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己の願いに焼かれる前に  作者: 藍ねず
第三章 光り輝く願望編
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光源は集まった


『なんでも願いを叶えよう。死者を生前の姿で蘇らせるという願い以外なら、なんだって』


 朱仄(あけぼの)(まつり)は一人、生徒会室から空を見上げた。夏らしい澄んだ青の中で白い雲が輝き、祀の目の奥は微かに痛みを覚える。


 彼が痛みを返されて早十日。(ほむら)天明(てんめい)と業火の中で対峙したあの日から、少年は光源ではなくなった。


 祀は審判(ジャッジメント)に選ばれた光だった。とつぜん現れた異形の影に臆することなく、淡々と話を聞き、それで影法師(ドール)が救われるのならばと了承した。元より祀はどこかの青髪少年と同様に、頼まれれば断らない性格なのだ。それは相手が人間であろうが異形であろうが変わらない。


 少年は最初、自分に願いなんてないと答えていた。だから何も叶えてくれなくていいと。それを聞いた審判(ジャッジメント)は首を傾け、冷たい指先で祀の胸の中心を指したのだ。


『願いのない人間なんていないさ、朱仄祀。自分の気持ちに気づきなさい』


 諭されるような物言いに祀は呆気に取られたと、今でも思い出す。いつも頼られる側で、教える側だったから。要領も物覚えも良かったせいで先導を切ることが性分になっていたのだ。


 だから審判(ジャッジメント)の指摘は自分を知るいい機会だと頬を緩めた。まさか妹の(みこと)太陽(ザ・サン)に選ばれていたとは知らないで。


 朱仄尊は隠し事の出来ない少女であった。兄とは対照的に不器用で成績も悪い。運動も苦手で料理も出来ない。しかし底抜けに明るい。本当に明るい。家でも学校でも彼女の笑い声が響けば周りもつられて笑う程に。


 祀はそんな妹を守っていたかった。周りを照らす太陽のような明るさで、「助けを求めた影法師(ドール)を放っておけない」という純粋な志で光源になった妹を。


 だが世界は志だけでは変えられない。善良な思想だけでは救われない。


 これは全て良い方向へ転換していくヒーローが主人公の物語ではないから。

 何度も立ち上がり仲間と道を切り開く勇者が登場する物語でもないから。


 現実は夢物語とは違うのだ。


 だから、(おぞ)ましい姿のバクに尊の足は震えた。普通に怯えた。やってやろうと口には出来ても体はついていかなかった。そういうものだ。だから祀は先導し、守る選択をしてしまった。


 それは誤った優しさだったのか。それは甘えさせただけだったのか。それは駄目なことだったのか。


 尊の志を大切にしながら、妹を守ってやりたかった兄は、間違っていたのか。


 誰もが少女を思い出せない世界で、今日も彼だけは覚えている。快活で、夏の日差しと見紛うほどの笑顔を浮かべていた尊の姿を。


 写真もない。動画も消えた。食器も衣服も残っていない。墓を立ててやることも出来ない。だがダイニングテーブルには、誰も座らない椅子が一つだけある。そこには両親も座らない。決まって座っていた誰かがいた気がしているから。


 急に「尊は!!」と狂乱した息子に両親も驚いたことだろう。知らない誰かの名前を口にして、真っ青になった顔で愕然としていたのだから。慌てた両親は知り合いの精神科医がいる病院に連絡を取り、祀は全てを受け止めた。ここにはもう、尊はいないのだと。


 今ではもう、それも過去の記憶になってしまったが。


審判(ジャッジメント)、俺は――』


 自分が願った言葉を思い出し、祀はシャープペンシルの先をノートにつける。換気の為に開けた窓の隙間からは熱気を込めた風が入り込み、室内を満たす冷たい空気と混ざり合った。


