24 守らねばならないもの
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翌日、オパールは眠い目を無理にこじ開けるようにして起きた。やらなければならないことは山積みで、最低限の睡眠時間さえ惜しいと思えるほどだ。
辺境伯夫人の侍女ルチル、侍医バラカ、父のこと、「竜の涙」のこと……そのすべてがバリシアとつながっている可能性がある。辺境伯は、国境を守る重要な役職だ。スヴァルトル辺境伯は、辺境伯の中でも最も厳しい環境にある。それでも「スヴァルトル辺境伯」としてこの地に任じられてからの約500年、元傭兵であったタンタル家の人間は守り続けてきた。長い間に築かれたシステムは、時に侵入を許すこともある。もしかしたら、今が侵入を許してしまった時なのかもしれない。
オパールは手早く朝の支度を済ませると食堂に向かった。
「おはようございます」
「おはよう、オパール」
「おはよう、今日は早いのね」
予定通り、辺境伯と辺境伯夫人がいた。普段は少し時間をずらして二人が席を立ってから食堂に入るようにしているのだが、今日は敢えて早めに食堂に入ったのだ。
「『竜の涙』の件、報告を受けた。大変だったな」
辺境伯の言葉に、オパールはまだジャスパーに相談していないと一瞬ためらい、だが意を決すると微笑みながらはっきりと言った。
「いえ、おかげで目覚めましたので」
「目覚めた?」
辺境伯が頷く隣で、夫人が首を傾げた。やはり、辺境伯のところで情報が止まっているようだ。
「はい。どうやら私、『竜の瞳』や虹蛇様とご縁があったようです」
背後に控えるルチルの目に明らかな好奇心が宿ったが、次の瞬間にはいつも通りの表情になった。
「どういうことかしら」
夫人は興味津々といった様子で聞いてくる。
「はい。私は、虹蛇の娘である『原初の乙女』と呼ばれる存在の一人、『紫のイリス』の生まれ変わりだということが分かったんです」
「『原初の乙女』?」
「私もまだ詳しい話を聞けていないのですが、『竜の涙』に関わる重要な存在らしいですよ」
「話を誰から聞くの?」
「『竜の涙』の守り人である白蛇さんたちです」
ルチルの目が左右に揺れ、心拍が早くなったのだろう、顔がわずかに赤みを帯びている。
「あら、じゃあまた『竜の涙』のある場所に行くの?」
「はい。近々行くことになっています」
「そう、忙しいわねえ」
「はい。充実した毎日を送れるのは、辺境伯閣下とお方様のおかげです」
「あまり固くなるな、そう遠くない将来は義家族となるのだから」
「はい、お心遣いありがとうございます」
辺境伯夫妻が連れ立って食堂を出ていく姿を見送ったオパールは、ルチルも後をついて出ていき、扉が閉められたのを確認すると、ふっと息を吐いて座り直した。
「体調がすぐれませんか?」
傍に居た使用人が気にしてくれたが、「ちょっと疲れただけよ」と微笑めばそのまま下がってくれた。
「オパールおはよう? 今朝は早かったんだね」
ジャスパーがやってきた。
「食べ終わったら、カンババ先生の所で合流しましょう」
「? わかった」
カンババの前で、オパールは自分が「紫のイリス」の生まれ変わりだと辺境伯夫妻に話したことを告げた。
「オパール、囮にでもなるつもり?」
ジャスパーの目が怒っている。
「危険なことは十分に承知しているわ。でも、餌を撒かなかったら相手も動かない」
オパールの言葉に、カンババが「あ~」といつもの間延びした声で話し始めた。
「あのさぁ、オパール。どうしてそういうことを相談なしでやっちゃったの?」
「少しでも早く解決したくて」
「ねえ、焦りすぎじゃない?」
「焦ってなんかいないわ、でも早くしないとお方様に危険が……」
「オパール、聞きなさい」
カンババの声から間延びが消えた。
「戦争を始める時にはね、勝つ見通しがつくまでは始めちゃいけないんだ」
訳が分からず、オパールはカンババを見た。
「負け戦になると分かっていながら戦争を始めるのは、愚かなことだ」
「負け戦なんて、先手必勝と言うでしょう?」
「それは、準備ができたから先制するんだ。何の準備もなく突っ走ってうまくいくことなど何もない。どうしてそれが分からないんだ?」
「準備なんてしていたら向こうに先を越されるわ」
「では、聞こうか。オパールのいう『向こう』って、誰だ?」
「ルチルやバラカ医師……」
「それだけか?」
「バリシアの……」
「バリシアの?」
「人……」
オパールはぐっと唇をかみしめた。目の前の怪しい人物に目が行って、本当の敵が誰なのかもわかっていないことにようやく気付いた。
「バリシアの誰が黒幕なのか。あるいはそれが本当にバリシアの人間なのか。僕たちはオパールの言う『向こう』の人間というのが、思った以上に複雑で、そして複数なのではないかという情報を持っているんだ」
「バリシアだけじゃ、ない?」
ジャスパーが深いため息をついた。
