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己の願いに焼かれる前に  作者: 藍ねず
第三章 光り輝く願望編
111/113

篝火焚火はお別れする

「目が腫れてる気がします」


「だぁいじょうぶ、大丈夫。腫れてないわ~、そんなの直ぐ治っちゃうもの!」


 嘘だ。腫れてなくとも情けない顔をしているに決まってるんだ。


 燃えていない綺麗な林の中。青々とした空気を吸い込むのが新鮮で、夏の日差しが木漏れ日となって私とユエさんに降り注ぐ。


 じりじりと肌を焦がすような暑さも影法師(ドール)が傍にいれば解消された。冷気を醸し出すユエさんは私の頬を(もてあそ)ぶ。


 宝石のように綺麗な右目を露わにし、左目は雑に縫われたまま。左右非対称の顔をした美しい影法師(ドール)は楽しそうに笑っていた。


 遊ばれる私が思い出すのは、数分前のルトの声だ。


『さぁ、願いを叶える時だなぁ』


 バク不足を起こした私を受け止めてくれた焔さん達。ダイナミックとは正にあの出来事を指すのだろうと思う中、私達の周りには影が浮いた。


 それぞれの指が鳴らされ影の国(ハイド)から光の国(ジキル)へ戻される。夏の暑さや焔さんの温もりに堪えられなくなった私は取り敢えずその場を離れることにした。


『焱ちゃん』


『顔、洗ってきます』


 焔さんの方を見もせず、綺麗なままの零さんの家へ侵入する。


 そこで見たのは、倒れた両親を見下ろす夕映先生の姿だ。


 私は思わず立ち止まり、夕映先生と愚者(ザ・フール)に声をかけることは出来なかった。


 洗面所を勝手に借りて悲惨な顔を洗う。が、焔さん達に合わせる顔にはならなかったので一人林に戻った。そういえばGPSがどうのこうの言ってたな。私のスマホはこの家のどこにあるんだろうか。零さんが起きたら聞いてみよう。


 なんて、考えながらユエさんの手を掴む。濡れタオルよりも効果がありそうな掌を自分の目元に押し付けると、ユエさんが声を上げて笑った。


「焚火ちゃんは今日もあったかいわね。火傷しちゃいそうだわ!」


「ユエさんは今日も冷たいので、ちょうどいいですよ」


「それなら良かった」


 私の肩から髪の長い部分が前に落ちる。段違いの髪は黒く戻り、少し汗が残っていた。


 ユエさんの銀髪が木漏れ日を反射して輝いている。しかしそれは目を傷めるような強さではなく、夜に射し込む月光のような反射だ。太陽光を反射する月だな。比喩ではない。


 銀の短い横髪はユエさんの頬を滑り、項の辺りで結われた細い三つ編みが揺れる。重力知らずの影法師(ドール)からは夢物語の空気がした。


 宝石の瞳と目が合う。それはなんだかむず痒くて、私の全てを見透かされている気がした。


「焚火ちゃんの願い、叶えましょうか?」


 微笑む月光に口を結ぶ。


 今のハイドにレリックはいない。火のクイーンは促されるまま夕映先生の盾に入り、光源が受けたお願いは達成されたのだ。


 誰にも追われることなく自由になりたい。


 きょうだいと楽しく過ごして、適当にバクをつまんで、時々ジキルを観察する。


 誰も使いたがらない木偶(でく)になる。


 それが影法師(ドール)の望み。


 私はユエさんの手を緩く握り直し、影法師(ドール)の指には力が入った。


「ユエさんは、自由になれました?」


 問いに問いを返す無作法をユエさんは怒らない。目元を下げて笑う姿はどこか儚げで、今まで私が見てきたユエさんとは微かにズレている気がした。


 呪いを焼き切り開眼した月。片側の目だけでも全てを見ようとした影法師(ドール)


