第51話《幽閉》
薄暗い袋の中は、思ったより冷たく、外の光はほとんど入って来なかった。
布が顔に被さって、匂いだけが世界を満たす。
息をすると、綿の繊維が鼻に触れてむせる。
ナユは目を閉じたまま、心の中で数え始めた。
今が何時で、どれだけ経ったか。
呼吸のリズムを整え、鼓動を聞く。
――焦ってはダメだ。
外では馬の蹄の音が遠ざかったり近づいたりする。
それが屋根を渡る時、微かに風が動いた。
誰かの声。
多分指示。
だが彼らは、自分が何者かまでは知らない。
ナユはじっと時間を測る。
手の内にあった小さな光の粒も、麻袋の中では小さく震えるだけだ。
願いは今、使わない。
使えば簡単に逃げられる。
だが、それでは敵の正体や、裏で手を引く者を明らかにできない。
――家族を守るには、情報が要る。
小さな体だが、頭の中は冷静だった。
あえて捕まる。
その理由を、何度も自分に言い聞かせる。
心の中で何度も繰り返す。
セバスチャンが必ず動く。
あの人は、決して諦めない。
だからこそ、目立たない方法で敵を誘い出す。
袋の中で、ナユは小さく自分の指を動かした。
それは本当にわずかな動きだ。
だが、自分の中では合図の一つだった。
冷静でいる為の、小さな合図。
外の声が近づく。
「荷物を急げ」「城へ連絡を」「この子は汚れないよう扱え」――低く命令する声。
命令には焦りが混じり、裏を読む余地がある。
この声のトーン。
言い回し。
聞き取り、メモに記憶する。
ナユの頭の中は、会社で鍛えた“メモの癖”でいっぱいだ。
誰が、どんな言葉を使ったか。
時間。
足音の速さ。
外套の擦れる音。
靴の底のこすれる音。
全てが後で役に立つ情報となる。
袋を抱える腕が揺れる。
誰かが麻袋をぶら下げ、走り出す。
外の風が時々、箱の隙間から入り、顔に触れる。
その風で、遠くで鐘を打つ音が聞こえた気がした。
――あそこで時間を測っている。
良い。
早足で移動する感触の中、ナユはもう一度決める。
ここで泣いてはいけない。
ここで暴れてはいけない。
むしろ静かにして、相手を油断させる。
袋の中の闇は深く、耳に届くのは足音、衣擦れ、たまに同乗者の息だけだった。
だが、その間に得られる情報は確かに増えていく。
どの路を通るか。
停まる地点。
会話の抜け。
全て頭の中に刻む。
しばらくして、荷車に揺られる感触がして、木の軋む音。
誰かが扉を閉める。
暗い箱の中に放り込まれた時、体が大きく揺れた。
目の前に、微かな匂いの違い。
城側の匂いではなく、郊外の干し草の匂い。
――荷車の外に出された。
良し。
外の音が変わる。
人々の声は減り、夜風の音が強まる。
馬の蹄のテンポも変わり、進む速度が落ちる。
ここで、敵は何かを確かめるのだろう。
袋の中で、ナユはもう一度深呼吸をする。
静かに目を閉じ、頭の中でメモを整理する。
「二人組。赤黒の衣。言い回しは“保護”を前面に。声の主は低めで ‘城へ報告’ とあった」
――これを忘れない。
どれくらい経ったか、ナユには分からない。
しかし、冷たい空気の中で、ふと足が止まる。
その瞬間、外で短く叫び声が上がった。
叫びはすぐに止み、慌ただしい足音が動き回る。
誰かが近づいて来る。
袋ごと揺すられ、重い手が触れる。
その手の甲に、見覚えのある紋章が無いか注意深く探る。
指先で確かめると、細い金の糸が布に織り込まれている感触があった。
――王城の紋?しかし、微妙に違う。
これも大切な情報だ。
ナユは心の中で、すべてを記録していく。
どんな小さな事も無駄にしない。
やがて、誰かが袋を下ろす。手足を伸ばす余裕が出てきた。
その手の動きで、そっと布をめくる。隙間から冷たい夜の空が見えた。
まぶしさに目を細めながら、ナユは目を開けたふりをする。
だが、声は出さない。
出せば危険がある。
黙っている事で、相手が安心するなら、それも作戦の一部だ。
目の前には、布で顔を隠したままの顔がゆっくりと近づく。
その目は鋭く、年齢は読めない。
ずっと下を見ている。
小さな声で、相手はつぶやいた。
「上手く行った。早く城へ送れ」
その声を聞いて、ナユは心の中で小さくほほえんだ。
――もう少しだ。
あと少しで、全部分かる。
手が再び袋を引き上げられる。
暗闇に押し戻されると、遠くで鐘が鳴ったのが聞こえた。
鐘の刻みは、確かに城の時間の合図になる。
メモは増える。
闇の中で、ナユは眠りに落ちたふりをした。
だが、内心は目一杯働いていた。
全ては家族の為に。
薄れていく意識の端で、ナユは一つだけ約束する。
――この平穏を守る。
外の音が遠ざかる。
荷車が走り去った。
風だけが、冷たく頬を撫でる。
小さな体の中で、赤ん坊の心と、元サラリーマンの頭脳が静かに火を灯していた。
「今日の記録:囚われ。静かな移動。声と足音を覚えた。紋章は金糸。まだ分からない事が多いが、情報は取れている。……日報完了。」
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