第93話《幻獣》
朝の光が庭の草露を照らし、淡くきらめいていた。
空気はひんやりとして澄んでいる。
ナユは胸の前で手を合わせ、小さく息を吸った。
「ねえ、バルドラン先生。幻影獣って、自分でも作れるのです?」
問いかけに、バルドランは目を細める。
白い髭を撫でながら、にやりと笑った。
「ほう……また難儀な事を聞くのう、ナユ。《幻影獣》は光属性の上位応用じゃ。命令を受けて動く幻を、光で“縫う”技術だ。ユニゾン・レイドの時にお主等に戦わせたな、だが、わしの力では……ふむ、見せた方が早いかの」
そう言って、杖で地面に魔法陣を描き、そこから白いモヤが生まれた。
モヤが渦を巻き、一つの影を形づくる。
やがて、薄い輪郭を持った狼の幻が姿を現した。
だがその瞳は虚ろで、まるで思考がない。
「――立て。走れ。止まれ。倒すな」
バルドランが短く命令する。
幻影獣は命令どおりに動き、そしてぴたりと止まった。
「……これが、限界じゃ」
「限界?」
「命令はひとつきり。『相手を殺すな』とか、『守れ』とか……そんな単純な事しか出来ん。光の制御が難しくてのう。わしの“光”は、ただ照らすだけの灯じゃ」
ナユはじっと狼を見つめた。
形は整っているが、魂のようなものは感じられない。
「……だったら、もう少しだけ複雑にしてみたいのです」
「ほほう、やってみる気か」
バルドランの眉が動いた。
ナユは頷き、手のひらを上に向ける。
柔らかな光が指の間に集まり、小さな輝きとなる。
「光よ、命を縫う糸となれ――顕現せよ、《シルエット・ビースト》!」
彼女の声に応じて、光が空中に編まれていく。
輪郭が形を持ち、毛並みの一筋一筋まで織り込まれるように。
光が弾けた。
現れたのは、金色の瞳を持つ白銀の幻狼。
風が吹き抜け、草が揺れた。
「おお……これは……」
バルドランの声がわずかに震える。
狼はナユの前に歩み寄り、首をかしげた。
その仕草は、生きているかのようだった。
「座るのです!」
ナユが言うと、狼はすとんと座る。
「立つのです!」
狼が立ち上がり、尻尾を振った。
「お手!」
ナユの出した手のひらに狼はちょこんと前脚を置く。
「わたあめ…は、やめとおこう。」
前世のアニメのスーパー犬の芸も恐らく可能であろう。
リカリーネが目を丸くする。
「なにこれ、すごい!先生のより全然……生きてるみたい!」
バルドランも口の端を上げ、感心したように頷く。
「……ふむ。わしのより、数段上じゃな。単純命令どころか、複数の動作を理解しておる。やはり光の適性が高すぎるわい」
「えへへ……ちょっとだけ、頑張ったのです!」
ナユが笑うと、狼が彼女にじゃれつくように尾を振った。
その光がナユの頬を優しく照らした。
「よし! じゃあ次は私もやってみる!」
リカリーネが拳を握る。
「おお、やる気じゃな」
「……でも、私、光属性は持ってないのよね。これ、無理じゃない?」
バルドランは少し言葉を詰まらせ、苦笑した。
「うむ。幻影は本来“光で写す”ものだ。火では難しいかもしれんの」
リカリーネは頬をふくらませる。
「むむ……じゃあ無理じゃん……」
その時、ナユがぱっと顔を上げた。
「待つのですリカちゃん!火にも“光”はあるのです!燃える芯の“明るさ”だけを薄く引き伸ばして形を保てば、術式は同じ――《シルエット・ビースト》でいけるのです!」
「え……火で《シルエット・ビースト》……?」
「そうなのです!“燃えないように”って命令を一番上に重ねて、形のイメージは――不死鳥なのです!」
リカリーネの瞳がぱっと輝いた。
「なるほど……“火の光”で織る幻……イメージはフェニックスね!」
彼女は両手を前に出し、深く息を整える。
指先に灯る炎が、ゆらりと柔らいだ。
「燃えるな、焦がすな、ただ照らせ――顕現、《シルエット・ビースト》!」
掌の炎の“光”がほどけ、空中に細い線となって編まれていく。
輪郭は鳥、尾は長く、翼はひらり。
しかし力はまだ足りず、大きな不死鳥には届かない。
それでも――
ふわり、と小さな火の小鳥が生まれた。
赤く揺れる翼が陽光を受け、宙を軽やかに舞う。
「……出来た!凄い!!リカちゃん天才!!」
ナユが目を輝かせる。
火の小鳥がリカリーネの肩にとまり、チュッと鳴いた。
熱はなく、ほんのり暖かい灯りだけが残る。
「かわいい……! 本当に、《シルエット・ビースト》でいけた……フェニックスの雛、みたい」
「やりましたね、リカちゃん!この子が大きくなる練習は、これからなのです!」
ナユが手を叩いて喜ぶ、リカリーネも照れたように笑みを返す。
バルドランはその光景を見ながら、静かに頷いた。
「……なるほどな。わしの幻影獣は“殺すな”しか命令を聞かん。だがこの子らのは、“心を映す”。術式は同じでも、器が違えば、こうも変わるか」
ナユとリカリーネが顔を見合わせ、同時に笑った。
「ね、先生!」
「よい幻影獣達じゃ。大切にしてやれ」
朝の風が吹き、光の狼と小さな火の雛が並んで舞う。
庭はやわらかな輝きに包まれ、三人の笑い声が溶けていった。
「今日の記録:庭で《シルエット・ビースト》を練習、白銀の狼を作れたのです。リカちゃんも火の光で不死鳥の雛を出せて凄かったのです。」
その夜……。
「これで、準備が整ったのです」
『行動方針:光と闇、両方を見つめる事、実行の時ですね』
ニヤリと笑い、小さく頷く。
「……日報完了」




