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己の願いに焼かれる前に  作者: 藍ねず
第三章 光り輝く願望編
107/113

光源は燃え続ける

 猫が連れたる荷物は二つ。否、二人。


 頭蓋にヒビを入れられた日車嵐。


 喉仏を握り潰された日車凪。


 嵐の頭と凪の首を掴んでいるのは、汗を滲ませている夕映零。


 黒く染まった尾を苛立たし気に横に振り、猫は影法師(ドール)を置いて来た。


「ぁらし!!」


「な"、き"ッ」


 飛んでくるのは頭と喉を治しきれない女教皇(ハイ・プリーステス)隠者(ザ・ヘルミット)。肩で呼吸をする零は二体の声を無視し、邪魔そうに双子を投げた。


 軽く投げる素振りからは考えられない勢いで嵐と凪が愚者(ザ・フール)と封寿にぶつかる。凪を受け止めてよろめいた封寿は、きょうだいの姿を理解しきれていなかった。


「零……?」


 封寿が見た異変には焚火達も気づいている。


 零の猫の面は、本人の顔に張り付いていた。


 溶けた縁が零のこめかみや額と同化しており、顔の一部と化している。肩で息をする猫の血管は呼吸に合わせるように所々黒く浮き上がった。


 零は封寿を見ない。切り揃えた髪で視界を狭め、尻尾の風圧が地のキングの煤を舞い上げた。


「零、お前、ッ」


 悪魔(ザ・デビル)のルトは零の異変に鳥肌を立てる。他の影法師(ドール)も体内から寒気に見舞われ、女教皇(ハイ・プリーステス)は嵐を、隠者(ザ・ヘルミット)は凪を抱き締めた。


 傷が治った双子は零に視線を向けるが、喉を掻く零は気づかない。


「揃っタ、揃ったんだ! はっハぁいいね! レリック大集合! っつっても残リは?」


 面に隠れた零の視線が火のクイーンへ向かう。ユエは反射的にクイーンの前に立ち、焚火もガントレットを構えた。


「火のクイーン。よし殺そウ!」


「待ってください零さん」


 焚火は全身に鳥肌を立てたまま零の前に立つ。愛恋は鋏と針を握り直した手を浮かせ、昴は鎖から錠前を外していた。天明は両手で大筆をしっかりと握り、頬には冷や汗が浮かぶ。


 零は首を横に九十度傾けた。まるで梟のような関節の動きに、焚火の恐怖は増幅される。


「何があったんですか、火のエースと」


 震えそうな声を腹筋に力を入れることで焚火は耐える。零は反対側へ首を傾け、焚火の声は大きくなるのだ。


魔術師(ザ・マジシャン)はどうしたんですか。その面は、どうしたって言うんですか!」


()()()()()()


 喜色を孕んだ零の言葉がその場に広がる。文脈を理解できなかった光源達は目を見開き、零の面はより深く、自然に、顔に溶けていった。


「火のエース、そうそう火のエース! アイツは熱くて強イからバクが不足しそうになっタんだ! そしたら嵐と凪まで来るしサァ、面倒で、全部面白くないし、熱いのになんか寒いシ!」


 零の顎から汗が落ちる。地のキングの煤を踏み潰した光源の焦点は、とうの昔からどこにも合っていなかった。


「なんかモう、全部ウザくてさぁ! そしたら思いついたンだ! バクを食べられる光源ナら、バクを食べるレリックも燃料に出来るんじゃないかなーッテ!」


 両手を広げた零は火のクイーンに爪先を向ける。一歩を踏み出すその姿に、焚火達はどうすればいいか迷うのだ。口角をギリギリまで上げた零は高らかに笑っている。


「だからエースの腕を食べてミタってわけ! そしたらナンか調子よくなっタンだぁ! 魔術師(ザ・マジシャン)は止めに入ってウザかったから殴ってぶっ飛ばしちゃっタ! そこラへんにいるんじゃなーイ?」


「ッ、魔術師(ザ・マジシャン)


