第58話《裁定》
王都の朝は重かった。
曇天の下、城の鐘がゆっくりと八つを告げる。
王城の中庭には近衛兵が列をなし、その中央に、一人の男が立たされていた。
ロスルド大臣。
王命を偽り、赤子を誘拐した罪――その証拠は、昨夜匿名で届けられた書簡とともに明らかとなった。
「ロスルド・バルネス。貴殿の名において下された命令は、王印を偽造したものと断ずる。弁明はあるか」
宣告官の声が冷たく響く。
ロスルドは青ざめた顔で震え、なおも口を開いた。
「違う、私は……王のために……!」
だが、言葉は途中で途切れた。
地面に叩きつけられた書簡。
その端に、誰も知らぬはずの筆跡があった。
――“真実を曲げる者に、知を扱う資格はない”。
署名はなかった。
だが、誰もがその筆跡を知っていた。
フェルネ。
◆
その頃、王立塔の上階。
フェルネは衛兵に囲まれながら、静かに机の上の記録盤を見つめていた。
あの夜――神律に触れた瞬間の記録が刻まれたそれは、今も青白く微かに光を放っている。
「……あれを見た者は、私ただ一人。ならば、私の罪で終わらせよう」
衛兵が彼の腕を取る。
フェルネは抵抗せず、静かに歩き出した。
「学者フェルネ・クライン。命令違反および不正観測の罪により拘束する」
宣告が下る。
だが、その横顔には不思議な安堵があった。
「罪は認めよう。……だが、あの子に触れるな。あれは人の領域のものではない」
誰も答えなかった。
◆
夜が訪れる頃、塔の下層。
暗い石の廊下を、小さな影が歩いていた。
ミナ。
まだ幼いが、その手には小さな鍵束が握られている。
「言われた通り、赤子を見てこい。汚すな。泣かせるな」――昼間、監督役に命じられた言葉が頭にこびりついていた。
扉の前に立ち、そっと開ける。
部屋の中には灯が一つだけ。
寝台の上で、ナユが静かに眠っていた。
近づいて見た瞬間、ミナは息を呑んだ。
泣いていない。
怯えてもいない。
ただ、穏やかな顔で寝息を立てている。
「……なんで、こんなに静かなの……」
思わず呟く。
その声に、ナユが微かに瞬きをした。
目が合う。
その瞳は、どこまでも澄んでいた。
――その一瞬、胸が痛んだ。
「……わたし、何してるんだろ」
呟いた時、外で風が鳴った。
塔の屋根の上――誰かが立っている。
月を背にしたその影は、長く、静かに佇んでいた。
ミナは気づかない。
けれど、その瞬間、塔の空気がわずかに張り詰めた。
◆
翌朝。
塔の外では、衛兵たちが走り回っていた。
大臣拘束、学者連行、命令系統の崩壊。
塔の管理者たちは混乱し、命令が降りてこない。
だが、その喧噪の中――誰も知らぬうちに、塔の最上階の窓がわずかに開いていた。
そこから吹き込む風が、寝台のカーテンを静かに揺らす。
ナユはまだ眠っている。
けれど、その寝息の奥で、小さな光がふわりと揺れた。
――風が、運んでくれる。
「今日の記録:塔の夜。誰かが見に来た。泣かずにいられた。外で風が鳴ってた。……なんだか、少しだけ温かかった。日報完了。」




