篝火焚火は今日を生きる
数年ぶりに再会する人との会話って難しい。
その相手が事件の被害者であり、私がその関係者だった場合、ハードルは余計に高くなる気がした。
駅で再会した叔母さんはこの辺りのことを調べてくれたようだが、行こうとしていたカフェは定休日。肩を落とす彼女を慰めつつ近くのファミレスに入り、今に至る。
「連絡いただいて驚きました」
「ごめんね、急に。会えてよかった」
苦笑いする彼女は落ち着きなく髪を触る。
私が叔母さんと再会するきっかけは、夕映先生だ。
先生は、私が行方不明だったのに誰も気づいていなかったことに焦ってくれたらしい。保護者のことを聞かれて渋々状況を伝えたら「なにそれ!!」と憤慨していた。我がごとのように。やっぱり彼は良い先生なんだろうな。
それから父親らしき奴に連絡を取ったら「仕事で忙しいので」うんたらかんたらとあしらわれ、聞き出した母親らしき奴の連絡先にかければ、私には教えられない内容で電話を切られたらしい。やはりアイツらは化け物だ。
肩を落として「俺は無力だ……」と項垂れる先生にお礼を言っていると、不意に入った一本の連絡。
それが、叔母さんからの電話だった。
「学校から連絡があったって、焚火ちゃんのお母さんが言ってたから……あ、その、時々、お母さんと会っててね。その時たまたま……」
言いづらそうに視線を逸らし、叔母さんはアイスティーを口に運ぶ。私はオレンジジュースを口に含んでゆっくりと嚥下した。
料理が運ばれてくる。叔母さんの前には夏野菜のパスタ。私が頼んだのはハンバーグ。
なんとなく料理を食べ始めたが、まだ会話はぎこちない。主に私が。
「その袋なに?」
「手芸用の綿です」
「へぇ、なにを作るの?」
「抱き枕です」
「え、凄いね」
「一人では完成しそうにないので、知人に手伝ってもらう予定ですけど」
「それでも凄いよ。その、お友達? 仲いいんだね」
「えぇ、まぁ、はい。よく構ってくれます」
稲光さんを思い浮かべるが、仲が良いかと言われると素直に肯定できない。そんな私の空気を察したのか、叔母さんは悩むように瞬きを繰り返していた。
「こっちで、どんなお友達ができたの?」
「あー……個性的な友達、ですかね」
色々な紹介を集約して伝えておく。脳裏に浮かんだ友達候補だと思われる奴らは怖くて仕方ない人達ばかりだ。だが学校で顔を合わせているクラスメイトより先に浮かんだので、私は無意識に彼らの方をマシだと思っているのだろうか。刷り込みって怖い。
どことなく心配そうな叔母さんに「実はこの後も会うんです、一人」と言っておく。暗に貴方とはそれほど長く一緒に居られませんよと示したのだが、彼女は嫌そうな顔などしなかった。相変わらずだな。
「そっか」
「はい。そのパスタ、美味しいです?」
「うん。外は暑かったからちょうどいいかな。焚火ちゃんは熱くない?」
「熱いですけど、叔母さんとファミレスに来たので。頼むならハンバーグかなって」
友人知人の話題を逸らして今の状況に焦点を当てる。初めてファミレスに連れて来てもらった時の再現ではないが、この人と一緒に食べるならこれかなと勝手に思ったのだ。
「……焚火ちゃん、初めて来た時も、頼んでたもんね」
「覚えてくださってたんですか」
「忘れないよ」
眉を下げて叔母さんは笑う。なんだ記憶力がいいな。「それは、どうも」とむず痒さを抑えた返事をした時、叔母さんは食器を置いていた。
「ごめんね、焚火ちゃん」
視線を上げると、目元に涙を溜めた叔母さんがいる。目頭を押さえた彼女は、声を詰まらせながら謝罪を始めた。
私を事件に巻き込んだこと。ちゃんと話しておくべきだったこと。その後も自分のケアに精一杯で、私のことを考えられなかったこと。
「ごめん、ごめんね。あの時焚火ちゃんは、私を守ってくれたのに」
背中を丸めた叔母さんは鼻を啜る。守ってあげられなくてごめんね、と。
その謝罪を受けて、私はどうすればいいのか。
食べる手を止めて聞いていたが、口から出そうになるのは「それで?」という疑問だけだ。
私は明後日の方に意識を飛ばしかけて、窓硝子に反射した陽光に責められた気がする。考えるのを放棄するなと。まるで、いつかの私が影に言ったように。
だから私は目の前の人に向き直るのだ。