「バリシアの人間だとしても、それがバリシアの王家なのか、魔術師の集団なのか。それも国に忠誠を誓った者なのか、反王家なのか。それによってこちらの対応も変わる。それ以上に、バリシアの関係者ではなく全く別ルートの人物たちがこちらに手を伸ばそうとしていたら? 『向こう』側どうしで戦いを始めるかもしれない。向こう協力し合った場合は更に厄介になる」
「私……みんなを危険にさらしてしまったの?」
「残念ながらそうだ」
カンババの声に、オパールはうなだれた。
「涙を流している人間がいた時、どう対応するか。うれし泣きをしている人に『人生、うまくいかないこともある』と慰める。悲しんで泣いている人に『おめでとう』と言う。頭が痛くて泣いている人に『元気?』と言いながら肩を叩く。どれも間違いだろう? 元を正確にたどらなかったら対応を間違える。対応を間違えたら失敗する。おいらたちの失敗ってのはな、死ぬことと同義なんだ」
オパールは震えながら「違う、そんなつもりでは」と言いかけたが、ジャスパーがそれを許さなかった。
「オパール。君は正義のために立ち上がったつもりかもしれないけれど、ここからの戦い方を難しくしたのはまぎれもなくオパールだ。二度と勝手な行動をしてはいけない」
「ごめんなさい……」
「まあ、こちらもつかんだ情報を一部しかオパールに知らせていなかったから、非がないともは言えないけれど」
見かねたリオナがパンと手を叩いた。
「もう、やることはたくさんあるんだから、前を向いていくわよ」
泣きながらめちゃくちゃに攻撃していた小さな女の子が、誰よりも冷静に行動している。オパールはリオナを抱きしめて「ごめんね」と謝った。
「二度とこんなこと、しないでね。守り切れないよ」
「うん。ごめんなさい」
四人はこれからどうすべきか、話し合った。計画は練り直しだ。昨夜オパールの母が書いた日記を読んだ後、カンババとジャスパーは2人で計画を立てていたのだが、それが全て実行できなくなったからだ。
「今日はとりあえずここまでにしようか」
カンババに言われて窓の外を見ると、既にオレンジ色に変わっている。昼食も忘れて話しこんでしまった。
「これ以上は頭が働かないよ~」
リオナのベソに、オパールに笑みが戻る。
「よし、解散!」
カンババの「巣穴」を出ると、城内が妙に騒がしい。
「あの、何かあったんですか?」
夫人付きの侍女の一人が通りかかったので声をかけると、侍女はほっとした顔でオパールを見た。
「お方様がオパールさんをお待ちです。ずっと探していたんですよ」
「ああ、『巣穴』にこもっていたので……」
「左様でございましたか。とにかく、参りましょう」
「僕も行っていいのかな?」
「ジャスパー様は……わかりませんが、とりあえずご一緒に行かれますか?」
「そうしよう」
侍女に連れられて、辺境伯夫人の所に行くのかと思ったら、どうやら違うらしい。
「どこへ?」
「クリスタル様のお部屋ですよ」
「クリスタルの?」
ますます訳が分からない。だが侍女はクリスタルの部屋に二人を連れて行った。部屋の前には、これまで二人だった護衛が3人に増員されている。
「何かあったのか?」
「お話は中で」
護衛騎士は2人の顔を見ると、すぐに扉をノックして中の護衛に言伝てた。中からの合図で、護衛が扉を開いた。
「ジャスパー様も、どうぞ」
部屋に入ると、クリスタルと辺境伯夫人がソファに腰かけていた。夫人はひどく上機嫌だ。ルチルがその背後にいるのをちらりと確認してから、オパールは勧められたとおりにジャスパーとソファに腰かけた。
「お待たせして申し訳ございません」
「いいのよ。とっても素敵なことがあったの」
辺境伯夫人がニコニコしながら言った。
「クリスタルにね、赤ちゃんができたの」
「赤ちゃん、ですか」
「ええ。スヴァルトル辺境伯家の子がまた増えるのよ。本当におめでたいわ」
「駐屯地にいるオニキス兄上には?」
「ええ、知らせたわよ。昼食の時にクリスタルが体調を崩して、バラカ医師に診察していただいたの。そしたら、おめでとうございますって」
「バラカ医師が……」
オパールは思わず黙り込んだ。
「あら、オパールは喜んでくれないの?」
「あ、そうではないのです、本当におめでとうございます! クリスタル、良かったね」
「ええ、ありがとう、オパール」
幸せそうなクリスタルをじっと見てから、オパールはちらりとジャスパーを見た。ジャスパーは微笑んでいたが、きっと内心違うことを考えているだろうとオパールは思った。
オパールの部屋に戻ると、ジャスパーは周囲を確認してから小声で言った。
「バラカ医師が何か仕掛けてくるかもしれない」
「私もそう思うわ」
予定外のことが重なってしまった。
「クリスタルとお腹の子を盾に、オパールを要求してくる可能性もある。クリスタルの守りを、今以上に固める必要がありそうだな」
慶事なのに、それを利用されるかもしれないと思うと、お腹の子がかわいそうだとオパールは思った。生まれる前から波乱万丈な人生を送ることになる子を、そして大切な姉であるクリスタルを守るためにも、オパールは自分が二度と足手まといにならないようにと心に誓った。
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