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神様の手違いで死んだ社畜おっさん、まずは自由を願い、次に明日を願う!TS転生し美少女に!最強チート《願い》は一日一回だけど万能です!異世界スローライフで世界も人も未来も救ってみせます!  作者: 兎深みどり
第八章《王都クーデター編》

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第384話《悪魂》

 扉が閉まった。


 外の剣戟が、厚い扉の向こうで遠くなる。


 ナユは一人、部屋の中に立っていた。


 薄暗い部屋だった。


 厚いカーテンが窓を覆い、昼の光をほとんど閉じ込めている。


 白い机。

 倒れた花瓶。

 床に散らばった紙。


 そして、その奥にアニスがいた。


 アニシア・ユラ・アンダルシアン。


 ナユの友達。


 アニスは椅子に座ったまま、ゆっくりと顔を上げた。


 白い頬。

 整った唇。

 人形のように綺麗な姿。


 けれど、その目は濁っていた。


「……ナユ……」


 小さく、名前を呼ぶ。


「アニス」


 ナユが一歩近づいた。


 その瞬間、アニスの表情が変わった。


 まるで、何かのスイッチが入ったように。


 ぼんやりしていた瞳に、作られたような光が宿る。


 唇が吊り上がる。


 それは、ナユが知っている優しい笑みではなかった。


「まあ」


 アニスは、ゆっくりと立ち上がった。


「本当に来ましたのね」


 声が変わっていた。


 甘く。

 冷たく。

 高い場所から見下ろすような声。


「お久しぶりですわ、ナユ様」


 ナユは足を止めた。


 アニスは白いドレスの裾をつまみ、優雅に礼をする。


 その仕草だけは完璧だった。


 公爵令嬢として。

 王都の貴族として。

 誰よりも美しく振る舞う者として。


 けれど、そこにアニスはいなかった。


「ずいぶん立派になられましたのね。辺境伯。王立学園の有名人。魔王国から帰ってきた英雄……」


 アニスは笑う。


「どこへ行っても、皆があなたを見ますのね」


「アニス……」


「その名前で呼ばないでくださる?」


 鋭い声が飛ぶ。


 ナユの胸が、小さく痛んだ。


 アニスは口元に手を当て、くすりと笑う。


「馴れ馴れしいですわ。私とあなたは、もう子供ではありませんもの」


「アニス」


「聞こえませんでしたの?」


 アニスの声が、さらに冷たくなる。


「私は、アニシア・ユラ・アンダルシアンです。公爵家の娘。王都を導く者。あなたのように、都合よく人の心へ入り込む者とは違いますわ」


 ナユは何も言わなかった。


 アニスの言葉は酷い。


 ナユを傷つけようとしている。


 だが、ナユは見ていた。


 アニスの事を。


 アニスは笑っている。


 口元だけは、綺麗に笑っている。


「あなたはいつもそうですわ」


 アニスは続ける。


「何もかも手に入れる。誰からも好かれる。誰もがあなたを助ける。あなたが少し困った顔をすれば、皆が手を差し伸べる」


 声は甘い。


 けれど、震えていた。


「私のことなど、忘れていたのでしょう?」


「忘れていません」


「嘘」


 即座に返ってきた。


「嘘ですわ。あなたは私を置いていきました。学園へ行き、魔王国へ行き、新しい友達を作り、新しい居場所を作った」


 アニスの指先が震える。


「私は、ここにいたのに」


 ナユは息を呑んだ。


 アニスの言葉は、刃のようだった。


 だが、その刃はナユだけではなく、アニス自身も傷つけている。


「アニス……」


 ナユが言った。


 アニスの動きが止まる。


「なぜ、そんな酷いことを言っているのに、泣いているのですか?」


「……泣いてなど」


 アニスは頬に触れた。


 指先が濡れる。


 その瞬間、表情がわずかに崩れた。


「違う……」


 アニスの声が揺れた。


「違いますわ。私は泣いてなどいません。私は怒っているのです。私は、あなたを……」


 言葉が詰まる。


 アニスの唇が震えた。


「あなたを……」


 殺したい。


 その言葉が、喉の奥まで上がっているようだった。


 けれど、出ない。


 アニスの手が胸元を押さえる。


「いや……」


 小さな声が漏れた。


「違う……違うの……」


『感情反応が急激に乱れています』


 ミラの声が響く。


『怒り、愛着、拒絶、恐怖、保護欲。複数の感情が衝突しています』


(アニスは、私を傷つけたくないのですね)


『その可能性が高いです』


 ナユは一歩踏み出した。


「アニス。大丈夫です。私はここにいます」


「来ないで!」


 アニスが叫んだ。


 床に散らばっていた紙が、黒い風に巻き上げられる。


 部屋の中の空気が変わった。


 甘く濁った匂いが濃くなる。


 灰。

 花。

 腐りかけた果実のような甘さ。


 アニスの足元に、黒い紋様が浮かび上がった。


 丸い魔法陣。


 その周囲に、細い文字が走る。


 ナユは見たことのない文字だった。


 だが、嫌なものだとはすぐに分かった。


『術式展開を確認』


 ミラの声が硬くなる。


『闇属性。階梯上昇処理あり。通常の成長ではありません』


(ロスルドの仕掛けですか?)