 反応した吊るされた男(ハングドマン)のイドラと(ザ・タワー)が林に向かって飛び出す。昴と天明は逡巡した後に零に向き直り、猫の口角は弓なりに上がり続けた。


「慌てなくてモ、全員ちゃんと、揃えてヤるってノに」


 焚火の体から血の気が引く。


 明らかに一線を越えてしまった零。家の中で感じていた哀愁は消え失せ、感じるのは異様なまでの陽気さだ。


 あぁ、壊れてしまった。とうとうこの人は、本当に、人をやめてしまった。


 焚火は汗で頬に張り付いた髪を雑に払い、歯痒そうに眉を寄せた。


 少女の背後では火のクイーンの手を握り続けるユエがいる。


「零さん、もう、レリックは、壊さなくていいと思うんです」


 一言一言、きっとそうであると確かめるように焚火は喋る。少女の白い目は、地のキングだった煤に触れたルトを捉えていた。


「何言っテんの。そんなの契約違反だ。壊さないト願いは叶わないでしょ」


「いいえ、零。願いは叶えるわ。レリックを壊さなくても」


 ユエは焚火の隣に並ぶ。銀の細い三つ編みを揺蕩わせた影法師(ドール)に対し、零は呆れたように尻尾を振った。言葉なき怒気を感じ取ったユエは拳を固くし、言葉を続ける。


「壊してはいけなかったの。今になって気づいたわ。私も悪魔(ザ・デビル)も、吊るされた男(ハングドマン)も、(ザ・タワー)だって。みんな気づいたの。レリックがどうしたかったのか。私達の自由は、」


「ゴチャゴチャうるせぇなぁ(ザ・ムーン)


