第40話《王威》
夜の王都。
王城から遠く離れた屋敷街の一角で、空気が一瞬震えた。
見えない衝撃が、闇を薙ぐように広がる。
“それ”は音もなく、だが確実に存在を主張した。
黒衣の私兵達は悲鳴を上げる暇もなく、全身を硬直させて地に伏した。
呼吸が荒く、喉の奥で言葉にならない呻きが漏れる。
「っ……な、なんだ……これは……!」
体が動かない。
恐怖が骨にまで染み込み、思考を掻き消していく。
目に見えぬ圧力が、魂そのものを押し潰そうとしていた。
――“王の前に跪け”。
そんな幻聴が、脳裏に直接響いた気がした。
それは威圧ではない。
威光だった。
絶対の格差を突きつける、“支配者の呼吸”。
◆
屋敷から少し離れた、王都北区。
厚いカーテンで覆われた一室に、慌てた足音が響く。
「だ……大臣……報告を……!」
男は額から汗を流しながら、震える声で言葉を搾り出した。
「我々の部隊が……全員、膝を折りました。攻撃された形跡はなく、ただ、恐怖だけを植え付けられ……!」
ロスルド大臣は手元の書類を止め、ゆっくりと顔を上げた。
炎の明かりが瞳に映り、ゆらりと揺れる。
「……“恐怖”だけ、か。見えない圧……意識を奪われるような……」
「は、はい。まるで、“王”の前に立ったような……」
その言葉に、ロスルドの眉がわずかに動いた。
掌の上でペンを転がしながら、低く呟く。
「……“王威”。」
机に指を立て、トントンと軽く叩く。
静寂が落ちる。
男は息を呑んだ。
「あの執事か……」
ロスルドは口角を吊り上げ、低く笑う。
「ふん……流石、元暗部の頂点。だがな――私も、ただの官僚ではないぞ」
書類を握り潰し、蝋燭の炎を吹き消した。
闇の中に、微かに紫の魔力が滲む。
◆
そこへ、背の低い学者風の男が扉を叩かずに入ってきた。
灰色の髪に、金縁の丸眼鏡。
フェルネ――宮廷顧問官にして、王の秘書的存在。
「ロスルド殿。お顔が怖いですぞ。また胃を痛めますよ」
「フェルネか。こんな時間に何の用だ」
「例の赤子の件です。現在の技術では取り除く事が不可能な、死灰の毒を治したという……あの子。少しばかり、私も興味がありましてね」
その声は柔らかいが、瞳の奥には一瞬だけ鋭い光が走った。
「……貴様、まさか“調べる”気か?」
「学者の性分です。――本当に“奇跡”等という神域の力が存在するならば、学術的にも放ってはおけません」
ロスルドは鼻を鳴らし、椅子を回して窓の外を見る。
夜風が帳を揺らした。
「勝手にしろ。だが、深入りはするな」
「ふふ。ご忠告、ありがたく」
フェルネは軽く頭を下げて部屋を出ていく。
扉が閉まる瞬間、ロスルドは小さく息を吐いた。