 ユエさんは私と繋いだ手を持ち上げて冷たい額に押し当てた。伏せられた銀の睫毛は美しく、震えている。


「自由って……怖いのね」


 凛とした声が苦笑する。ユエさんは私の爪を優しく撫でた。


「今まで、私達は人間の言葉で動いてきたわ。逃げ出した後も光源の傍にいて、亡くしてしまえば次の光へ。だって私達は影だから」


「もう光の傍にはいなくていいと思いますけど」


「えぇ、えぇそうよ。私達を追いかけるレリックはもういない。あの子達は、もういないの」


「たくさん煤にしましたから」


「そう。私達がそうしてって、お願いしたの」


「それはすれ違いでしたね。ユエさん達が光源から離れれば、先生の盾にいるレリックは穏やかになってくれると思います」


「きっとね。あの子達は私達と、一緒にいたい、だけだったから……」


 微かに揺らいだユエさんの声。彼女は私の手を自分の頬に移動させ、細く涙が伝い落ちた。


 私は親指でユエさんの涙を拭い、気を抜くように月が笑う。


「私達、間違えてばかりだったの。悪いことしか出来なかったの……こんな私達が光から離れるなんて、また何か間違えそうで、」


 言葉が止まる。強張った唇を結んで、口角を上げて、ユエさんの眉が下がる。


「……怖いわ」


 また、涙が落ちる。不安を隠すように笑うユエさんは私の手を離さない。


 冷たい手。不器用な影。人の真似も完璧ではなく、人の願いの真意を分かっているかも怪しい願望器。


 言われるがままに動いてきた影法師(ドール)。自由を求める旅路が、最初からすれ違っていたと気づいた愚かな化け物。


 あぁでもね、ユエさん。


 鼻で笑った私は、ユエさんの肩に額を当てた。体重をかけて頭を預ければ「焚火ちゃん?」と不思議そうな声がかけられる。


「たしかに貴方達は間違えてきたんでしょうね。多くのレリックを壊させて、願いに眩んだ光源を巻き込んで」


「……そうよ」


「ですが、ユエさん。貴方の道は悪いことだけだったんですか? 貴方が私の影にいた数ヶ月は、嫌なことしかありませんでした?」


 私の痛みを一身に受けて、陽気に笑っていたユエさんを思い出す。


 返事がないので私は喋り続けるぞ。


「私にはそこそこ楽しそうに見えましたよ。きょうだいと再会して、色んな光源と話もして。バイト中に「何してるの」って質問したり、授業中にノートを覗き込んだりもしてましたね」


「あ……」


「私からすれば、やっぱりバクもレリックも怖かったですけど。強引にバクを口に突っ込もうとするのはどうかと思いますし、隣の部屋の人からうるさいって苦情がこないか心配もしました」


「そ、それは、」


「でも、ご飯食べてって言われたのは、久しぶりでしたよ」


 私の言葉にユエさんは黙る。


 耳の奥に浮かぶのは、底抜けに明るい影法師(ドール)の声だ。


「あんなに部屋に人が来たのは初めてでした。自分の周りがこんなに騒がしくなるなんて想像してなかったし。バイト先に来られるなんて肝が冷える体験も初でしたよ」


「焚火ちゃん」


「こんなに沢山、名前を呼ばれたのも初めてです。変なあだ名を付けられたのも、嫌いだって感情を向けられるのも、目を覗き込まれるのも。軟禁と監禁は二度と経験したくないですけど」


