第56話《聖律》
王都の夜を切り取るように、天文塔の上層が青白く明滅した。
観測魔導陣の符が一斉に震え、空気が低く唸る。
「……反応値、上昇。これは……魔力か?」
若い観測官が顔を上げる。
だが、隣の主任がすぐに首を振った。
「違う。魔力ではない。波形が……理そのものを揺らがせている」
盤上に刻まれた光点が、次々と軌跡を描いては消える。
それはまるで、世界の法則が一瞬だけ書き換わったかのようだった。
主任は唾を飲み込み、低く呟いた。
「干渉式が……成立していない。式そのものが変化している……?」
魔法では説明できない。
だが確かに“何か”が起きた。
◆
下層の監察室では、フェルネがその記録を眺めていた。
光盤に刻まれた線が、ゆっくりと螺旋を描く。
それはどこか、音のようでもあり、律動のようでもあった。
「見えぬ手が……理をなぞったか」
フェルネの声は震えていた。
長年、学問として理術を研究してきた彼でさえ、初めて見る現象だった。
“それ”は魔力でも神聖でもない。
ただ、世界の法に触れた何か。
まるで“因果の糸”が、静かに結び直されたような感覚。
背後の助手が慌てて声を上げる。
「記録が追いつきません!現象が……止まりました!」
「よい。記録はここまでだ」
フェルネはゆっくりと立ち上がる。
目の前の光盤には、最後に微かな軌跡が残っていた。
円を描くような線。
それは、まるで世界が自ら呼吸しているかのように脈動していた。
「……因果が、一瞬だけ動いた。だが、誰の手によるものか」
フェルネの瞳が細く光る。
その奥にあるのは畏れでもあり、興奮でもあった。
――この世界には、まだ知られぬ“理の鍵”がある。
その夜。
王都の人々は何も知らずに眠り、
ただひとり、学者だけが震える手で報告書を書き留めていた。
「学者記録:観測魔導陣、深夜二時に異常反応。魔力反応は皆無。干渉式不成立。因果構造の一部が再編された形跡あり。……解析不能。」