「叔母さんが謝ることは何もないと思います。ストーカー被害なんて小学生に話すことではないでしょうし、襲われたのは叔母さんですし。事件後に私を気にかけられないなんて当たり前ですよ。だから謝らないでください」
「でも、」
「ほんとに、いいんです。叔母さんは私の親ではないんですから、姪っ子に気を揉まないでください」
そこで私は考える。もしもあの日に事件が起こらなくて、両親が化け物に変わらなくて、今も一緒に暮らしていたら。
私は、光源に選ばれなかった気がする。
選ばれたとしても全く別のことを願った気がする。
今の私にはならなかった確信がある。
だから、そう、うん。
「私は、今日の自分に満足してますよ」
叔母さんの目を見て、笑ってみる。そしたら彼女は大きく息を吸って唇を噛んだ。
その様子に、私は一つだけ聞いておこうと思ったんだ。
「叔母さん、私はあの日、犯人を椅子で半殺しにしました。両親はそんな私が気味悪かったと思うんですけど」
口を挟みかけた叔母さんに視線で示す。最後まで聞けと。私が問いたいのは、この先だ。
「叔母さんも、怖かったですか? 私のこと」
聞いた瞬間、背中が冷えた気がする。妙な不安感に鳩尾を握られて、聞かない方がよかっただろうと思考が回る。
しかし叔母さんは目を見開いて私を凝視しているから、こちらも訂正はしないのだ。
彼女は小さく首を横に振る。かと思えば顎を引き、震える声で繰り返した。
「そんなことない、そんなことないよ。そんなこと、思ったことない」
ふっと私の寒さが遠ざかる。泡立っていた肌の緊張がほぐれ、確かな安堵が四肢を巡った。
たとえ嘘だとしても。そんな考えは、続く叔母さんの言葉が消してくれた。
「あの日、助けてくれてありがとう、焚火ちゃん」
叔母さんの頬に細く涙が伝う。
私は強く口を結んだ後、ゆっくり体を弛緩させた。
「叔母さんを助けられて、よかったです」
***
叔母さんと改めて連絡先を交換し、次に会う約束をしてファミレスで別れた。手を振る彼女は会った時よりも清々しそうな印象になったのは気のせいだろうか。
叔母さんと反対方向へ歩き出した私はチャットを開き、待ち合わせ場所へ向かった。本当なら今日は叔母さんと会うだけだったのだが、思わぬ声がかかったので便乗した。そうしてしまえば、気まずかろうと名残惜しかろうと叔母さんとの時間を終わらせる口実になるから。
「お待たせしました」
「いいや、時間通りだ」
待ち合わせの図書館入口にいたのは焔さんだ。今日は涼しそうな色合いの着流しを纏っていた。風流なことで。
行き先も知らないまま、歩き出した焔さんに続く。街路樹の影を進んでいれば隣の彼が片頬を上げた。
「それで、どうだったんだ? 久しぶりの再会は」
「あぁ、まぁ、それなりに話せましたよ」
「それは良かった。俺の予定は今から延期しても構わんが?」
「緊張するので無駄に長くない時間がいいんです。また別の日に会う約束もしたので」
「そうか」
着流しの袖に腕を入れた焔さんは様になる。「話は弾んだか?」なんて面白がるように聞くのだから本当にいい性格だよ。
私は向かいに座った叔母さんを思い出した。
「一緒に住まないかって言われたんです。私がよければ」
「ほぉ……それはまた唐突だな」
「相手からしたらそうでもないみたいですよ。両親は特に私の親権を欲しがってませんし、なんだったら叔母さんの養子になってもいい、みたいな」
そこまで話して「あ、私の親、離婚してるんです」と付け足した。焔さんは驚く素振りなく「難儀な立ち位置だな」と肩を竦める。別に私の立ち位置なんて今に始まったことではないけどな。
「叔母さんと一緒に住むとなると、私は引っ越しと転校がセットになるそうです。彼女も仕事がありますし、動くなら私の方が簡単なので」
「ふむ、」
「まぁ断りましたけど」
軽く報告を流せば焔さんの言葉が止まる。隣には微かに目を見開いた男がいて、直ぐに片頬が上がっていた。
「よかったのか? 断って。聞く限りその叔母さんは焱ちゃんのことをとても気にかけてくれているようだが」
「昔から世話焼きな人なんですよ。私は時々会えたらそれで良いです」
そのまま私の口は意見を続ける。「それに」と、自然と出たのはなんでかしら。
「叔母さんと一緒に住むと、守れなくなる約束があるので」
「約束」
