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己の願いに焼かれる前に  作者: 藍ねず
第三章 光り輝く願望編
112/113

篝火焚火は道を辿る

 暑い。


 猛暑である。


 冷房が効いていない場所になんていられない。少しでも冷たさがある場所を体は求めてしまっている。チョコのアイスが大変美味しく、もう一本いただきたいところ。


 だと言うのに。


「どうして膝枕されに来てるんですか、零さん」


「またしてあげてもいいって言ったの焚火ちゃんじゃーん!」


 影法師(ドール)が自由になって数日。


 私の部屋を突撃訪問しやがったのは、誰でもない夕映零さんである。


 ゆとりあるサルエルパンツに半袖のTシャツ。だらけにだらけた様子で私の膝に乗る頭は相変わらず切り揃えられており、触れる場所が火照(ほて)るのなんのって。


「焚火ちゃーん、アイスもう一本とってー」


「なら退けてくださいよ」


「いやでもこの体勢が楽でさー、動きたくないのよ」


「だったらどうしろと」


「こう体を分離するとか、腕だけ伸ばすとか」


「化け物じゃないですか」


 零さんは食べ終えたアイスの棒を左手に持ってケラケラ笑う。何がどうツボに入ったのかは知らないが、こちとら普通の人間なんですけど。


 私は零さんからアイスの棒を奪ってゴミ箱に捨てる。このまま立ち上がって自分のアイスだけ持って来てしまおうか。元は零さんからの差し入れだし、私が貰ったわけだし。


 思案しつつ零さんを見下ろす。


 飄々とした人間の右目には、白い眼帯がつけられていた。


「目、見えなくなったんですか?」


「見えないっていうか、開いていられないって感じ? もーすっごい眩しくてさ、駄目だねー」


 あっけらかんとした零さんだが、私は上手く笑ってやれない。


 この人は右足首をサポーターで固定しているし、右手だってまともに動かせていないのだから。


 私は零さんの前髪を整えて、壁に立てかけられた杖を確認した。


「右足、動かないんですか?」


「動かないねー。右手は強く痺れてるって感じだし、やっぱレリックなんて食うもんじゃなかったよ」


 零さん曰く、火のエースの影を吸われた後から違和感はあったらしい。


 あの日、目覚めた後。右目は強く光を感じすぎるようになり、右手足は思うように動かせない。明らかな後遺症を残した光源に、魔術師(ザ・マジシャン)のアルバは「体が作り変わっている。今の状態が()()だ」と口にしたそうだ。だから体が治ろうとしないのだと。


『再構築すれば戻る』


『やめろ、嫌だ』


 そこで拒否するのが零さんらしいのだけれども。


影法師(ドール)に治された事実なんて欲しくない。だから治すな、アルバ』


 頑として治療を拒んだ零さんにアルバも夕映先生も折れたらしい。致し方なく神経系の障害云云かんぬんで通すことにし、不自由な生活をしているのだとか。


「ま、あの家にいた頃より断然マシだけどね」


 眼帯の零さんはニヒルに笑う。私が離そうとした手は押さえつけられ、額を撫でるよう強要された。我が強いことで。


「今は出てるんでしたっけ?」


「そ、封寿の家に転がり込んでやったんだー。元の家にいても不審者扱いされるしね」


 弾んだ声で零さんは左手の人差し指を立てる。私は「不審者扱い」と繰り返し、零さんに手の甲を軽く叩かれた。


()()()()()()()()愚者(ザ・フール)が。親の体に入れてたバクを抜いて、自分と封寿の存在を記憶から消したんだ。あと影法師(ドール)についても。それが封寿の願いだとか何とか言って」


