光源は照らし出す
良かったですね。
焚火が零と火のエースを見て思ったことはそれだけだ。
ぐだぐだとした感情はなく、生まれたのは単純な羨望。
零は結局のところ独りではなかった。離れていても想い続けてくれる兄がいて、どれだけ辛辣に当たっても気にかけてくれる親戚がいる。
道具としか考えていなかった影法師でさえ零に生きて欲しいと泣いたのだ。それを幸せと言わずして何と言うか。などと口内で呟いた焚火は、幸せと思えなど押しつけがましいと鼻で笑った。
人それぞれに幸せの形はある。零にとっての現状が幸せであるのか、救いになったかを決めるのは零本人だ。元より救われることを望んでいなかったのだから、これは不幸な結果かもしれない。
対して、火のエースは確かに幸せだった。
帰ってきてと願い続けた大事な主。城にいた頃は彼らの後ろに常に控え、役に立とうと従者は奮闘した。
人間に傷つけられた影法師を救いたくて、自分達を必要としてほしくて、走り続けたレリックの気持ち。
それを影法師は汲んでくれた。
やっと結ばれた旅の終わりで、これ以上頑張らなくていいと抱擁してくれた。
崩れていく自分に触れ、慕った主が泣いてくれた。
ここはかつての城ではないけれど。もう一度を願った場所ではないけれど。
敵意でも哀れみでもなく、切ない慈悲に包まれたから。自分の言葉を主が聞いてくれたから。
エースはそれだけで、幸せだった。
先に逝ったきょうだいに話してやろう。無念の煤となったレリック達も、ただ一体でも救われた者がいれば灰に変われるかもしれない。あぁ、あと一歩届かなかった水のきょうだいは、どんな顔をするだろう。
内側から体を焦がしていた炎を治め、湧き出る喜びを抱えて消えた火のエース。
かの化け物が最期に感じたのは、塔と月のぬくもりだった。
だから焚火は、羨まずにはいられなかった。
アルカナが消えた焚火は体から力を抜く。レリックを倒してきた時のように、枝から落ちた枯葉の如く。風で自分を支えられなくなった今、速度は全く穏やかではないのだが。
「焚火ちゃん!!」
気づいたユエが焚火と繋がった影を操る。少女は白い瞳を影法師に向けると、微かに目を細めた。
ユエは肌に刺激が走ったと錯覚する。別に何かされたわけではないのに、自分ではないと直感したのだ。
抵抗も叫びもせずに落ちる焚火は呼吸を乱さない。脱力しきった状態でユエを観察し、自分を助ける手を止めた影法師の意図など知らないまま。
別段、焚火は何か思ったわけではない。ただ見ただけだ。化け物自身が過去の人間に抵抗し、引き千切ることで開眼された水晶の目を。涙に濡れたユエの右目を。
出会った頃は月ではなく太陽だろうと思わせた化け物。だが数カ月経った今日、悩んで動くことを知ったユエは月へと変化した。
焚火は少しだけ口角を上げてしまう。自分で考えることも出来なかった影が自発的に行動する様を見られたのだ。自然と呆れて満足してしまったのは、一体どこから湧いた感情なのか。
ユエの指先が痙攣する。思わず塔を抱く腕に力を込めてしまう。
月は強く感じていた。
この状況で焚火を救うべきはユエではない。一人と一体は零とアルバのような関係ではないから。ここで自分が手を伸ばすのは間違いだ。
駆ける者は別にいる。
走るべきは、ユエではない。
「手を貸せ稲光愛恋!!」
鋭い声を上げたのは白い袴を翻した天明。
少年は既に駆け出しており、愛恋は文字通り手を貸した。
黒い右手を開き、すかさず天明が飛び乗る。愛恋はそれを視認した瞬間に勢いよく手を払い、少年を焚火の方向へ吹き飛ばした。
宙に打ち出された天明は草履の裏に付けた墨を発火させる。足を焼こうと筋肉が焦げようと知ったことではない。落ちる少女の元へ間に合えば何でもいい。
