第84話《夜話》
夜の森は静かだった。
焚き火の火が小さく揺れ、木々の影を長く伸ばしている。
草に残る露が光り、虫の声が一定のリズムで夜を満たしていた。
ナユはテントの入口に座り、スープの鍋をかき混ぜていた。
リカリーネは反対側で腕を組み、焚き火をじっと見ている。
バルドランはその背後で杖を突き、周囲の気配を見張っていた。
「……セバスチャン、まだ戻らないのね」
リカリーネが不安げに呟いた。
「索敵をしてくれている。夜は気配が流れやすいからな」
バルドランが火を見ながら答える。
その声音には、どこか信頼の響きがあった。
「執事なのに大丈夫なの?」
「セバスチャンは大丈夫なのです」
ナユが笑って言った。
その声は迷いがなく、どこか確信めいている。
「彼は、この中で一番強いのです」
「……一番?」
リカリーネが瞬きをした。
バルドランは杖を軽く握り直し、焚き火の向こうで僅かに口元をほころばせた。
「ふむ……あながち間違いではない、かもしれんの」
◆
その頃、少し離れた森の奥では、セバスチャンが音もなく木々の間を進んでいた。
外套の裾が風を切り、足音すら森に吸い込まれて消える。
気配を消す、というより――夜そのものに溶け込むような歩みだった。
彼は立ち止まり、目を細める。
淡い青の魔力が視界に滲む。
小動物が枝を跳ね、遠くで風が一度だけ鳴った。
(異常なし……よろしい。彼女らに安らぎの夜を)
そう呟くと、彼は夜気を纏って姿を消した。
◆
野営地では、スープの香りが漂っていた。
ナユが木椀を両手で包み、火を見つめながら息を吹きかける。
「おいしいのです。温まるのです」
「塩気がちょっと強いけどね」
リカリーネは一口飲んで、肩をすくめた。
「リカちゃんの火加減はいつも完璧なのです」
「……ありがと」
リカリーネの頬が火の光に染まる。
その横で、バルドランは短く頷いた。
「良い夜だ。静けさを保てるだけで、十分に幸運じゃ」
ナユはスープを飲み干し、空を見上げる。
木の隙間から、星がこぼれるように瞬いていた。
◆
『ナユ、体温上昇。感情値、安定』
「うん、分かってるのです。……でも、報告じゃなくて、今は一緒に見よう?」
『……了解。静音モードに移行』
ミラの声が消える。
夜の音だけが残った。
ナユは小さく息を吐き、隣で眠り始めたリカリーネの毛布を直す。
焚き火がはぜ、空気があたたかく包んだ。
「……みんながいる夜って、いいのです」
ナユの言葉は、焚き火の光と一緒に夜空へ溶けていった。
◆
「今日の記録:初めての野営。セバスチャンは索敵中。リカちゃんと一緒にスープを作った。おいしかったのです。みんながいると、夜も怖くないのです……日報完了」




