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赤い影

 その波形を見た瞬間、三人とも言葉を失った。

「……何これ」

 韓国が最初に呟く。

 それはロシアの反応に似ていたがロシアではない。

 もっと重い。

 もっと赤い。

 もっと古い。

「……戻ったのね」

 中国が低く言う。

「いや」

 日帝が否定した。

「戻ったんじゃない」

「じゃあ何」

「出てきた」

 その一言に、空気が重く沈む。

 国家が少女として生き、歴史が能力として再現される以上、終わったはずのものが別の形で蘇ることもあり得る。そして今のロシアはおそらくその一種だ。

 次の瞬間、日帝はもう立ち上がっていた。

「行く」

「待ちなさい」

 中国が言う。

「今のあなた、一人で行ってどうするの」

「見てくるだけでも」

「駄目」

 中国の声は強かった。

「今のは見るだけで済む反応じゃない。韓国」

「分かってる」

 韓国もすでに立ち上がっている。

「行くなら私も行く」

「あなたは止めないの?」

「止めて聞く顔してる?」

 韓国の返しに、中国は舌打ちした。

「ほんと、面倒な国ばっかり」

「お互い様」

 その会話の最中、外側から冷気が流れ込んできた。まだ距離がある。

 なのに、もう分かる。

 ロシアの冬将軍とは別種の冷たさだ。

 凍る、というより、削がれる。

 中国も無理やり立ち上がるそれを見て日帝が心配そうに言う。

「……無理しないで」

「今日その台詞、何回目?」

「覚えてない」

「でしょうね」

 韓国が片眉を上げる。

「いちいち止めてる時間ある? もう来るわよ」

 その言葉通りだった。

 さっきまで“凍った戦場”だった場所は、もはや別の国の領域に近かった。

 空気が赤い。

 正確には空気そのものが赤いわけではない。だが、薄い赤の靄が辺りを覆い、その中で冷気とは違う圧が脈動しているように見える。

 道路は凍りついたままなのに、その亀裂の間から黒い影が蠢いていた。

 兵士だ。

 まだ半透明に近いが、数が多い。

 そして、その中心に少女が立っていた。

 色白だった肌は血を思わせる赤みを帯び、瞳は完全な深紅に変わっている。ロングコートはそのままだが、纏う空気が別物だった。

 ロシアの形をしているが、ロシアとは別物だった。

「……計画、開始」

 低い声。

 重い。

 抑揚がほとんどないくせに、聞いた瞬間に背筋を冷たく這い上がってくるような嫌悪感がある。

 中国が息を呑む。

「嘘でしょ……」

 韓国も顔をしかめた。

「何よ、あれ」

 日本は一歩前へ出る。

 その瞬間、赤い少女がこちらを向いた。

 深紅の瞳が、日本、韓国、中国を順番に捉える。

 その視線は感情を持たない。

 評価だけをする機械のように冷たい。

「……確認」

 少女が呟く。

「日本、中国、韓国」

 日本の喉がわずかに締まる。

「ロシアじゃない」

 中国がはっきりと言った。

「ええ」

 韓国も同意する。

「少なくとも、今私たちが知ってるロシアじゃない」

 少女はその言葉に何も反応しない。

 ただ一歩、前へ出る。

 その足元から、赤い影がさらに増える。

「っ……!」

 韓国が反射で走った。

 速い。

 相手が誰であれ、まずは反応を見てから最適解を組み上げる。それが韓国の戦い方だ。

 高速で側面へ回り込み、まずは顔面への一撃。

 確かに当たった。

 骨に響く手応えもあった。

 なのに。

 少女は微動だにしなかった。

「……は?」

 韓国の口から間の抜けた声が漏れる。

 次の瞬間、少女それはもうロシアではなく、別の何かがゆっくりと顔を向ける。

「影響なし」

 低い声。

 同時に足元の影が膨らみ兵士たちが一斉に立ち上がった。

 韓国が咄嗟に飛び退く。

「中国!」

「分かってる!」

 万里の長城が前方に展開され、兵士たちの進路を切る。だがその影の兵士たちは、ただ壁にぶつかって止まるのではなかった。

 数が減らない。

 むしろ、地面の裂け目から次々に補充されていく。

「増えてる……!?」

 韓国が叫ぶ。

 中国の顔色がさらに悪くなる。

「何よこれ……冗談じゃない」

 日帝は少女を真っ直ぐ見ていた。

 あの時、ロシアの中から現れかけた別の歴史。

 それが今、形を得て目の前に立っている。

「……ソ連」

 日帝の口から、その名が零れた。

 中国と韓国が同時に日本を見る。

「知ってるの?」

「断定はできない。でも……」

 日本が瞳を細める。

「この気配は、それしかない」

 【ソビエト連邦】数十年前に崩壊したはずの巨大国家。それが今、ロシアの内側から蘇っている。

「計画継続」

 少女ソ連がそう告げた瞬間、兵士たちが一斉に動いた。ただ多いだけではなく足並みが揃っている。統率されている。

 それぞれが個体として強いわけではないのに、数と配置そのものが圧力になっていた。

「っ、うざ……!」

 韓国が連撃で数体を吹き飛ばす。

 だが倒した端から次が湧く。

 中国の壁も、正面からの波状突撃に押される。

 日帝が拳を突き、一気に数体を払う。

 兵士自体は倒せる。だが本体、ソ連は、まだほとんど動いていない。

