第57話《秘匿》
朝の冷気が塔の石床に溜まり、音を吸いこんでいた。
観測室の窓には昨夜の明滅の名残が、かすかな曇りとなって残っているように見えた。
フェルネは封印した記録盤を両の掌に載せ、しばし目を閉じた。
あの揺らぎは魔力ではない。
式でも説明できない。
――神律に僅かに触れられた。
「……これは、人に扱わせてはならぬ」
独り言は石壁に吸われ、朝の静けさへ沈んだ。
◆
扉が叩かれ、若い秘書が顔を覗かせた。
手にはロスルド大臣の印が押された命令書。
「昨夜の件、詳細報告を求むとの事です。“成果の提示”を――」
「報告は私が整える。機器の誤作動として記す」
即答に、秘書は言葉を失った。
「で、ですが――」
「下がりたまえ」
静かな一言に、秘書は頭を下げて退いた。
◆
フェルネは机に戻り、羽根筆を取った。
報告書の一行目に、淡々と綴る。
観測装置、深夜二時に過負荷。
原因不明。
再現不能。
誤作動として処理。
筆先が止まる。
紙の余白が白く、冷たい。
「……真実は、ここには書かない」
彼は記録盤に三重の封印符を重ねた。
王命でも解けぬよう術式を組み替え、封印庫へ納める。
鍵を掛け、さらに封蝋を押す。
「神がこの子に与えたものなら、王にも渡さぬ」
その言葉は祈りに似ていた。
◆
塔の下層。
小部屋の寝台で、幼い寝息が規則正しく続いていた。
ミナは毛布の端を直し、そっと額の汗を拭う。
「……大丈夫、だいじょうぶ」
フェルネは敷居で足を止め、二人の姿を見つめた。
己の好奇心が、この安らぎを脅かした事実が胸を刺す。
「すまない」
誰にも聞こえない声で呟き、踵を返す。
◆
書庫へ戻ると、フェルネは引き出しの底板を外した。
そこに薄い封筒を置く。
内には命令書の写しと、指示系統の控え、誘拐に関わった名の列。
封筒の表には差出人を記さない。
「罪は罪だ。私も逃げぬ。だが、知は悪に渡さない」
灯を吹き消し、陰に沈む。
封筒は、夜のうちに然るべき場所へ運ばれる手筈だ。
◆
窓の外で朝鐘が鳴り、王都が目を覚ます。
塔の上では、ただ一人の学者が静かに決めた。
神律に触れた事実は、己の胸にのみ秘す。
王にも、大臣にも告げない。
この力は――あの子に許されたものだ。
それに、意味のある事なら、それを導くのが大人の役目だ……。
「学者記録:観測異常を封印。王への詳細報告は打ち切り。神律介在の推測は私的覚書に留め、口外せず。命令系統の証拠一式を匿名送付。……責は後日、私は受ける。記録完了。」




