品を次々と造り上げていた。失われた装甲も、砕けた武装も、設計図さえあれば数時間で再生できる。その光景は、戦場ではなく一つの工業都市そのものだった。
「これが……ヘリオス。」
ヴィクターが低く呟く。
「補給基地まで積んでいるのか。」
リアムは苦笑した。
「補給基地じゃない。」
「ここが俺たちの家だ。」
アッシュ達四人は迷いなく機体を降りる。ヘルメットを外し、十五年間見慣れた格納庫を静かに見渡した。その表情には帰還した安堵がわずかに浮かんでいた。
その時、格納庫中央の大型隔壁が重々しく開く。
作業をしていた整備員達が一斉に手を止め、通路の両側へ整列した。
奥から一人の男が姿を現す。
黒と濃紺を基調としたヘリオス艦長服。
金色の肩章と胸章。
白髪混じりの髪を後ろへ流し、歴戦の歳月を刻んだ鋭い眼差しが八人を静かに見渡している。
アッシュ達四人が同時に敬礼した。
「艦長。」
男はゆっくり頷く。
「よく帰った。」
その短い一言だけで十分だった。
十五年間、生き残るためだけに戦い続けてきた者達だからこそ分かる重みが、その言葉には込められていた。
男はレオン達へ歩み寄る。
「私は戦艦ヘリオス艦長、ガイウス・アークライトだ。」
レオンも敬礼する。
「アーク基地防衛隊隊長、レオン・クロウリーです。」
二人は静かに握手を交わした。
ガイウスはレオンの目をまっすぐ見つめる。
「スレイヴァー撃破、見事だった。」
「重力の檻による拘束……そして敵の行動を読んだ一撃。」
「良い指揮だった。」
レオンは首を横に振る。
「勝てたのはアッシュ少佐がいたからです。」
ガイウスは小さく笑う。
「いや。」
「勝利とは、一人では掴めないものだ。」
レオンは少し迷い、以前から胸につかえていた疑問を口にした。
「お聞きしたいことがあります。」
「十五年間……あなた方は、どこで戦っていたのですか。」
格納庫が静まり返る。
整備員達も作業の手を止め、アッシュ達も言葉を発しない。
ガイウスはしばらく沈黙した後、ゆっくりと首を横へ振った。
「……分からない。」
レオンは思わず聞き返す。
「分からない?」
「我々が目を覚ました時には、すでに見知らぬ戦場にいた。」
「星図にも存在しない宙域。」
「帰る方法も、そこが何処なのかも分からなかった。」
「だから、生き残るために戦い続けた。」
「それだけだ。」
その言葉に偽りは感じられなかった。
十五年間を生き延びた英雄達ですら、自分達が何処にいたのか知らない。
その事実は、スレイヴァーという未知の敵以上にレオンの胸を揺さぶっていた。
ガイウスはレオン達を伴い、艦橋へ向かった。長い通路の両側では三次元製造機が絶え間なく稼働し、装甲板や推進ユニット、武器部品が次々と造形されている。整備ドローンは休むことなく格納庫を飛び回り、巨大なクレーンは数十トンもの機体を羽のように軽々と運んでいた。十五年間補給を受けることなく戦い続けられた理由が、この一隻の中に凝縮されている。ヘリオスは戦艦というより、一つの工業都市そのものだった。艦橋へ入ると巨大なホログラムスクリーンが青白く輝き、周辺海域の立体地図が空中へ展開される。海底地形、潮流、重力濃度まで精密に表示され、その中心には先ほど撃破したスレイヴァーの撃墜地点が赤く点滅していた。
「残骸の回収は始まっています。」
オペレーターが報告する。
「装甲、反重力炉、内部フレームの解析を優先します。」
ガイウスは静かに頷く。
「敵を知ることは、生き残るための第一歩だ。」
その瞬間、艦橋全体へ低い警報音が鳴り響いた。立体地図の海底へ六つの青い光点が現れ、深海を一直線に進み始める。その速度は通常兵器では考えられないほど速く、まるで海そのものを滑るようだった。
「艦長!」
オペレーターが声を上げる。
「海底ソナーに高速反応!」
レオンがスクリーンへ目を向ける。
「新たな敵か。」
解析が進み、数秒後に識別結果が表示された。
「識別コード一致。」
「水中型ヴォイドⅡです。」
艦橋の空気が一瞬で張り詰めた。スレイヴァーを撃破したばかりだというのに、新たな敵はすでに海底から姿を現していた。ガイウスは静かに六つの光点を見つめる。
「やはり来たか。」
レオンが問いかける。
「迎撃しますか。」
ガイウスはゆっくり首を横へ振った。
「いや。」
「海では彼らの方が速い。」
短く息を吸い、通信回線を開く。
「ヘクトパス小隊。」
「出撃準備。」
艦内放送が響き渡る。
《ヘクトパス小隊、第一水中ドックへ。繰り返す、第一水中ドックへ。》
ヘリオス最下層では巨大な耐圧隔壁がゆっくりと左右へ開き、その奥に海水で満たされた広大な水中ドックが姿を現した。青い照明の中、水中戦専用グレイヴァ四機が静かに待機している。細身の水流制御フィン、大型ウォータージェット推進器、耐圧装甲、対ヴォイド魚雷。空戦用とはまるで思想の異なる機体だった。四人のパイロットが無言で歩き出す。誰一人焦る者はいない。深海という死の世界を幾度も潜り抜けてきた者だけが持つ静かな自信が、その背中から滲み出ていた。
「海は、彼らの戦場だ。」
ガイウスの低い声が艦橋へ静かに響く。その頃、深海では六つの青い光点がなおも速度を上げ、ヘリオスへ向かって一直線に迫っていた。次なる戦いは、漆黒の海底で幕を開けようとしていた。