「日本!」

 中国が叫ぶ。

「先に本体!」

「分かってる!」

 日本が一気に距離を詰める。

 ソ連の真正面。

 大東亜共栄拳

 血飛沫。

 衝撃。

 当たっている。

 それなのに。

「……は?」

 日帝の喉から、思わず声が漏れる。

 ソ連は立っていた。

 いや、立っているだけではない。

 まるで何も起きていないかのように、こちらを見返している。

「無意味だ」

 低い声。

 次の瞬間、日帝の周囲から兵士たちが突っ込んでくる。日本は舌打ちし、距離を取った。

「どういうこと」

 韓国が叫ぶ。

「当たってるでしょ!」

「ええ」

 中国も顔をしかめる。

「防いでるんじゃない……受けてるのに効いてない」

 その言葉に、日本の背筋が冷える。

 それは耐久ではない。

 無効に近い。

「影響なし」

 ソ連がまた繰り返す。

 感情のない声。

 まるで自分の能力を確認するだけのように。

「計画に支障なし」

「支障、大ありでしょ……!」

 韓国が叫ぶと同時に、本体へ再突撃する。今度は単純な打撃ではなく、連続的な加速からの一点突破。何度も同じ攻撃を見せれば適応される。だから毎秒ごとに軌道を変える、韓国らしい戦い方だ。

 それでも、ソ連はやはり止まらない。

 拳が入る。蹴りも入る。だが、効いている感じがしない。

「なんなのよ、こいつ!」

 韓国が吐き捨てる。

 その時だった。

 上空から、場違いなほど明るい声が落ちてくる。

「おいおいおい」

 日本たちが同時に顔を上げる。

 白い雲を切り裂くように、金色の影が降りてきた。

 フライトスーツ。ポニーテール。青い瞳。

 アメリカだった。

 彼女は着地しながら赤い少女を見て、珍しく笑みを消した。

「……マジで出しちゃったのかよ」

 中国が眉をひそめる。

「あなた、知ってるの?」

 アメリカは目を細めたまま答えた。

「知ってるも何も」

 その声は、昨日までの軽さが少しだけ薄い、珍しく、最初から真面目だった。

「とっくに終わったはずだろ、それ」

 アメリカがソ連を見る。

 ソ連もまた、アメリカへ視線を向ける。

「確認」

 低い声。

「アメリカ」

「久々だな……って言うにはまだ早いか」

 アメリカは小さく息を吐いた。

 そして、日帝たちへ振り返る。

「そいつ」

 青い瞳が鋭くなる。

「数十年前に崩壊したソ連だぞ」

 韓国の顔が一瞬で強張った。

「……やっぱりそうなのね」

 中国も眉を寄せる。

「冗談なら笑えないわよ」

「冗談でこんな顔するかよ」

 その声音に冗談の色はなかった。

「前線に出てきていいタイプの歴史じゃないって、見れば分かるだろ」

 日帝はその言葉を聞きながら、ソ連を睨み続けていた。

 胸の奥に、重い感覚が沈む。

 ソ連。

 もし本当にそうなら、ロシアの中にはまだ終わっていない崩壊が眠っていたことになる。

 自分のと同じように。

 だが日帝は少なくとも日本自身が封じたものだ。

 目の前のこれは違う。

 制御されている気配がない。

 計画と増産と統合。

 そういう言葉だけが先にあって、人としての輪郭が異様に薄い。

「……最悪ね」

 中国が低く言う。

「今日それ何回目だ」

 韓国が返す。

「もう数えてない」

「私も」

 アメリカだけが、わずかに笑った。

「じゃあ記録更新だな」

「笑い事じゃない」

 中国が睨む。

「分かってる」

 アメリカはすぐに答える。

「だから来た」

 その言葉に、日帝が初めて彼女を見る。

 アメリカは肩を軽く回し、グローブを展開した。

「昨日の続きは後回しだ」

 青い瞳がソ連を捉える。

「今はこっちが先」

 韓国が鼻を鳴らす。

「珍しくまともじゃない」

「ひどくない?」

「事実」

「お前らほんと容赦ないな」

 そんな軽口を叩きながらも、アメリカの身体はすでに戦闘用の緊張に入っていた。

 日帝、韓国、中国、アメリカ。

 四人が自然と前へ並ぶ。

 その向こうには赤いソ連。

 さらにその背後には、増え続ける影の兵士たち。

「……やるしかないわね」

 中国が言う。

「ええ」

 日帝が頷く。

 韓国は拳を握り直す。

「今度はちゃんと効かせる」

 アメリカは笑った。

「いいね。そうこなくちゃ」

 ソ連が一歩前へ出る。

「計画継続」

 その低い声に合わせるように、兵士たちがさらに増殖する。

 辺り一帯が、まるで赤い軍勢に呑まれていくようだった。

 日帝は拳を握り直す。

「……行くよ」

 短く告げる。

 中国が横で壁を展開する。

 韓国が低く姿勢を落とす。

 アメリカのグローブが光を帯びる。

 そして、赤いソ連が静かにこちらを見下ろしていた。


 四対一


 数だけ見ればこちらが有利なはずなのに、そうは思えない。むしろ、今ここにいる誰よりも、目の前の歴史の方が大きかった。


 それでも。


 止まるわけにはいかない。

 日帝は踏み込む。

 中国の壁が道を作る。

 韓国が高速で側面へ走る。

 アメリカが上空へ跳ぶ。

 そして

 崩壊したはずの国を相手にした、新たな戦いが始まった。

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