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第27話 ラーテ村からの手紙

 ある朝、カイの執務室に手紙が届いた。


 宮廷の正式な文書ではない。質の粗い紙に、素朴な文字で書かれている。差出人は——ラーテ村の村長だった。


────


カイ様


 お久しぶりです。村長のゴルドです。字が下手ですみません。


 あなたが直してくださった水路は、今も元気に流れています。あなたが残してくださった設計図を見ながら、村の者たちで手入れを続けています。数式は読めませんが、図を見れば、どこをどう直せばいいかはわかります。


 今日お手紙を出したのは、お礼を言いたかったのと、もうひとつ、お願いがあるからです。


 隣のパドル村で、畑の灌漑がうまくいっていないそうです。水の引き方がわからなくて、毎年、夏になると畑が乾いてしまう。パドル村の村長が、「ラーテ村の水路を直した人に相談したい」と言っています。


 もしお時間があれば、教えてやってください。直接来てくださらなくても、手紙で教えていただけるだけでも助かります。


 村の皆がカイ様のことを覚えています。あまり喋らない人でしたが、水路を直してくれた人、として。


 王都でお忙しいと思いますが、お体にお気をつけて。


 またいつでもいらしてください。


                 ラーテ村村長 ゴルド


────


 カイは手紙を三度読んだ。


 それから、静かに机の上に置いた。


 エリスがお茶を持ってきたとき、カイが珍しく窓の外ではなく、手紙を見つめていることに気づいた。


「どうなさいましたか?」


「手紙が来ました。以前お世話になった村から」


「嬉しいお手紙ですか?」


「嬉しい……のだと思います。でも、少し困っています」


「何にですか?」


「隣の村の灌漑を手伝ってほしいと言われました。わたしは水路の専門家ではないのに」


「でも、前の村の水路は直せたのでしょう?」


「あれは単純な勾配の問題で、計算すればすぐにわかることでした。灌漑は——もっと複雑です。土壌の質、降水量、地形、作物の種類……変数が多い」


「変数が多いと、カイ様には難しいのですか?」


「いえ、変数が多い方がむしろ得意です。ただ——」


「ただ?」


「手紙で教えるのが難しいんです。現地を見ないとわからないことが多い。でも、王都を離れるわけには——」


「カイ様」


 エリスは静かに言った。


「行っておいでになりませんか?」


「え?」


「王都のことは、皆さんが回してくださっています。レン様も、マーサ様も、ドルク様も。カイ様がいなくても——あ、すみません、そういう意味ではなく——」


「いえ。その通りです。わたしがいなくても、回る。そのために仕組みを作ったのですから」


「でしたら、数日くらい、いらっしゃっても大丈夫ではないですか?」


 カイは考えた。


 以前なら、王都を離れることは不可能だった。カイが一日でも不在になれば、仕組みが止まる。それが、カイをこの場所に縛りつけていた。


 今は違う。


 仕組みは自立し、各部門が自分で判断できる。カイが数日不在でも、支障はない。


 だとすれば——


「ヴェルナー宰相に相談してみます」


────


 ヴェルナーの返事は簡潔だった。


「行ってこい。ただし、一週間以内に戻れ」


 カイはラーテ村に手紙を書いた。


「来月、伺います。パドル村の件、一緒に見ましょう」


 手紙を出した後、カイはしばらく執務室でぼんやりしていた。


 王都の仕組みを設計し、運用し、自立させた。その仕組みは今、カイなしで回っている。


 そして今度は、辺境の村の水路を見に行く。


 規模は全く違う。王国全体の通信網と、村の灌漑。一方は数万人に影響し、もう一方は数百人に影響する。


 だが——目の前で困っている人を助けるということにおいて、規模は関係ない。


 カイが王立学院を出て最初に目指したのは、大きなことではなかった。「もったいない」と思ったことを直すこと。宮廷の廊下を歩いたとき、部署間の情報が横に流れていないのを見て、「もったいない」と感じた。それが始まりだった。


 ラーテ村の水路も同じだった。流れが悪いのを見て、「もったいない」と思った。直せるなら直す。それだけだ。


 パドル村の灌漑も、きっと同じだろう。


 カイは手紙をもう一度読んだ。


「村の皆がカイ様のことを覚えています。あまり喋らない人でしたが、水路を直してくれた人、として」


 水路を直してくれた人。


 王国の仕組みを設計した人でも、調和官でもなく。


 水路を直してくれた人。


 それが——カイ・ソーマという人間の、最も正確な肩書きなのかもしれない。

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