 赤い舌を出して「願いの詳細は知らないけど」と膝枕がお気に召した人は言う。


 私は夕映先生の願いを思い出して、肩を脱力させてしまった。


「良かったですね、自由になれて」


「そーねー」


 そこで零さんは何か考えるように天井に集中する。私もつられて黙り、部屋にはエアコンの稼働音が微かに響いた。


 暫くして、私は横目に時計を確認する。


「用事?」


 人の視線に目ざとく気付いた零さん。今度は堂々と時計を確認した私は、首を縦に振った。


「駅に行かないといけないんです。まだ余裕ですけど」


「そっかそっか。でもまぁ長居はやめて、お暇するとしよう」


 起き上がった零さんに杖を渡し、早いが一緒に出ることにする。


 零さんは右足を擦って歩き、引っ掛けるようにサンダルを履いた。玄関を押さえれば「ありがとー」と間延びしたお礼が聞こえる。


 施錠確認をしていれば、それだけで背中に汗が滲む気がした。


 短い横髪は耳にかけ、結んだ長い部分は軽く払う。段違いにした長い部分を切ってもいいのだが、それは何となく足踏みしている今日この頃だ。


「あっついねー」


「暑いですね。アルバはいないんですか?」


「アイツは愚者(ザ・フール)達と同じように残ったレリックとお話してるらしいよ」


「……先生の家に影法師(ドール)大集合?」


「そんなの自分が許さないね。ハイドのどっか適当な所に行っちまえってアルバも愚者(ザ・フール)も蹴り出してやったさ」


 零さんは慣れた様子で駅の方へ進む。杖に体重をかけて左足を振る横顔は楽しそうだ。


 隣に並んだ私は、言わずにはいられなかったけど。


「願い、叶えてもらわなかったんですね」


「んー? あー、まー、そーねー」


 横断歩道の信号は赤に変わる。私達は街路樹の影で信号を待つことにした。零さんは木に溶け込んだ自分の影を見下ろしている。


「親からバクは吸い出されたし、アルバはめっちゃ泣くし。なんかもー、どうでもいいかなって」


 夏の暑さを孕んだ風が私達を撫でていく。よく見えた零さんの喉元や腕に視線を滑らせた私は、静かに前へ向き直った。


「どうでもよくなってしまいましたか」


「そうだね。影法師(ドール)を消した所で誰も絶望しないんだもん。残念だなー、残念だ。自分が折れないと周りの騒がしさが収まらないとも思ったし。あーマジでウザかった」


「大変でしたね」


「ほんとだよ。もー、人に死ぬな死ぬなって言う奴が多すぎる。封寿も嵐も、凪もさぁ。勝手だねぇ。こっちは生きるのやめたいって言ってるのに、それでも生きろって。地獄かよ。そっちの感情ばっかり押し付けて自己中共が」


 零さんは「あーぁ」と呟き、眼帯を掻く。通り過ぎていく人は一瞬だけ零さんに視線を向けたが、直ぐに視界の外へ追いやっていた。


影法師(ドール)のこと、嫌いですか?」


「嫌いだよ。この先ずっと、何があっても。許してなんてやらないね」


 間髪入れずに答えた零さんに淀みはない。


「でもまぁ、さっき言った通り。今さら影法師(ドール)を消しても親は絶望しないし、自分は消えられないんだ。なら化け物は誰かに恨まれたまま生き続けたらいいよ。祀くんに恨まれる審判(ジャッジメント)太陽(ザ・サン)みたいに」