『可能性が高いです。対象の魔力回路に、長期的な薬物強化の痕跡があります』


 ナユの目が細くなる。


 この数年。


 アニスの心だけではない。


 魔法まで、無理やり変えられていた。


『闇魔法の階梯が、強制的に引き上げられています』


 ミラが続ける。


『代償は生命力、および魂の一部。危険です』


 アニスは胸を押さえながら、涙を流していた。


 それでも口元は、歪んだ笑みを作ろうとしている。


「そうですわ……私は、王都を守る者……私は、臨時評議会の旗印……私は……」


 言葉が壊れていく。


「ナユを……」


 アニスの瞳から、さらに涙が落ちる。


「ナユを、殺して」


 次の瞬間、別の声のように、かすかな願いが漏れた。


「……殺さないで……」


 ナユの胸が締めつけられた。


 二つの想い。


 ナユを殺せという命令。


 ナユを殺さないでという本心。


 それが、アニスの中でぶつかっていた。


 魔法陣が黒く輝く。


 アニスの影が、床から立ち上がった。


「第七階梯」


 アニスの唇が勝手に動く。


「《デモンズ・ソウルズ》」


 黒い魔法陣が裂けた。


 そこから、一人の男が現れた。


 黒い燕尾服。

 白い手袋。

 整えられた碧の髪。

 ありとあらゆるものを見通す、髪と同じ色の瞳。

 長い耳。

 漆黒の角。

 そして、片手に添えられた黒い帽子。


 悪魔。


 だが、獣のような姿ではない。


 飄々とした紳士のような姿だった。


 悪魔は帽子を取り、優雅に一礼した。


「ごきげんよう、お嬢様」


 その声は柔らかかった。


 まるで、舞踏会の始まりを告げる執事のように。


 アニスは震える手を伸ばす。


「命令しますわ……」


 声が震えている。


「ナユを……殺して……」


 すぐに、別の声が混ざる。


「殺さないで……」


 悪魔は首を傾げた。


「これはこれは」


 楽しそうに笑う。


「実に矛盾したご命令です」


 ナユは構えた。


 悪魔の気配は、軽い。


 飄々としている。


 だが、底が見えない。


 ただ立っているだけで、部屋の温度が下がっていく。


 アニスはさらに苦しそうに胸を押さえた。


「お願い……命令を……」


 悪魔はアニスを見た。


 そして、少しだけ残念そうに微笑む。


「申し訳ございません、お嬢様」


 アニスの瞳が揺れる。


「貴女からは、もういただけるだけの魂がありません」


 ナユの呼吸が止まった。


「なので、命令は聞けません」


 その言葉が落ちた瞬間。


 アニスの体から力が抜けた。


 糸の切れた人形のように、前へ崩れる。


「アニス!」


 ナユが駆け出す。


 アニスは床に倒れた。


 白いドレスが乱れ、細い腕が投げ出される。


 頬は青白い。


 唇から、かすかな息が漏れている。


 まるで、魂まで絞り取られた後のようだった。


 ナユはアニスへ手を伸ばそうとした。


 だが、その前に悪魔が杖を床へ突いた。


 こつん。


 軽い音。


 それだけで、黒い壁がナユとアニスの間に立ち上がった。


「おっと」


 悪魔は微笑む。


「契約は不成立。ですが、門は開いてしまいました」


「どいてください」


 ナユの声は低かった。


「アニスを助けます」


「それは困りました」


 悪魔は帽子をかぶり直す。


「私も、ただ帰るわけには参りませんので」


 ナユは拳を握った。


 魔力が全身を巡る。


 身体強化。


 光属性。


 闘気。


 竜言語魔法の構造が、奥で震える。


『敵性存在を確認。分類、悪魔系召喚体』


 ミラの声が響く。


『対象は第七階梯闇魔法デモンズ・ソウルズによって出現。術者の制御下にはありません』


(倒します)


『全力戦闘を推奨します』


 ナユは、黒い壁の向こうで倒れているアニスを見た。


 まだ息はある。


 まだ助けられる。


 なら、迷っている時間はない。


「アニスを返してください」


 悪魔は楽しそうに目を細めた。


「できるものなら」


 黒い影が、悪魔の背後で翼のように広がる。


 ナユの足元に、光が灯った。


 次の瞬間。


 ナユは全力で踏み込んだ。



「今日の記録:アニスの部屋へ入りました。アニスは私に酷い言葉を言いました。でも、泣いていました。本当は言いたくないのだと分かりました。ロスルドが仕掛けたものが発動し、アニスは第七階梯デモンズ・ソウルズを使わされました。悪魔が現れました。アニスは、私を殺してほしい気持ちと、殺さないでほしい気持ちの両方で苦しんでいました。悪魔は、アニスにはもう差し出せる魂がないと言いました。アニスは倒れました。私は、悪魔と戦います。日報完了」

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