「そう、そうね。あれは怖くて痛いもの」


「そうですよ。あぁ、そう、空を飛んだのも初めてです。まさか自分があんなに宙を走れるなんて思いもしませんでした」


 顔を上げてユエさんを見る。彼女は両目から雫を流し、上がった口の端が震えている。


 綺麗な綺麗な泣き笑い。だから私は、泣かずに楽しく、笑い返してやろう。


「ユエさんの過去が失敗だらけだったのも、今日までの道が間違いの上に成り立っていたのも変えられません」


「えぇ、」


「ただ忘れないでください。少なくとも、貴方が選んだ最後の光源は、そこそこ満足した日々を送ってたってことは」


 バクなんて怖くて仕方なかった。肌を刺すレリックの怒りに吐きそうになった回数なんて数えきれない。怖くて堪らないから殴り続けて、息を弾ませて願いを求めた。


 心を見つけたい。温かい心に触れてみたい。


 私は空いていた手でユエさんの頬を挟む。泣き続ける化け物は、私と額を合わせてくれた。冷たい空気は優しく私に触れていく。


「ありがとう、ユエさん。私を見つけて、選んでくれて」


 ユエさんの手が私の頬を包む。


 細い指先は私の目元を撫でてくれた。


「私の方こそ、ありがとう、焚火ちゃん。私を見捨てず、傍に置いてくれて」


 泣きじゃくる化け物がおかしくて笑い声がこぼれてしまう。ユエさんは甘えるように額を押し付けた。


 銀の前髪と黒い前髪が混ざってしまう。頬に触れた温かさも冷たさも伝染する。


「私、頑張るわ。全部背負って、自由になっても忘れない。もう何も忘れたくないの」


「そうしてください」


 額を離したユエさんが私の目元を柔く擦る。銀の瞳は、やっと普通に細められた。


「焚火ちゃんの願い、叶えましょうか?」


 微かに笑みを含んだ声が同じ質問を繰り返す。


 分かっているくせに。感じているくせに。汲み取れるようになったって知ってるんだぞ。


 私はユエさんの頬を撫でて、軽く笑ってやったのだ。


「いいよ――もう、叶ったから」


 告げれば満足そうなユエさんの笑顔が映る。


 緩やかに近づいた冷気は私の唇に触れ、舌が痺れる感覚がした。


 離れた黒い舌に浮かぶ白い月。


 手を引いて私を立ち上がらせるのは、癒しの影法師(ドール)


 (ザ・ムーン)のユエ。


 彼女はドレスの裾をつまんで一礼し、私も習って頭を下げる。


 そこに現れたのは、燃えるような髪を逆立てた(ザ・タワー)だ。


「お、いたな(ザ・ムーン)


(ザ・タワー)。天明の方は終わった?」


「それがなー、聞いてくれよ! アイツ願いはもういいって言いやがった!」


「いいものはいい、聞き分けろ(ザ・タワー)


 私の視界に入ったのは白い着物。見れば焔さんが立っており、彼と(ザ・タワー)の影は繋がっていなかった。


 目が合った焔さんは片頬を上げて笑う。見慣れた意地悪な笑顔に私は口を結び、焔さんは(ザ・タワー)に向き直った。


「で、本当に名前はいらなかったのか? 折角の流れだ。一筆書いても構わんが」


「いらねぇったらいらねぇんだよ! 俺は(ザ・タワー)! 以上! お前こそ聞き分けろよ天明!」


 (ザ・タワー)は拳を振って焔さんに意見する。意地悪な顔で笑い続ける着物の御人はやはり怖いので、私は一歩隣にズレておいた。


「あら! 名前はいいわよ? つけてもらったらいいのに!」


「い~らねぇ!」


「なんだぁ餓鬼の(ザ・タワー)。貰えるもんは貰っとけよぉ」


「そうだね。あの魔術師(ザ・マジシャン)だってアルバと呼ばれたんだから」


 譲らない(ザ・タワー)の背後から姿を見せたのは悪魔(ザ・デビル)のルトと、吊るされた男(ハングドマン)のイドラ。浮いているルトは(ザ・タワー)の頭に肘を置き、イドラは朗らかに鎖を揺らした。


 からかう二体に口を挟むのは、彼らが選んだ光源だ。


「ま、いいんじゃない? つけて欲しくなったら焔さんの所に来たらいいんだし」


「うん、うん。そ、その時はルトとイドラも一緒に、私と昴くんの所に来てね。やく、約束だよ」


 夜鷹さんは稲光さんの目元を気遣っている。稲光さんは少し泣いたのだろうか。彼女の元にはルトが近づき、夜鷹さんの頭にはイドラが顔を乗せている。


「勿論、約束だからなぁ、かぁいい愛恋。ちゃぁんと戻ってくるさぁ」


「待ってる、待ってるよ」


「あぁ。嬉しいなぁ吊るされた男(ハングドマン)