塔は思わぬ痛みにしゃがれた悲鳴を上げる。大粒の涙を弾けさせ、己の光はいつもこうだと奥歯を噛んで。
決めたら進む。己の道を信じている。どんな怪我をすることも、どんな傷を負うことも厭わない。
だからこそ塔は天明を選んだ。彼なら間違いなく破壊の道を進んでくれると感じたから。
爛れた両足が治ったことも確認せず、爆風に乗った天明は焚火へ迫る。
『無くすなら利き腕を無くしてください。貴方の文字は怖いです。獰猛すぎる。だから筆を握れなくなればいいのにって常々考えてます』
天明は自分の文字が好きで、どこまでも嫌いだ。
焔の名字で煮詰めた感情が墨を伝って現れた気がして、酷く醜いものを生んでいると感じたから。
誰もが彼に筆と半紙を与えた。期待した。賞賛した。天明の文字の表面を幾度も舐めた。彼自身がどう感じているかなど知らないで。
『それとも焔さんって書道できないと死ぬんですか? 文字を燃やすアルカナにしてるのに? 矛盾ですね』
好きな書道を自分は汚している気がした。だからこそ、燃やしてしまえばいいと思った。許せないまま好きでいいと、矛盾を抱いていたかった。
そんな矛盾を見透かして、文字の奥に潜む感情を恐れた少女は言ったのだ。
『だから私は純粋に思ってます。たくさんの賞を貰った書道家の焔天明ではなく、抹茶オレが好きで、ファミレスに行ったことない焔天明でもさして支障ないだろって』
書がなければ天明には何もない。書いていなければ彼は誰にも認められない。そう言われて育ったから、彼の内情はチグハグになったのだ。
独りの焚火はそんなこと微塵も知らない。出来ないことがあって上等。書き続けるなら自分に近づけるな。お前の文字は常に怖い。
『俺は、他人に許容されたいのか。焔天明として、そのままの俺を』
いつか天明は気がついた。己の願いの幼さに。自分の文字をきちんと怖がって、焔天明を許容して欲しいのだと。
白い少女と視線が交差する。落下する彼女との距離が勢いよく縮まっていくが、まだ天明の体は重い。
気づいた少年は奥歯を噛んで決断する。
飛べない彼に出来ること。
一人残してしまった少女に、少年が出来る精一杯。
焔天明は、握り続けた大筆を手放した。
今の自分に必要なのは筆ではない。
背後に放った筆が天明の指に合わせて発火する。
熱波は少年の体を激しく前へ押し出し、焚火にも熱さが伝染した。
熱い豪風と共に手を伸ばすのは、片頬を上げて笑いもせず、目元を引きつらせた一人の少年。
我武者羅な天明の姿に、焚火は両目を見開いた。
「焱ちゃんッ!!」
勢いよく体をぶつけて、天明は焚火を抱き締める。
離してはいけないと自分に言い聞かせて。この子をこれ以上一人にするなと奥歯を噛んで。
今まで焚火がしてくれたように。いつも自分を掴み、助けてくれた彼女の為に。
焚火の頭を抱えた天明は落下先を見る。落下の進行は斜めに変わり、着地までの時間が微かに伸びていた。
白い影の林は枝をクッションに出来るだろうか。燃やした所で解決はしない。ならば別のアルカナか。今の状況で筆に一途などと言うほど頑固ではない。
一気に思考を巡らせた天明はふと、耳に響く金属音を拾った。
意識を向けた時には既に、銀の鎖が天明と焚火に触れている。枝という枝に張り巡らされた鎖は微かな弛みを生かして落下の勢いを出来る限り殺した。
「恋、さん!!」
「まに、間に合ってるよ!!」
木々を倒した黒い両手が掌を上に向ける。愛恋は鎖に絡まった二人を受け止め、より勢いを殺す為に黒い手の甲を地面に滑らせた。