 ふと。


 消えた零に反応しきれなかった焚火とユエ。気づけば猫は(ザ・ムーン)の前で爪を構えており、面の奥の瞳が燃えていた。


「ユエさッ!」


 焚火の声より先に黒い影の紐が瞬時に広がる。それは愛恋の影から伸びており、ルトの掌が零に向いていた。


「やめろ零」


 ルトの影は零を締め上げる。そのまま地面に叩きつけられた零はぐるりと視線を回し、自分の上で平手の形をとった黒い掌に笑った。


 愛恋は虫を潰すようにアルカナを叩き落とす。ルトは合わせて影の紐を締めたが、影法師(ドール)の影と光源のアルカナが強靭な針に破られた。


 黒い愛恋の掌を何本もの針が突き破る。咄嗟にアルカナを水球に変えて破裂させた愛恋は、ルトの影を引き千切った光源に目を見開いた。


 張り付いていた猫の面が変わっている。縁は相変わらず顔と同化しているのだが、それは確かに猫ではないのだ。


 鼻が突きだした小柄な生物。背中に針を生やした警戒心の高い動物。


 現れたのは、黒い針鼠。


 かの動物は衣服の背中だけでなく、袖や髪、ズボンや靴の先まで針に変えて防御していた。


 全身を鋭利な棘で覆った零の目を見て、愛恋の鳩尾が握り締められる。


 爆発している怒りの双眼。太陽よりも熱いのに、夜の街灯よりも寂しい明かり。


 全てを拒絶した夕映零は、誰にも己を触れさせない。


「かなしい……悲しい目、ですね」


 呟いた愛恋の声を拾い、零は背の低い少女に飛びかかる。針鼠の面は一部が変形し、片面は鷹の鋭い顔つきへ変形した。


 つられて零の皮膚も引きつっている。面に合わせて引っ張られ、下手をすれば千切れるだろう。それでも笑みを崩さない零は針だらけの体に屈強な翼を顕現させた。


「ナにも知らないクせにさあ」


 愛恋は見る。自分の好きを守りたくて、自分の視界を守りたくて、人の目を見続けた少女は気づく。


 零の目は笑っていない。いつも面の奥に隠して、笑っているように目尻を細めていただけで、その目が笑っていたことなど一度もなかったのだと。


 風に乗った零の蹴りと愛恋の黒い手がぶつかり合う。風圧に乗った水飛沫は幻想的に弾け、間に滑り込んだのは地の鎖だ。


 零を拘束した昴の鎖。少年は迷いなく錠前をかけ、針鼠は全身の針をより鋭くした。


 重さがかかる前に鎖が砕かれる。それでも昴は、壊れた光を見ないフリはしないのだ。


「空気読んでくださいよ」


「読めねェよ」


 笑った零は服の袖から黒い何かを滑り落とす。掴んだそれは黒く鋭い指であり、誰も止める間なく零は噛み千切った。


 昴の周囲では岩石が弾けて新たな鎖が顕現する。


「それ、エースの指? 趣味悪いですね」


「美味シイよ」


 零が纏った針はより長く太くなる。まるでヤマアラシのようだとも錯覚するほどになった防御の針に、零は冷や汗を浮かべていた。


 無意識のように零は顔を掻き毟り、黒い手と銀の鎖を破壊する。


 踊る風は笑うことしか出来ないようだと天明は理解し、鎖を掴んだ針鼠に奥歯を噛んだ。


 針鼠は勢いをつけて鎖を引き、所持者である昴ごと釣り上げる。咄嗟に鎖を離しそびれた昴は宙に投げ出され、豪風と共に飛び上がった鷹に目を見開いた。


「昴くん!」


 両手の指を組んだ零の殴打を愛恋の手が防ぐ。その間にソルレットから風を噴射した焚火が昴を捕まえ、滑りながら地面に着地した。


「どうもッ」


「いいえ」


 羽ばたきをやめた鷹は周囲を見渡し、認識できなくなった双子と兄に口角を固める。


 また逃げた。またいなくなった。やはりこの血筋はそうなんだ。


 零は笑い声をあげて着地する。火のクイーンの前には愛恋とルトが回り込んでおり、立ち上がろうとするレリックを制止した。


 翼を持った針鼠の呼吸は、荒い。


影法師(ドール)とレリックが和解シタ? ンなノどーでもイーんだよ!」


「零、レリックを壊さなくても俺達は願いを叶える! 今まで俺達につき合わせた結果を、影法師(ドール)は無下にしたりしねぇ、だから!」


「ウルセェ悪魔(ザ・デビル)!! 自分は影の化ケ物ドモを生き残らセタクねぇんだよ!!」


 ルトの言葉を力強い羽ばたきで黙らせた零。


 影を許せぬ光は燃えている。己の願いが爆発している。


 影法師(ドール)を許容しない一人の人間。残影(レリック)が取りこぼした愚か者達の末裔。


 かの人間は、過去の愚行を許さない。


「お前達ダケ幸セになるナンて許さねェヨッ!! レリックも、影法師(ドール)も、全員マトメテ死んじまえッ!!」


 潰れそうな声での咆哮に、焚火は唇を結んでしまう。


 零が「夕映零」になった経緯を知らない天明達でさえ胸に棘が刺さった思いをし、針鼠は目をギラつかせた。


 首筋や頬を針のある指先で掻き毟った零は、流れない血を流す。


「ホラ見てヨ、焚火ちゃん」


 零は鷹の翼で一度自身を隠し、静かに広げる。


「やっパリ、自分はもう、サァ」


 抉れた頬を引き上げて笑う光源は、既に光源と呼べる者ではなくなっていた。


「化ケ物ダロウ?」


 噛み締められた焚火の唇が切れる。ユエの唇から黒い血が流れる。