「とても。少しの間だからね、昴。きょうだいと、残ったレリックと、話をつけたらまた来るから」


「早めにしてね。人間の寿命は短いから」


「そうだね。のんびりしてはいけないね」


 ルトとイドラの声は穏やかに流れていく。その言葉を受け止めた稲光さんと夜鷹さんは少しだけ悲しそうに、それでも期待を込めて頬を緩めていた。


 お二人は、ちゃんと願いを叶えてもらいました?


 なんて聞くのは野暮ってやつだな。


 私の肩にユエさんが触れる。彼女は零さんの家の方を一瞥し、言わんとすることは伝わった。


 零さんの願いは……そう。


 だけど。


「大丈夫ですよ、ユエさん」


 私はユエさんの手の甲を撫でる。


「あの人、もう一人ではなさそうなので」


「……そう、そうね。ふふっ、それじゃあ私も、また焚火ちゃんの所に来ようかしら。きょうだいと一緒に」


「空気は読んでくださいね」


「だぁいじょうぶよ、大丈夫!」


 元気な声と共に私の頭を撫でるユエさん。


 その指先はゆっくり離れ、それぞれの光から影法師(ドール)も距離を取った。


 名残惜し気に見えたのは、たぶん気のせいではないんだろう。


 それでも彼らにはまだやることがある。自由の代償について考える必要がある。


 影に足先を埋め、幻想的な化け物達はこちらを見た。


 もう、私達の影は繋がっていない。


「またなぁ、かぁいい愛恋。なんでも好きに自由に作れよぉ。楽しみにしてるからなぁ」


「ま、またね。私の可愛いをいっぱい作っておくから、見に来てね。可愛いルト」


 黒い長髪を揺らし、褐色肌のルトが口角を上げた。


 身を翻せば、影は泡のように消えてしまう。


 稲光さんは静かに目元を拭っていた。


「それではまた会おう、良い子の昴。優しい君と過ごせて私はとても楽しかったよ」


「またね、イドラ。のんびりしたイドラの相手をするの、俺も楽しかった」


 銀の短髪を煌めかせ、腕を縛られたイドラが微笑んだ。


 足首の千切れた鎖を鳴らせば、影は解けるようにいなくなる。


 夜鷹さんは頭の天辺を撫でる仕草をした。


「じゃーなー天明。お前の炎は良かったぜ。気が向いたら、また燃やしに来てやるよ」


「じゃあな、(ザ・タワー)。お前が提供した時間には意味があった。一応感謝しているぞ」


 指輪をはめた手を振って、(ザ・タワー)の尖った歯がよく見えた。


 火の粉を纏うと、影は朽ちるように見えなくなる。


 焔さんは着物の袖に両手を仕舞った。


「ありがとう、勇敢な光。私の光源、焚火ちゃん。大事なことに気づかせてくれて」


「こちらこそありがとう。快活な影。私の影法師(ドール)、ユエさん。ここまで導いてくれて」


 短い髪は柔らかく、長い三つ編みは宙を揺蕩う。


 微笑を浮かべたユエさんは、月光のように淡く失せた。


 風が吹く。


 熱気が頬を撫でていく。


 私と同じ動きをする影が足元に伸び、それは私の動きに連動している。


 誰ともなく息を吐いた時、私は林の入口に立つ影法師(ドール)を見つけた。


 金色の毛先を覗かせて、フードを浅く被った影。


 魔術師(ザ・マジシャン)のアルバは穏やかに頭を下げ、陽炎のように姿を消した。


 気が抜けた私は大きく伸びをして、そこら中にある影を見る。


 自然と笑ってしまうのは、あの月の陽気さが移ったのかもしれないな。


「――またね、(ザ・ムーン)のユエさん」


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