第70話《邂逅》
昼下がりの雲が薄く流れ、王都南の通りを馬車がゆっくり進む。
黒塗りの車体に陽が反射し、軋む音が静かに続いた。
やがて白亜の屋敷が見えた。
馬車が止まると、杖を持つ老魔法使い――バルドランがゆっくりと降り立つ。
灰の法衣が風をはらみ、長旅の疲れを見せぬ背筋が伸びた。
その背から、赤髪セミロングの少女が跳ねるように降りた。
赤い瞳が鋭く光り、門から屋敷、そして庭までを挑むように見渡す。
「遠路、よくぞお越しくださいました。不死身の魔星殿」
玄関先でセバスチャンが深く一礼する。
「渾名は要らん。名はバルドランでよいぞ?」
低く穏やかな声に、少女がふんと鼻を鳴らす。
「師匠、挨拶なんかどうでもいいから。時間がもったいないわ」
セバスチャンは口元に笑みを残し、手で庭を示した。
「せっかちな奴じゃのう……」
「本日の試しは庭にて。お嬢様がすでにお待ちです」
◆
庭には、金の髪を陽光に透かす少女が立っていた。
その琥珀の透き通るような瞳がきらりと光を返す。
「ようこそなのです!」
弾むような声。
その瞬間、バルドランの胸に微かな疼きが走る。
声の澄み方。
目の奥に宿る、あの光。
あの日、死の淵で見た“希望”が、形をもって現れた気がした。
(……まさか。儂を救った、あの赤子……?)
胸の奥が、静かに熱を帯びた。
「こちらが、魔導師バルドラン殿。そして弟子のリカリーネ様です」
セバスチャンが丁寧に紹介する。
「バルドランさん……!」
ナユが驚いたように声を上げる。
彼女の顔に広がる安堵と喜び――
それを見て、老魔法使いの目が細くなった。
「……覚えておるのか?」
「もちろんです!助かってくれて、よかったのです!」
その言葉に、バルドランの喉が詰まる。
あの夜、胸を貫いた痛み。
息が続かず、世界が遠のいていった時――確かに、光が包んだ。
誰かが“生きろ”と願ったように。
「……そうか。あの時の赤子が、ここまで……」
老魔法使いは、少しだけ震える手で杖を支えた。
静かに息を吐く。
「奇跡は確かにあった。――あの日、儂はおぬしに救われた」
バルドランは静かに杖を地に立てた。
長い旅路の疲れを隠したまま、琥珀の瞳を見つめる。
「奇跡の子よ。今度は儂が、その力を確かめさせてもらおう」
「分かったのです!」
ナユが胸を張る。
陽を浴びてきらめく金髪が、ふわりと揺れた。
「セバスチャン、段取りを!」
「はっ」
執事が一礼し、静かに下がる。
恭しく片手を差し伸べて告げた。
「お嬢様の力、どうかお見せください」
「任せるのです!」
ナユは小さく息を整え、掌を組んだ。
「光環よ、重なりて護れ――《プロテクト・サークル・トリプル》!」
光が地を走り、三重の輪が庭を包む。
透明な膜が張られ、空気が澄んで震えた。
葉の影までも、静かな光を帯びる。
「三重結界を、そんな短い詠唱で……!?」
リカリーネの赤い瞳が細められた。
わずかな驚きが混じる。
「ふん、守りから入るタイプね」
「安全第一なのです!」
ナユが笑う。
その無邪気さに、リカリーネは唇を吊り上げた。
「じゃあ——攻めるだけよ!」
紅い髪が舞う。
掌を前に突き出し、完全詠唱が流れる。
「炎よ、我が手に宿り、紅蓮の牙を成せ――《フレア・ファング》!」
紅の牙が、唸りを上げて突き進む。
空気が焼け、芝が黒ずむ。
「光、流れ導け――《レイ・エッジ》!」
ナユの詠唱短縮。
白い線が閃き、炎の芯を断ち切った。
熱が逸れ、火花が結界に吸い込まれて消える。
「……芯だけ切った?馬鹿な」
「燃える場所を変えるだけなのです!」
ナユが軽くウインクをした。
挑発気味な笑み。
「理屈はいいわ。力で押す!」
リカリーネが踏み込み、詠唱を続ける。
「炎槍よ、穿ち、燃え尽くせ――《フレア・ランス》!」
突撃槍のような炎が次々と放たれる。
四、五、六。
紅の雨がナユめがけ降り注いだ。
「軽く速く――《ブースト》!」
ナユの足元が弾けた。
芝を乱さず、影が三つ四つに分かれる。
光刃が連続で閃き、炎の芯を順に切り払う。
「速っ……!」
リカリーネが食いしばる。
詠唱を断ち切り、至近へ突進する。
「近い方が得意よ!」
掌に紅が灯る。
熱が跳ねた瞬間、ナユが囁いた。
「もう一段、軽く――《ブースト》!」
空気が弾け、白い軌跡が入れ替わる。
次の瞬間、ナユはリカリーネの背後に立っていた。
「ここなのです」
指先が肩を軽く突く。
風が抜け、熱が空に散った。
「……っ!」
リカリーネが振り返る。
赤い瞳に、悔しさと僅かな尊敬が混じる。
「そこまで!」
バルドランの杖が地を打つ。
熱気が引き、風が戻る。
庭の空気が穏やかに沈んだ。
◆
静寂。
リカリーネが息を吐き、汗を拭う。
ナユは胸に手を当て、にこりと笑った。
「楽しかったのです!」
「……次は負けないわ」
「次も全力で受けるのです!」
バルドランが歩み寄り、穏やかに頷く。
「儂を救った命の恩人が、ここまで強くなったか……感無量じゃ」
その瞳は、懐かしさと誇りに満ちていた。
「明日から正式に指導を始めよう。おぬしの“光”を見極めるためにな」
「はいなのです!」
セバスチャンが深く頭を垂れる。
「本日も見事でございました」
風が芝を撫で、三人の影が伸びて重なった。
「今日の記録:バルドランさんとリカちゃん来訪。アニシアとの戦いとは違って、初めての本気勝負。《プロテクト・サークル・トリプル》《ブースト》《レイ・エッジ》を使用。無傷で対応成功!明日から魔法指導開始予定。のんびり暮らすためにも、強くなるのです!……日報完了。」




