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己の願いに焼かれる前に  作者: 藍ねず
第三章 光り輝く願望編
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篝火焚火は肯定しない

 バクとは人間の負の感情だ。


 表に出せない気持ちの集約。凝縮された黒い側面。不平不満に憤怒、哀愁、嫉妬に虚無。歓喜や感動が混ざることは一切なく、澄み切った暗さを固めた異形の影。


 光の国では吐き出せない。だから影の国に落とされて、(うごめ)きながら光を求める。


 光源を取り込んでより強い影に。強い光があれば消えない影になれるから。本能として動く異形の感情は、最上位の影たる影法師(ドール)にとっては食事でしかない。


 人の願いを叶えては、人の負を食らって過ごす影法師(ドール)。願望成就の原動力は人が吐き出した負であるなんて滑稽も良い所だ。


 バクを人間が食べてはいけない。それは私が見た事実。光源でない人間が食べてしまえば負が溜まるから。溜まるのに発散の方法(アルカナ)が無いから蝕まれる。


 だからこれは、駄目なこと。


 魔術師(ザ・マジシャン)もかつて数度は見たという人間の愚行。


 殺したい人間の食事にバクを盛る。


 それだけで、何も見えず、何も疑っていない者は、じわりじわりと浸食されるから。


「あ、なたは、ご両親に、一体なにをしてるんですか」


 緊張した喉から無理やり問いを吐き出した。全身からは冷や汗が噴き出して不快指数が上がる。まずこの部屋そのものが不快指数マックスなんだけれども。


 床に倒れた男女が一組。部屋の暗さで表情までは分からないが、その体がおかしいのはシルエットで判断できた。


 所々が水膨れのように膨らんで、少しの刺激で破裂しそう。もしそうなったらどうなるのか。なんて、考えるだけで鳥肌が立つ。


 着地したソルレットが踏んだのは半殺しだったバク。大きな芋虫に(くちばし)のついた様相はどんな感情から絞り出されたのか。考えたくもない。


 弱く蠢く影が数体見えて、それらは倒れている男女に張り付いていた。攻撃する体力などは無さそうだが、バクという本能が人間に寄りそっているようだ。


 鳥肌だけでなく嫌悪が腹部に集合し、嘔吐感に変換される。私は思わず口元を押さえて、対照的に笑う夕映さんに睨みをきかせた。


「ご両親だなんて丁寧に言わなくていいよ。虫唾が走るから。コイツらは影法師(ドール)の盲信者。先祖代々、願望器を求めて信仰してきたイカレ野郎共さ」


 夕映さんの足が女性の背中を踏みつける。彼女はぴくりとも反応を示さず、本当に息をしているだけのようだ。


「ねぇ焚火ちゃん、君は生きてるって実感する時はあるかな」


 両手を広げた蠍が笑う。重たい針に振りをつけ、妖しく動かすお面の人間。


 私はなんとかガントレットを構え、先に夕映さんが「自分はね」と喋り始めた。


「人と関わってる時に実感するんだ。面白いことをして、見て、喋って、笑う。その時にね、あー生きてるなーって思えるから、面白いことが大好きさ。自分は人間らしくしてる。自分の名前は夕映零。自分はちゃんと、ここにいる」


 蠍は女性から足を退ける。指揮者のように滑らかに動く両手は楽しげだが、ふと前置きなく停止した。私のこめかみから汗が流れる。


「だからここが嫌いなんだ。この家は自分を人間にしてくれない。生きてるって実感させてくれない。この親がするのは影法師(ドール)を呼ぶ道具として自分を監視することだけだ。純粋でいなさい、神様に気に入られる存在でありなさい、性別の垣根など気にせずに尊い存在でありなさい」


 饒舌に言葉を紡ぎ、しかし体は一切動かさない夕映さん。切り揃えられた髪が重たく映り、自嘲気味な笑い声が落ちた。


「だから、(れい)。自分は零。何も持たない、何でもない。正でも負でもない真っ新な無。影の神様に気に入られるように。あのクソ男は封寿(ふうじゅ)。長く続かない命。閉ざされた人生。閉じ込められた祝いの品。封が解かれるのは神様が来てくださった時の捧げものとしてッ」