「……隣に立って、自分をきちんと叱ってくれる友人が欲しい、か」


 祀は椅子の背凭れに体重をかける。思い出すのは、痛覚と味覚を返された時のこと。


 審判(ジャッジメント)は祀からアルカナを貰う時、体の治療も行った。火傷だらけの体に溶けた服も張り付いていたのだ。その状態で痛覚が返されていれば祀は卒倒していたか、最悪ショック死していたに違いない。


 少年が覚えているのは、いま見ている世界とは違う世界。

 あらゆる所に存在する影が主体の異界。

 影になった妹を、呑んだ国。


 そこで相まみえたのは浮世離れしていた同級生。


 書道の大会の件で表彰されても顔色一つ変えない少年。どこか心ここにあらずといった目で生活している彼が気になった。声をかければ喋り方もどこか古風で、隣にいれば気が楽だと思わせてくれたのが、焔天明だ。


『いつもそれ飲んでるよね、抹茶好きなの?』


『抹茶ではなく抹茶味が好きなんだ』


『なにそれ』


 天明はいつも、誰も飲まないパックの抹茶ジュースを自販機で買っていた。教師に国語のテストの問題で意見したら説教を喰らったと愚痴っていたのはいつだったか。「そりゃそうなるでしょ」と答えた祀に対しても天明は「何故だ」と納得していなかった。


 最初からおかしな少年だったのだ。そんなおかしな奴が筆を持てば美しい字を書くのだから、余計におかしかった。おかしいからこそ、祀は天明を気の置けない存在だと思っていたのに。


審判(ジャッジメント)の光源らしいな』


 そう天明から声をかけられた時のことを祀は上手く思い出せない。あらゆる何故が頭の中を巡り、自分の行いを否定する天明を直視できなかった。


『負けるなよ、マツリくん』


 雨音と共に惑ってしまった祀の背を押したのは、夕映(ゆうば)(れい)だった。


 いつもそうだ。飄々とした猫は祀の指針が乱れた時に現れ、助言し、笑い去る。


 そして、光源でなくなった祀の目の前で、審判(ジャッジメント)の首を刎ねたのも零なのだ。


 祀はきちんと見ていた。白い空に舞った黒い首を。白い建物に倒れた黒い胴体を。白紙の世界に現れた歪なカマキリを。


 少年はもうあの世界へは行けない。彼の影はなくなった。影の異形とはお別れした。祀は審判(ジャッジメント)の願いを叶えてないと言うのに。


『俺にとって祀は、大事な光だったよ』


「お前なんて嫌いだよ……審判(ジャッジメント)


 祀の声は部屋に落ちる。この先何があっても忘れない。何がっても許せない。祀は自分自身と共に、影法師(ドール)を憎み続けるだろう。


 言葉足らずの愚かな異形。失敗ばかり重ねて、その間違いに気づかないまま時を過ごした不完全な願望器。


 スマホのチャットを開いた祀は、未だ異形を連れている友人のメッセージを再確認した。


 〉あの日以降、焱ちゃんがバイトに来てないそうだ


 〉夕映さんと何かあったって考えるのが妥当かな


 〉おそらく。家にも帰っている気配がない


 〉不法侵入


 〉緊急事態だ


 数日前までは「焱ちゃんから返事がない。未読だ」と天明が真顔でスマホを見下ろしていたと祀は知っている。そこそこ上手く回っていたらしい二人に水を差したのは自分であると祀も自覚があったので話を聞いていたが、最後には「焱ちゃんの字が欲しい」の結論に至るので虚空を見上げたものだ。


『待ち合わせにも来ない』


『たまたま遅れたとかないの?』


『毎日三時間待っているが?』


『ごめんフラれたんだね』


 暑い夕暮れに相手を待ち続ける天明を想像し、祀は眉間を押さえた。以前から天明が「焱ちゃん」にご執心だったのは知っていたが、聞く度に執着度合いが増しているのは気のせいではないはずだ。