 零さんが口角を上げた時、信号が変わる。私達は同時に歩き出し、零さんの周りは人が避けてスペースが生まれていた。


 渡り切った私は駅の方へ足を向け、零さんは「あ、」と空を見る。


「そうだ、学校に用事あるんだった」


「行き続けてたんですね、専門学校」


「まぁね。こんな体になっちゃったし? 自分みたいな奴が不自由せずに着られる服を考えてもいいかなぁって思ってるわけよ。それが作れたら自分も楽だし」


 猫のように零さんが頬を緩める。それは今まで見せてきた飄々とした笑みよりも、断然明るく映る表情だ。


 などという感想は口にしない方がいい気がしたので、私は頷くだけにした。


「いいですね。色んな人に必要とされる目標かと」


「でしょ~。じゃ! そーいうわけで自分は向こう行くから! またねー焚火ちゃん」


 私の頭を軽く叩き、零さんが背中を向ける。かと思ったら直ぐに振り返り、陽気に目元を下げていた。


「また膝枕してもらいに行くから! そんときはよろしくねー」


「事前に連絡してから来てください」


 ケラケラ笑いながら振られた手に、私もつられて振り返す。


 その後の零さんは背中を向けて歩き出したので、私も駅方面へ爪先を向けた。


 日陰を辿って歩き、まだ約束の時間には早いと時計を確認する。


 ふと、私は見知った看板を見つけたので、買いたかった物を思い出した。


 お店の扉を開ければ軽い鈴の音がする。冷房の効いた店内に自然と息を吐けば、色々な所から和やかな「いらっしゃいませ」を貰った。


 目に映るのは雑貨に少しの衣服、人形、裁縫用の小物。


 〈INABI〉は今日も繁盛しているようで、店員さんも増えていた。


 私は男性スタッフの数人を確認し、柔らかそうな茶髪を発見する。あちらは既に私に気づいていたので満点笑顔を浮かべてやった。顔が引きつってますよ、店員さん。


「いらっしゃいませ。お店間違えてません?」


「間違えてませんが?」


「あっそ」


「どうですか、突撃バイト訪問される気分は」


「普通に引いた」


「接客業向いてませんね」


 互いに嫌味を投げ合って、夜鷹さんの溜息で区切りとされる。〈INABI〉のエプロンを纏った彼は新しい店員さんだ。


 稲光さんからの連絡で夜鷹さんが〈INABI〉でバイトを始めたことは知っていた。元々要領がいい人なんだろう。早々に仕事を覚えて力になってくれていると、チャットの稲光さんはべた褒めしていた。夜鷹さん本人には言わないけど。