寄っていたバクをすり潰し、クッションになった愛恋の手は焚火と天明を包み込む。組まれた黒い指は枝葉や石から二人を庇い、伸ばされた昴の鎖がブレーキをかけた。
影の砂埃が舞い上がり、銀の鎖は地面に落ちる。黒い手は恐る恐る開かれ、天明と焚火は掌の上に倒れていた。
天明は両腕で抱えた焚火を即座に確認する。激しく拍動する心臓のせいで呼吸は浅く、思わぬ手助けで混乱も混ざった。
「焱ちゃん、ッ焱ちゃん!」
天明の声に焚火は呆けた目を向ける。少年以上に混乱している焚火は、ハイドの白さを明るいと感じたのだ。
「ほ、むらさん……」
反応を示した少女に天明は息を吸う。彼は口を引き結ぶと、倒れたままの少女の腕を引いた。
気が抜けたように、天明は焚火を抱き締める。
細い少女の体を包み、背中に腕を回して。力の抜けた首は焚火の肩に頭を預け、暫く立つ気力も出ないだろう。
座り込んだ姿勢で、立てた両膝の間に焚火は収まっている。天明が思っていた以上に彼女は華奢であり、会わなかった十日を経てより痩せたように感じてしまった。
焚火は天明の着物の合わせ目に顔を寄せ、自分に回った腕が強張っていると気づいてしまった。
「これ以上、心配させてくれるな」
「……心配」
絞り出された天明の言葉を、焚火はなんとなく繰り返す。少女の段違いの髪を軽く叩いた少年は、肺の奥から息を吐いた。
焚火を抱く腕は、弱まらない。
「連絡を無視されるのは、仕方がないと思った。共にハイドへ来てもらえないのも」
天明の手は強く焚火の服を握る。
「だが、バイト先に行ってみたらどうだ。足を怪我して休んでいるなどと言う嘘は勘弁してくれ。部屋にも帰っている様子もない、GPSを調べたら零さんの家にいる……ほんとに、勘弁、してくれ」
念を押す口調は重たい溜息を付け加えた。思い出すだけで体温が引くのだ。少年の過保護は零の過大評価ではない。
「……怪我は」
「……治って、ます」
「そうか」
天明の声色が柔らかくなる。目を伏せた少年は、何も考えず、感じたままを口にした。
「焱ちゃんが無事で、良かった」
その言葉に、息を止めてしまうのは焚火なのだ。
自分の手を掴んでくれる者がいるなど、想像したこともなかった。
自分は自分で守らなければ害されてしまう。怖い事柄は自分で破壊し、安全圏を保つのも自分の仕事。
恐怖を潰せ。寂しさは呑み込め。願いは自分の手で掴み取れ。
価値観も考えも違う光源達は恐ろしい。話が通じなくて、全員自分のことばかりで、戦い方も無茶苦茶で。
なのにどうして、こんなにも、胸を締め付けられるのか。
いない自分に気づいてくれた。
そのままにせず探してくれた。
見つけて、救ってくれた。
胸の苦しさに焚火は唇を結ぶ。早くなる呼吸を必死に抑えようとして、しかし自制など効かなくて。
「たき、焚火ちゃん、平気!?」
「間に合ったっぽいね」
黒い手に飛び乗ったのは息を弾ませた愛恋と、肩から力を抜いた昴。
愛恋は焚火の隣に膝をつき、天明は自然と腕の力を抜いた。
緩んだ腕を止めたのは、焚火だ。
彼女は着物の裾を掴んでいる。関節が白く浮くほど力が入り、額を着物に押し付けたまま。
一瞬だけ体を固めた天明は瞬時に頭を巡らせ、腕を元の位置に戻す。再び背中に回った腕に焚火は力を抜き、何度も声を押し殺した。
再び回された腕に呼吸が震える。応えられた今に、少女の体が安堵を得る。
鎖を首に巻いた昴は、小さく聞こえた嗚咽に目を伏せた。
一人の部屋で真心くんと名付けた抱き枕を作っている少女。自分の寂しさを見ないふりして、気づかないふりをして、やり過ごしてきた独りぼっち。
心配そうな愛恋を昴は一瞥し、顔を上げない焚火に言葉を贈った。
「誰も捨てなかったよ、篝火さんのこと」
