第59話《救出》
夜の塔は、沈黙そのものだった。
外では王都の混乱が続き、塔の守りも薄くなっていた。
遠くで鐘の音が響き、それに紛れて誰かの足音が石段を上ってくる。
ミナは部屋の隅で膝を抱えていた。
昼間、監督役に言われた言葉が頭から離れない。
「赤子はもう不要だ。夜が明ける前に処理しろ」
震える手で鍵を握る。
扉の向こう――寝台の上でナユは静かに眠っていた。
その顔を見るたびに、胸の奥が締め付けられる。
「……わたしには出来ないよ……」
小さく呟いても、返事はない。
ただ、寝息が静かに続いていた。
その時だった。
風が窓を揺らす。
外の闇が一瞬だけ流れた。
ミナは顔を上げる。
誰かが屋根を歩いている――そんな気がした。
塔の壁を伝う影が、月明かりに一瞬だけ浮かぶ。
「……だれ?」
言葉が漏れた瞬間、扉の外で短い金属音がした。
守衛の鎧が床を打ち、続いて息を呑む音。
すぐに静寂。
次の瞬間、扉の取っ手がゆっくりと回る。
ミナは反射的に立ち上がり、ナユの前に立った。
「こ、こないで!」
扉が開く。
そこに立っていたのは、漆黒の礼服を纏った男。
銀髪を後ろで束ね、冷たい光を宿した瞳。
「……安心を。敵ではありません」
低く落ち着いた声。
セバスチャンだった。
ミナは言葉を失う。
だが、その視線の奥に、確かな“温度”を感じた。
「この子を……助けに?」
「ええ。ナユ様をお迎えに上がりました」
その一言で、全てが分かった。
ミナは鍵を差し出す。
震える手で、必死に言葉を絞り出す。
「……お願い、助けてあげて。私、もう……やりたくない……殺したくない!!」
セバスチャンは静かに頷いた。
その仕草には、非難も疑いもなかった。
「君の名は?」
「……ミナ」
「覚えておこう。罪は消えないが、贖う道はある」
その声に、ミナは涙をこらえた。
セバスチャンは寝台に歩み寄り、ナユをそっと抱き上げる。
その瞬間――
塔の外で、笛のような音が鳴った。
合図。
静かに、確実に仕組まれた撤退の合図。
「……もうすぐ夜明けです。ここは危険です。離れますよ」
ミナが頷く。
彼女の手を取ると、セバスチャンは窓へと歩いた。
外には冷たい風と夜の街が広がっている。
彼は片手でナユを抱え、もう片方の腕でミナを庇うように抱き寄せた。
次の瞬間、彼らの姿は月影とともに塔を離れた。
◆
風を切る音の中、ミナは必死に目を閉じていた。
抱えられている感覚が、あまりにも速い。
でも、確かに暖かい。
その腕の中で、ナユが小さく指を動かした。
目を閉じたまま、小さな声で――
「……ただいま、って言いたいな」
風が、それを優しくさらった。
「今日の記録:救出。ミナという子に守られた。セバスチャンが来てくれた。風が気持ちよかった。帰れると思ったら、なんか泣きそうになった。日報完了。」