「はい」
私は紙袋を抱え直し、親指と人差し指を順に折った。
「近々、稲光さん、夜鷹さんと一緒に真心くんを完成させる裁縫の会をするんです。まずそれが一つ」
「心配でしかない会だな」
「次はおそらく定期的な約束ですけど、零さんが膝枕をしてくれと訪問しに来るんです。事前に連絡するようにはお伝えしてますが、まぁ引っ越さないのが無難ですよね」
「どうして焱ちゃんは自分を監禁した人間と会えるんだ?」
「思い出したくない話題出さないでくださいよ。今は実害なさそうなんで観察してるんです」
「肝が据わってるな」
「どうとでも」
既に零さんが私を拘束する理由はなくなったのだ。もうあんな怖い思いは二度としない。と、信じてる。から、思い出させるな。
私と焔さんは同時に溜息を吐き、先に喋り始めたのは彼の方だ。
「どちらの約束も不穏に思えるが?」
「全員ちゃんと痛覚戻ってますし、危険はないと思ってます」
眉間に皺を寄せた焔さんに軽く笑っておく。彼はそれでもどこか納得してなさそうな雰囲気だ。
「別に気にしなくていいじゃないですか。焔さんには無害ですよ」
「焱ちゃんに害があったらどうする」
私の頭上で〈過保護〉の文字が跳ねる。焔さんは一体どんな目線で私を心配しているのか。不思議でならないし考えが読めないから怖いな。
ふと、私はそこで耳馴染んでしまったあだ名の由来を反芻した。
『篝火焚火で、火が三つあるから』
『火が三つ、確かにありますが』
『炎ではなく、火が三つ。「焱」と書いて焱ちゃん』
焔さんの喜々とした声が鼓膜の奥に浮かぶ。
そう、火が三つで焱。
私は、焱ちゃん。
……うん。
「叔母さんと一緒に住まない理由はまだありますよ」
「聞いてもいいのか?」
「えぇ。あの人の名字は白糸なんです。もし一緒に住んで養子縁組とかなんだの話になるとします。そしたら私は篝火焚火ではなく、白糸焚火にならないといけません」
「ふむ」
「そしたら「焱ちゃん」ではなくなってしまいますよね」
二つ指を折っていた手を見て、中指も曲げる。
焔さんの反応を確認すると、彼は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていた。なんだその顔。
私は焔さんの顔を凝視する。時間経過と共に彼は顔の力を抜いていき、最後には吹き出して笑ったのだ。
「あぁ、そうか、そうだな。それは問題だ。それは困る。断ってくれて正解だ」
自分に言い聞かせるように喋る焔さんは肩を小刻みに揺らしている。目元の下がった表情は年相応に思えて、私は〈焔〉の字と彼の言葉を想起した。焔さんの緩んだ横顔は木漏れ日を受けて妙に明るい。
「あぁ、でも、」
「うん?」
「名字、焔になったら焱ちゃんのままでいいですね」
瞬間、焔さんが街路樹に激突する。
出そうとした足を反対の足首に引っ掛けたらしい。無様だな。着流しも泣いてしまいますよ。
彼が盛大に顔からぶつかったせいで何枚かの青葉が舞ってしまった。可哀想な街路樹。
幹を触った焔さんはそのまましゃがみ込み、周りの視線を数秒集める存在となった。
「……それは何か意図があって言っているのか?」
「ただの冗談ですよ」
「冗談」
顔を上げた焔さんに口角が上がる。この人が言葉で狼狽えることもあるんだな。いい発見をした。
私は焔さんに手を差し出して、彼を言葉で驚かせたことに満足した。
「浮気、嫌いなんでしょう?」
焔さんは何度か目を瞬かせ、明確に脱力する。私の手を取って立ち上がった彼は着流しを払っていた。
「俺は、自分の言葉にやられたわけか」
「面白い反応をありがとうございました」
「次は前置きしてくれ」
「その時の気分次第ですね」
気を取り直して足を動かし、私は結んだ髪を癖のように払ってしまう。触った首元には少し汗が滲んでいた。結んでいるのは正解だな。
「その髪は真似か?」
自分の髪を指さす焔さんはさっきの醜態を忘れたように片頬を上げている。誰の真似と言いたいのかは直ぐに検討がついたので、私は鼻で笑ってやるのだ。
「私が真似した訳ではありませんよ。先に真似をしたのは彼女の方です」
「ほぉ?」
「あの三つ編みを解けばきっと、髪を下ろした私と同じ髪型でしたよ」
揺蕩う銀髪を思い出し、私は横の短い髪を耳にかける。焔さんは柔らかく声を出して笑っていた。