昴の言葉に、焚火の胸中が苦しさを増す。
いつか捨てられる。きっと見捨てられる。だから期待をしてはいけないと言い聞かせてきた。
天明と祀に手を伸ばした時、自分の気持ちが萎んだ気がした。それが酷く不快だったと再確認したのに。
焚火の気持ちが膨らんで、膨らんで、破裂する。
嗚咽は口の端から漏れ出して、天明の着物を握る力は強まった。
「ど、して……どうしてぇ……」
上擦る問いの意味を天明は理解する。どうして見捨てなかったのか、どうして来てくれたのか。
彼が言葉を決めるより先に、焚火の頭には愛恋の手が乗った。
「わたし、私は、焚火ちゃんの目が見られなくなるの、嫌だから」
小さな手は焚火の髪を梳くように撫でる。初めて見つけた暗い目を失うなんて、愛恋は考えただけで不安になった。だからこそ、大きな両手で受け止められた時は嬉しかったのだ。
愛恋の行動に昴は口を曲げたが、彼女が朗らかに笑っているので我慢した。
「俺は変わらないよ。恋さんの役に立つ為に」
優柔不断な少年の気持ちは変わらない。いつも一番に愛恋を置いて、彼女のお願いは実行したい。愛恋に必要とされていたい。彼女が焚火を助けたいと思ったなら手伝うのは当たり前だ。
天明は二人の答えを聞き、やはりコイツらは信用ならないと脳内で愚痴る。
焚火を固く抱き直した少年は、着物が濡れることなど気にしなかった。
「焱ちゃんは俺の文字を見てくれる。いなくなられると困るんだ」
筆を離した少年は柔く焚火の背中を叩く。彼女に告げたかつての言葉を、嘘のままにしない為。
「置いて行かない。逃がさない。その言葉に嘘はないから……もう一度だけ、期待して欲しかった」
焚火の肩が跳ねる。しゃくり上げた声が聞こえる。
開かれた焚火の手は所在なさげに揺れるから、天明は再び背中を撫でていた。
焚火の手が、恐る恐る進んでいく。
怖々と、天明の背中に回される。
着物の彼は焚火の背中をあやすように叩き、少女は腕に力を込めた。
初めて縋る。初めて自分で、求めてみる。
理由は三者三様。それぞれ自分勝手なもの。
けれどもそれら全て、焚火がいなくならないことを願っているから。
焚火にいて欲しいと、伝えてくれたから。
心が欲しかった。
心に触れたかった。
温かい心に、抱き締めて欲しかった。
今までそんな人はいなかったから、彼女は化け物に願ったのに。
感じていた寒さはどこへいったのか。
どうしてこんなに苦しいのに、安心できてしまうのか。
少女の涙が大きくなる。嗚咽には言葉にならない声が乗り、両手は必死に天明を掴んでいた。
怖いものから守って欲しい。心配して欲しい。残り物のように押し付けられるのはもう沢山。
背中を撫でて欲しい。捨てないで欲しい。そこにいることを、許して欲しい。
抱え続けた願望が昇華される。
着物の袖に包まれて、大きな手に受け止められて、言葉を貰って。
愛恋は焚火の頭を撫で続け、天明も腕の力を緩めない。昴は寄り付くバクを締め上げて、心配そうに流れてきたユエ達を見上げた。
ユエは焚火の様子を見て自然と頬が緩んでしまう。なのに目からは涙が落ちたから、それは悟られまいと瞼を閉じるのだ。
探して求めて、願い続けた少女の気持ち。彼女だけが幸せになれる願望。蝋燭の火よりも心許なく、暖炉の火よりも温かい。焚火だけが幸せになれる切願。
――温かい心に抱き締められたい
涙が止まらない焚火に、天明は眉を下げて笑っていた。
「やはり泣き虫だな。焱ちゃんは」
そしてそれが、焚火らしい。
悪態もつけないほどに泣く少女を、責める者などいなかった。
次話は金曜日から三日連続投稿。
日曜日が最終回となります。
最後は焚火ちゃん視点へ。