 少女はガントレットを握り締めて、無意識の内に地を蹴っていた。


 煤になった地のキングを横目に映しながら、目の前の針鼠が、悪者ではないと分かりながら。


 光源達は影法師(ドール)とレリックの動向に口を挟まなかった。化け物とは違って空気は読めたから。今は走るべきでもないし、拳を握る時でもないと分かっていた。


 その後の結末だってきちんと分かっていたのだ。これはもう、壊す必要はなくなったのだと。無用なすれ違いは解けて、きちんと結び直されようとしていると。


 だが、己を化け物だと認めた光は、空気など読めない。


 レリックの一部を食べ、化け物に侵食された化け物は、己の願望に燃やされている。


 体内に過ぎた燃料を投下して、己の願いを燃え上がらせて。


 焚火は全体重を乗せた拳に暴風を絡ませてガントレットを打ち出す。零は即座に翼で空気を打ち、少女の防具を回避した。


 だが躱したと思った針鼠は、次の行動を取る前に熱気に包まれていた。


 焦げた翼を再生させながら宙を(ひるがえ)れば、筆を走らせた天明が零の狭い視界に入る。


 瞳孔を収縮させた零は体を回転させ、弾丸のように天明へ向かった。着物の少年は後退しながら筆を走らせ、零が文字の上に来た瞬間に指を鳴らす。


「ア"ッ"ツ"ッ!!」


「不毛だ零さん。どれだけ蛮行を繰り返そうと過去は変わらん」


 燃えた零は四つん這いで地面を滑る。


 燃え盛る火柱を背にした天明には、零と祀が重なってしまった。


 焦げを修復した針鼠は高笑いを暫し上げ、翼で体を覆い隠す。


「ダカら全部丸ク収めようって? 改心シタ影法師(ドール)? 手ヲ取ってモラえたレリック? 壊さなクテも願イは叶えテくれるカラ?」


「それが最も穏やかな終幕だ。悪鬼は元からいなかった。異形は正しき理解を得た。その手助けをした俺達は願いを叶えてもらえる……積み上げた過去の元に」


「平和ナんテ反吐が出ル」


 勢いよく翼を開いた零の目が灼熱の光を宿して天明を射抜く。着物の少年は滑らかに筆先を地面に走らせた。


 笑う零の怒号は、悲鳴と言っても過言ではない。


「過去ガ今ノ自分を創ったんダロうガ!! 平和が全テヲ許す材料ニナるなんて思うナッ、それトモ、許せネェ過去ヲ少しデモ打破したい思イは悪とでも言いタイか!!」


「無用な悲劇を生む行為に救いはないと言いたいだけだ」


「救イなんテ求メテないネ」


 屈強な翼で零は宙を駆ける。天明は文字を爆発させ、燃えながら笑う針鼠に顔を歪めていた。


「化け物ニハ、破滅がオ似合いサ」


 それは、一体どの化け物に対する言葉なのか。


 天明は筆を走らせ、昴の鎖が飛ぶ。愛恋の黒い手は火のクイーンを覆い隠し、焚火は空を走っていた。


 拘束されて燃えた光は凶器とかした針で鎖を破壊する。昴の指先は痙攣し、顔を歪めた焚火が視界に入った。


「零さんッ!!」


 崩れた道を歩く泣けない光。救われずに育った半人前の大人。泣くことを奪われた、大きな子ども。


 焚火のガントレットと零の針だらけの拳が正面からぶつかり合う。衝撃による強風は周囲の炎や木の枝を激しく揺らし、屋敷の奥から黒い残影を覚醒させた。


 片腕を奪われた火の残影。最後のレリック。走り続けた獰猛な炎。


 火のエースは屋根を飛び越え、残った片腕でナイフを握り締め、灼熱と共に零へ飛び掛かった。


「愚カナ、人間ガァ!!」


 零の翼を貫くエースのナイフ。憤怒に燃える光と影は激突し、焚火は熱波に吹き飛ばされた。


「焱ちゃん!!」


「平気、ですッ」


 勢いよく回転した体勢をソルレットで持ち直し、焚火は汗を散らす。宙で殴り合うエースと零から視線を外さないまま。


「喚クんじゃんェよ、欠陥だラケの化け物ガヨォ!!」


「人間ガ、人間ガッ!! 我ラガ主ニ嘆キヲ与エタノダ!!」


 エースの言葉に火のクイーンの肩が揺れる。水のアルカナの手に触れた女王は、体の奥底から燃え広がる熱源を感じた。


 愛恋は思わず手を開き、ルトが間に入る。


 鎧の隙間から火の粉を溢すクイーンは、過去を思い起こして兜を震えさせた。


「やめろクイーン。愛恋達に非はねぇ。間違ってたのは影法師(ドール)だ!!」


「待って、止まって、待ってエース!! お願い止まって!!」


 ルトとユエの言葉がレリックには届かない。燃え盛る激情を抱え続けたエースとクイーンは、いまだに主の傍にいる人間達を、光源を大切にする影法師(ドール)を、認めるわけにはいかなかった。


 煤になったきょうだいの為にも。ここまで歩んで来た己の感情の為にも。


 殺さなければ報われない。


 穏便になど終われない。


「愚カナ人間ナドッ」


「お前ら影ノ化ケ物ナんてッ」


 ――いなければ良かったのだ。


 エースの刃と零の拳が衝突する。


 暴れる衝動は周囲を燃やし、台風を生んで、撃鉄となる。


 救いなんていらない。平和なんていらない。


 ただ、己を燃やす感情のままに。


 過去を糧に燃える願いのままに。


 熱風を頬に受ける焚火は、白い髪を靡かせた。

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