第26話 断章7
カイ・ソーマの手記 続
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調和官として三ヶ月が過ぎた。
数式で書くべきことは、もうほとんどない。自動化の設計は魔術師チームに引き渡した。通信塔の全体管理はレンとファルケンが担っている。物流はマーサの弟子たちが回している。
わたしの手記は——いつの間にか、数式ではなく文章で埋まるようになった。
これは退化だろうか。それとも進化だろうか。
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今日、オルグレン卿の弟子のひとり、ミラという若い魔術師が、わたしの執務室に来た。
二十歳。小柄で、黒い髪を後ろで束ねている。魔術師には珍しく、口数が少ない。彼女はオルグレンの弟子の中で最も優秀だと聞いているが、本人はそれを否定する。
「カイ殿。通信塔の自動化の第二段階について、提案があります」
「どうぞ」
「あなたの設計では、通信の優先度は送信元と受信先の重要度で決定されています。軍事通信が最優先、商業が次、一般が最後」
「はい」
「それを変えたいんです。固定の優先度ではなく、状況に応じて動的に優先度が変わる仕組みにしたい。平時は商業を優先し、緊急時には軍事に切り替わる。切り替えの判断は、通信塔のネットワーク自体が行う」
「……それは、わたしが考えていた第三段階の障害予測に近い発想ですね」
「はい。カイ殿の設計を読んで、そこから発展させました。ただし、わたしは魔術師です。数式ではなく、魔法回路で実装します。数式よりも柔軟性が高く、リアルタイムの判断が可能です」
わたしは彼女の提案書を読んだ。
正直に言おう。わたしの設計より優れている。
数式は普遍的だが、硬い。あらゆる状況を事前に想定し、変数として組み込まなければならない。想定外の状況には対応できない。
ミラの提案は、魔法回路の特性を活かして、想定外の状況にもある程度適応する仕組みになっている。魔法が持つ「揺らぎ」——数式では捉えきれない曖昧さ——を、むしろ強みとして使っている。
「ミラさん。これは、わたしの設計を超えています」
「いいえ。カイ殿の設計がなければ、わたしの提案は生まれませんでした。土台があるから、その上に建てられるんです」
「それでも——魔法の力がなければ実装できない。わたしには、できない」
「だからわたしがいるんです」
ミラの言葉は、静かだが、確信に満ちていた。
オルグレンが言った「お前を超える人材」が、もう目の前にいる。
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わたしは嬉しいのだろうか。悔しいのだろうか。
正直に書く。両方だ。
嬉しいのは、自分の設計が他者の手で改良されていること。仕組みが自分の手を離れ、より良いものになっていくこと。それは、わたしが目指していた「自立」の証だ。
悔しいのは——自分に魔法の才能があれば、ミラの提案を自分で考えつけたかもしれないということ。自分の限界を、改めて突きつけられたということ。
だが——
限界があるからこそ、他者を必要とする。他者を必要とするからこそ、伝える努力をする。伝える努力をするからこそ、仕組みが共有され、自立する。
わたしの限界は、わたしの弱さであると同時に、この国の仕組みの出発点だった。
魔法が使えないから、仕組みで解決しようとした。ひとりでは回せないから、全体を見る力を磨いた。全体を見る力しかないから、各部門に判断を委ねる設計を作った。
すべての設計は、わたしの弱さから生まれた。
そして今、わたしの弱さを補う人間が、次々と育っている。
レンは現場を知っている。ファルケンは魔法の実装ができる。ミラは新しい発想を持っている。ドルクは判断が速い。マーサは人を動かせる。
彼らの力を合わせれば、わたしひとりでは決して到達できない場所に、仕組みは到達する。
それが——調和だ。
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エリスさんが夕方にお茶を持ってきてくれた。
「カイ様。最近、よく笑うようになりましたね」
「そうですか?」
「はい。以前は、笑い方がわからないような顔をしていらっしゃいました。今は——自然に笑えていらっしゃいます」
「エリスさんのお茶のおかげかもしれません」
「お茶のおかげですか?」
「毎日同じお茶を飲んでいると、変化に気づきやすくなります。お茶の味は変わらないのに、飲む自分が変わっていく。それがわかるようになりました」
「……カイ様は、相変わらず不思議なことをおっしゃいますね」
エリスは笑った。わたしも笑った。
笑うことが——こんなに簡単なことだとは、知らなかった。
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(リーナ注:この手記の最終頁に、初めて数式ではなく絵が描かれていた。通信塔のネットワーク図だが、以前のものとは違う。
以前の図は、すべての線がひとつの無名の点を経由していた。カイ自身を示す点。
新しい図には、無名の点がない。代わりに、各ノードが直接つながり、線が網の目のように広がっている。中心はない。どこかが欠けても、残りが補い合える構造。
図の隅に、小さな文字でこう書かれていた。
「完成」)