『篝火さんの字が天明をそこまで射止めていたとはね』


『焱ちゃんの字はいい。とてもいい。見ていて飽きないぞ。そして俺の文字も怖がってくれる。いい子だ。とても可哀想でいい子だから、俺の文字に震えていて欲しい』


『そっかそっか気持ち悪いね。やっぱり一回通報しておこうか』


『何故』


 などという茶番で済んでいたら良かったのだが、事は急を要したらしい。天明がバイト先に突撃したら「篝火さんは足を骨折したから暫く休むって連絡があったんですよ、ご家族から」と言われたのだ。


 それはあり得ないと血の気が引いた天明は少女の学校にも突撃したが、補習対象ではない帰宅部少女を知る者などいなかった。出張に出ていた夕映(ゆうば)封寿(ふうじゅ)には会えないまま焚火の部屋に行けば、鍵はかけられ応答なし。


 天明はハイドで焚火の部屋の扉を壊し、室内に入った所でジキルへ戻った。


 夏の空気が籠もった部屋。シンクも風呂場も完全に乾いており、歩けば薄っすらと埃も舞う。


 ベッドに置かれた真心くんだけが天明を見上げており、少年の体温が一気に冷えた。


 篝火(かがりび)焚火(たきび)がいなくなった。


 それに、誰も気づいていなかった。


 だから少年は直ぐに連絡を取ったのだ。嫌がらせのつもりで連絡先を交換した夜鷹(よだか)(すばる)に。


 〉まだ焱ちゃんのGPSは生きているか


 〉なんですか藪から棒に


 簡単に状況を聞いた昴にとって、焚火はどうでもいい存在だ。どちらかと言えば嫌いな存在でもあるので天明からの連絡は無視したかったのだが、吊るされた男(ハングドマン)――イドラが戻ったのは焚火のお陰でもある。


 良心に負けた昴は逡巡し、稲光(いなび)愛恋(あれん)にも焚火がいないらしいと伝えた。地のクイーンを自分達に任せて少女が飛び去って以降、愛恋が焚火を気にかけているのは薄々気づいていたのだ。


 一人気づけば後は早い。零がバイト先に連絡する為に焚火のスマホを持っていたことが幸いし、少女の所在地は特定された。そこが零の家である時点で天明達の嫌な予感は最高潮になっていたのだが。


 〉やはり零さんの所だった


 〉いってらっしゃい


 祀は最後のメッセージに目を通し、再び窓の外を見上げる。


 彼はもう戦えない。目玉もなければ炎もなく、影の世界へ渡してくれる存在もいないのだから。


「帰ってきたら、願いを聞き出してやろう」


 スマホを置いた祀はゆっくりと瞼を下ろす。大きな筆を振るう友人の願いが叶うよう、自分に出来ることはないのか知りたくて。だから無事に帰って来いと溜息をついて。


「満足するまで暴れておいでよ、天明」


 既に退場させられた少年は、色の無い世界で火柱を上げる友人を鼓舞しておいた。例えどんな結末になろうとも、後悔だけはするなと願いを込めて。


 影にだけは呑まれるなと腕を摩ったのは、少年に残る傷がさせた行動だ。


 寂しがり屋で、言葉が足りなくて、一歩の踏み出し方を知らない者達が集った今日。


 愚かで貪欲で、純粋な者達が揃った影の国。


 火柱が上がり、黒い手が地面を砕き、銀の鎖が四方へ飛ばされる。


 空を駆けるのは銀の防具をつけた豪風少女。


 彼女達を殺して剥がしたいレリックは猛然と進み、黒い盾には触れてはいけないと本能で察していた。


 己の主を取り戻したい。どうかお傍に。どうかかつての、あの城へ。


「もう、戻れないの」


 暴れるレリックと願いを目指す光源の間で、言葉を選ぶのは問題の発端。全ての元凶。間違え続けた影法師(ドール)たち。


 その筆頭に立つ(ザ・ムーン)――ユエは、銀の髪を靡かせた。


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