「言われてみれば、確かにそうだな」
「そうでしょう。光を真似するのが影ですから」
なんて、陽気な本人が聞けば「そんなことないわよ!」と口を尖らせるのだろうか。
想像しただけで口角が上がるのだから、私も月光に染められたものだ。
「ところで、今はどちらに向かっているんですか?」
「言ってなかったか?」
「一緒に出掛けようと連絡貰っただけですね」
「あぁ、この先のホールだ。書道展をしていてな、俺の字もそこそこ展示されてい、」
「帰ります」
進行方向を百八十度変えようとしたと同時に腕を掴まれる。見上げた焔さんは意地悪を極めた笑みを浮かべ、私の体からは血の気が引いた。さっきの冗談を差し引いても過剰なやり返しだろ。
「焔さんの字を見るとか聞いてない」
「言えば来ないと思ったからな。延期もしなくていいんだろう? さぁ行こう」
「嫌です嫌です見たくない想像しただけで鳥肌が立ちます無理無理無理」
「焱ちゃんは想像力豊かだからな。ぜひ実際に見て想像と実物を比較してくれ」
「帰ります帰ります怖い怖い怖い」
「折角こうして待ち合わせまでしたんだ、俺を一人にしてくれるなよ」
「なら別の所に行きましょうよ。そうだ朱仄さんの所に行きましょう」
「何故このタイミングで祀なんだ」
「私はまだ燃やされた制服代を貰ってないんです。そうだ焔さんも着物とか燃やされてましたよね。二人で取り立て屋ごっこしましょう。きっと、おそらく、有意義ですよ」
「それには一理あるな。では展示を見る間に金を用意しておくよう祀には連絡しておこう」
「どうしてそうなる」
引きずられるように歩く私に対し焔さんは全身から晴れた空気を漂わせている。何考えてんだコイツ。やっぱり怖い。もう冗談とか言わないから勘弁してくれよ。
私はどのタイミングで逃げ出そうかと頭を抱え、上機嫌の焔さんが愉快気に口角を引き上げた。
街路樹は終わった。陽光が肌を照らす。私達の影が動きを真似してついてくる。
あぁ、まったく。
影の化け物になんて出会わなければ、私はこんな状況にならなかったのに。
でも残念ながら、あの化け物達がいなければ、私は心に触れられないままだっただろうから。
こんなにも馬鹿で、無意味で、騒がしい会話も知らないままだったんだろうな。
「薄目で見ます」
「しっかり見てくれ」
焔さんの笑い声が私の鼓膜を震わせる。
私は顔を歪めた自覚がある。
そんな私達の足元。黒い黒い影の中。
そこには人が隠した負が溜まる、影を主体にした世界がある。
影の国の支配者は二十二体の化け物。
自由を背負った影法師たち。
あらゆる所にある黒い影。
そのどこかで、あの不器用な影が――笑っている気がした。
これは自分の愛し方を知らなかった子ども達の話。
独りぼっちが集まった話。
影が導き、光が手を引いた、どうしようもない物語。
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読者様へ
数多の小説の中から焚火ちゃん達を見つけてくださって、ありがとうございました。
最後まで彼女達を見守ってくださったこと、本当に感謝しかありません。
独りではなくなった焚火ちゃん達はちょっとずつ繋がって、でも交わり切らない。
それぞれの気持ちを大切にしながら歩み続けるのだと思います。
この物語は彼女達が少しだけ自分を大切にする為の一歩。きっかけの時間でした。
同時に、変化する化け物の軌跡でもありました。
ユエさん達は多くの間違いを選び、煤を生み、尊いものを破壊してきました。
二度と戻せない関係、取り返せない過ち。
それら全てを背負ってこその自由だと、影法師たちは気づきました。
不変の摂理を知った光と影は、これからどんな道を辿っていくんでしょうね。
光ある所には影がある。
影ある所には光がある。
ここで最後に、焚火ちゃんから質問です。
心はどこにあると思いますか?
読者様が思う答えを聞いて、焚火ちゃんはお礼を言うでしょう。
これからも、貴方の心を大切にしてください。
焚火ちゃん達も自分の心を大事にしていきますから。
ここまで目を通して下さって本当にありがとうございました。
読者様の今日に、明日に、明後日に、優しいことがありますように。
それではまた、どこかで。
藍ねず




