物語の主人公は、いつだって
ゆっくりと、マルクスの瞼が震えた。
灰銀の瞳がかすかに開き、最初に映したのは、叶うならもう一度だけ会いたいと何度も願った人だった。
「……アシュリー…?」
弱々しい声が零れる。
「マルクス様!」
アシュリーは涙ぐみながら彼の手を握りしめる。氷のようだった指先にようやく温もりが戻ってくるのを感じた。
マルクスは苦笑を浮かべた。
「……今の私は……情けないな。君を守るどころか……泣かせてしまったね」
「ちがいます!」
アシュリーは強く否定した。真っ直ぐに彼を見つめる。
「私にとって、マルクス様はずっと……ずっと……どんな時も前を向くための光でした。
私は弱くて、自信がなくて……それでもここまで来られたのは、マルクス様がいたからです」
彼女の言葉に、マルクスの瞳が潤んでいく。
アシュリーの震える声は続いた。
「……だから……だから、マルクス様は私のヒーローなんです」
一瞬息を呑み、やがて、マルクスはふっと目を細め目の端から一粒雫をこぼした。
「……ヒーロー、か」
かすれた声に熱が混じる。
「違うよ、アシュリー。それは君が……君が、私にとってヒロインだから」
彼は力の入らぬ体で、それでも手を伸ばし彼女の頬を包み込んだ。
「君が何度傷ついても、その度にまた立ち上がるから……真面目で努力家な君が隣にいてくれるから、私は君にとってのヒーローでいたいと願うんだ」
涙の滲む震える声で、小さく小さく囁いた。
「……ただ私の隣にいたいからと努力する、そんな君を、愛さずにはいられないよ」
その言葉に、アシュリーは堪えきれず嗚咽がこぼれ、彼の胸元を掴む。
「……マルクス様。私……マルクス様に出会えて、ほんとうに、ほんとうに幸せです」
マルクスが全身の力を振り絞り、彼女を抱き寄せる。アシュリーもマルクスの背に手を伸ばし抱き締めた。
二人の胸の鼓動は重なり、互いの温もりを確かめ合うようにゆっくりと響き合っている。
崩れかけた古城の中で――二人はしばらく強く強く抱き締め合っていた。
十年の孤独のすべてを、お互いの体温で溶かしてしまおうとするかのように。
◆
やがて二人は、互いの体を支え合いながら崩れた地下から地上へと歩み出した。
夜明けの光が石造りの窓から差し込み、冷たい空気を柔らかく染めていく。
「……まだ終わっていない」
マルクスは静かに呟く。
「彼女は逃げた…今の彼女を放っておくのは危険すぎる。必ず――決着をつけなければ…」
アシュリーは小さく頷いた。
その顔には決意が浮かんでいる。
「はい。……でも、私は迷いません。弱い私にはさよならしましたから」
アシュリーはマルクスを仰ぎ見る。
「マルクス様……これからも、私を隣に置いてくださいますか?」
確かめるような声だった。
マルクスは即答した。
「当たり前だよ。……君なしで、私は歩けないからね」
彼の言葉に、マルクスの肩を支えていたアシュリーは思わずくしゃりと破顔した。
◆
古城を出た二人を急いで駆けつけてくるケイト達が迎えた。
銀狼が嬉しそうに吠え、上空では竜が高く咆哮を上げる。
ケイトはアシュリーとマルクスの姿を見て涙をこぼした。その肩にイゴールがそっと手をおきさする。
「……良かった。よかった、本当に、二人とも」
ケイトの涙声、アシュリーは安心させるかのように静かに微笑んだ。
そして心を込めて強く言った。
「これからも――マルクス様と共に、私自身の物語を生きていきます」
彼女の声に呼応するように、夜明けの曇り空から一筋、眩い金色の朝陽が射し込んだ。