 夜鷹さんはお店のエプロンを意味なく結び直した。奥からは稲光さんも現れる。


 彼女は私と目が合うと、瞳を強く輝かせた。


 かと思えば私の腕が勢いよく引かれ、目の前に黒い双眼が迫る。


 眼球が大好きな稲光さんは、緩んだ顔で私の目を覗き込んだ。


「うん、うん。焚火ちゃんの目、今日も可愛い!」


「はぁ……相変わらずのようで何よりです」


「篝火さん近くない?」


「この状況で怒られるの私なんですか?」


 理不尽極まりないな。


 近づいてきたのは稲光さんの方ではないか。なんなら今も私の頬をつついているのは彼女だぞ。


 なんて文句が夜鷹さんに通じるはずもない。重たく粘着質な目を細めている相手に私は降伏するしかなく、目的の物を聞くことで話を逸らすことにした。


「店員さん、抱き枕に入れられる綿って置いてますか」


「わた、綿ならあるよ」


「こちらへどうぞー」


 二人に案内されて様々な綿を紹介してもらう。私は一番しっくりきた物を買うことにした。


「これで」


「きょう、今日は人形、いいの?」


「あぁ……えぇ、大丈夫です」


 稲光さんに人形コーナーを指されるが、首を横に振っておく。彼女は「そっか」と朗らかに笑い、特にそれ以上は聞かないでくれた。夜鷹さんは他の商品の位置を整える。


「で、買いに来たの綿だけ?」


「はい。そろそろ真心くんを完成させたくて」


「ま、真心くん! かわいい、かわいいよね。後は綿を入れるだけかな?」


「一応はそうなんですが、なんだかスナップボタンの位置も変えた方がいい気がしてるんです。だから色々縫い直しが必要かな、と」


「な、なら、私もお手伝い、していいかな?」


 前のめりで顔を明るくしている稲光さん。零さんや夜鷹さんには不審がられた真心くんを、彼女だけは可愛いと言ってくれているからな。


 背中に冷たさを感じたので、視線は隣へズラすのだが。


 茶色い瞳の夜鷹さんは、私がYESと言ってもNOと言っても不満そうだ。


「……断ったら稲光さんが可哀想ですよね。折角の善意ですし」


「……そうだねー」


「では、よろしくお願いします」


「うん!」


 空気に花を咲かせた稲光さんは本当に嬉しそうだ。裁縫日時はまた追々決めることにし、彼女はレジのフォローへ行ってしまう。


 軽やかな足取りを見送った私も会計することにし、夜鷹さんには釘を刺された。


「裁縫日、俺も行くから」


「もう好きにしてください」


「どうも。あぁそうだ、向こうに布もあるんだけど買っていく? 両目覆えるくらいのサイズで」


「私に必要だとは微塵も思えないんですけど」


「目を隠しての裁縫っていう新スタイル確立しようよ。その練習として恋さんと会う時は必ず両目を隠しておくとか」


「そんなことしたって稲光さんに剥ぎ取られて終わりますよ。彼女が私に近づく前に、自分から目を見せに彼女の元へ行けばいいではないですか」


 そうだそうだ名案だ。彼女が私に近づくのが嫌なら、夜鷹さんが割り込めばいいのだ。貴方の目こそ稲光さんのお気に入りだろ。


 天啓を受けた私は一人納得したが、本人である夜鷹さんは無言であった。


 そこには、眉間に深く皺を寄せ、耳たぶを赤くした少年がいる。


「……名案でしたよね。今の私の台詞」


「いや……なんか……」


 夜鷹さんは自分の目元を擦る。口を尖らせそうな彼は、トーンを落として言い訳した。


「俺を見てって……自分から行くのは、恥ずかしいじゃん」


 ……。


 レジを打つ稲光さんを見て、私から数歩距離を取った夜鷹さんへ顔を戻す。


 ……はー。


 ふーん。


 ほっほぉ。


 私は夜鷹さんを鼻で笑い、彼の耳は真っ赤に染まった。


「そうですね、恥ずかしいですね。まぁ頑張ってください」


「さっさとレジ行けよ仕事の邪魔だから」


「言われずとも」


 顔を歪めた夜鷹さんは私を追い払い、別のお客さんに声をかけられる。そうすれば即座に切り替えた笑顔を浮かべられるのだから、彼が接客業に向いていないというのは撤回しようかな。頭の中だけで。


「あ、たき、焚火ちゃん」


「よろしくお願いします」


「はい」


 満面の笑みでレジを打ってくれる稲光さんも罪な人だ。私の目なんか構わない方がいいのに。自分だけを見て欲しいと望む人がいるとも知らないで。


「稲光さん」


「うん?」


「あまり夜鷹さんを揶揄(からか)わないでくださいね。こっちに火の粉が飛んでくると困るので」


 私の言葉に稲光さんは目を数回瞬かせる。かと思えば「あ、ご、ごめんね」と、頬を染めて笑うのだ。


「し、嫉妬する昴くん、可愛いから。つい」


 ……。


 あ……?


 へ~ぇぇ?


 はぁぁぁぁ。


 私が脳内処理に時間をかけている内に商品の準備ができてしまう。私は紙袋を抱え、はにかむ稲光さんを凝視するのだ。


 彼女は細い人差し指を、弧を描いた口に当てる。


「な、内緒ね。忠告ありがとう。気を付ける」


「あぁ……えぇ、はい。では、また裁縫日よろしくお願いします」


「たの、楽しみにしてる!」


 明るい「ありがとうございました」に背中を押された私は店を出る。


 呆けていた体を殺人級の太陽光が焼き、私は項を擦った。


「手の上で転がされてる、ってことか」


 呟いたって、私も夜鷹さんも逃げられないんだろう。


 開き直って駅へ向かう。時間はなんだかちょうどよくなり始め、駅の方は多くの人で賑わっていた。


 私は紙袋を抱えたまま人波を抜け、目的の改札へ辿りつく。


 顔も名前も知らない人が私を追い越した。みな器用にぶつからず進んでいく。流れる光景はなんだか取り残された心地にさせるから、私は壁に背を預けた。


 結んだ髪を意味もなく払い、人を観察する。無心で時間を消費していれば、あっという間に約束の電車が到着する頃になってしまった。


 視線は沢山の人の中を泳ぐ。ホームからこちらにやってくる人の顔を見て、見て、見比べて――見つける。


 黒い髪を結った女性。記憶の中よりちょっと痩せていて、相変わらず柔らかい服装が似合う人。


 私を見つけた彼女は目を見開き、こちらに駆け寄った。


「た……焚火、ちゃん? 篝火焚火ちゃんだよね?」


「はい、そうですよ」


 覚えていたのと同じ声で呼ばれ、私は何となく笑っておく。私の反応に彼女も安心したみたいなのでいいだろう。


 紙袋を抱え直した私は、何年かぶりの再会をした。


「お久しぶりです――叔母さん」

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