 夕映さんの足が力強く男性の手の甲を踏みつける。破裂しかけた水膨れに私の肌は再び泡立ち、無意識に喉が鳴った。


 ゆっくり笑い声が響く。低い声から高い声へ。腹の底から沸々と。


 お面を押さえた夕映さんは、少しだけ、声を震わせた。


「こんな名前でも、コイツら以外に呼ばれたら、悪くないって思うんだよ」


 私の鼓動が加速する。電車が発車した時のように、徐々に徐々に心拍を上げて、心音を鼓膜の奥で増幅させる。


「ねぇ、焚火ちゃん、置いていかれた君が教えてくれよ」


 蠍のお面を取り、人に戻った夕映さんは、いつもと変わらず笑っていた。


「死にたいって……綺麗さっぱり消えたいって、思ったことはあるかい」


 私の目尻が熱くなる。乱れた呼吸が苦しくて、思わず片手で胸を握り締める。


「諸悪の根源である影法師(ドール)を全員消して、その様をこの信者達に見せつけて、バクを食わせて影に呑ませる。そしたらさぁ、消えるよね。影法師(ドール)も夕映も、コイツらも、コイツらから生まれた自分とクソ男も。みんな綺麗に消えるよね」


 私の脳裏に、膝枕を強請(ねだ)りに来た夕映さんの姿が浮かぶ。焔さんの殴り書きをゲラゲラ笑って、人の膝を占領して、影に呑まれた尊さんの話をした夜。


『光が消えれば()()()()、存在していた形跡も消える』


 体から、血の気が引いた。


 まさか、まさか……まさかって。


 夕映さんの行動は親殺しなんてものには収まらない。


 神殺しなんて前座でしかない。


 この人がしようとしているのは、理性の焼き切れた自殺だ。


「信仰してきた神の食べ物の過剰摂取で死ねるなんて本望だよね! あぁ、なんて素敵な親孝行だろう!」


 笑顔で声を高くする。今まで見てきた夕映さんらしく、明るく元気に飄々と。


「神の為に育てた人形は神を殺し、親を殺し、自分は消える! あのクソ男は道連れにしよ! 別にいいよね。全て綺麗さっぱり終わらせて!」


 黒い目に求められた肯定。私は指の関節に力を込め、一本一本力強く握り締めた。


「君ならこの気持ち、分かってくれるかな」


 笑ったはずの人間の顔が見えない。髪に隠れて影がさして、高い声は喜色のペンキで塗られてる。


 私は一度奥歯を噛んで、嫌悪と怨嗟の掃き溜めで口を開いた。


「自分が、消えているようだと思ったことはあります」


 母のような奴の声が思い出せない。父のような奴の顔が出てこない。哀れみから目を背けて、よく分からない自分の立ち位置を無視して。真心くんだけを抱き締め続けた日々の中。


 誰も見ず、誰にも見られていないなら、それは死んだも同然だと思ったことはある。


 自分がここにいるという証明が自分の意思しかない状況は、なんて心許ないんだろうと思ったこともある。


「でも、消えたいと思ったことはないんです」


 夕映さんの顔が上がる。笑みの縫いつけられた表情は、この人が育てられた結果だろうか。


 何も奪われたくないと躍起になる稲光さんの姿が重なった。


 誰かの為ではないと動けない夜鷹さんの姿が重なった。


 文字を見過ぎて普通を学べなかった焔さんの姿が、重なった。


「なんで、私が消えないと駄目なんですか。私は何も悪くないのに」


「焚火ちゃん、」


「だから私は貴方を肯定できません、夕映さん。私に「そうですね」を求めないでください。その相槌は捨ててきた。私にだって意見はある。だから言います」


 薄暗い部屋の中、貴方はいつも壊れていく親を見下ろしていたのか。体を侵されても現実を見ない人間に、落胆していたのか。


「子どもを人形としか見られない奴なんて化け物に心を食われているんです。そんな化け物の為に貴方が傷つく理由はありません。貴方が笑い続けなければいけない理由もありません。報われないまま、貴方が自分を殺す理由があってたまるか、ふざけるなッ」


 足元を動いたバクを踏みつける。床になじれば化け物は動かなくなり、私は真心くんを想起した。


「夕映さんに……零さんに、欲しいものはないんですか。消えてしまえば誰とも話せなくなります。影に呑まれた影響で誰からも忘れられるかもしれません。そんなの理不尽ではないですか。どうして零さんが、消えたいと思わなければいけないんですか」


 私は一歩一歩、高い音を響かせて零さんに近づく。お面をつけていない光源は微かに足を後退させた。


「零さんが、親の為に消える理由はどこにもない」


 人懐っこい笑顔を浮かべた零さんが、確かに固まる。関節を硬直させて、皮膚を引きつらせて。


「……あぁ、そっか、そういう、考えかぁ」


 渇いた笑いが零さんの笑みを削ぐ。


 歪に上がった口角と、下がった眉尻。目元に浮いた疲労と隈は、この人の限界を示していた。


「自分もそんな風に考えられたら……良かったなぁ」


 伸びた白い手が私の頭に乗る。髪を丁寧に梳く動きは、櫛を通す時と似ているのだ。


 段違いの横髪に指が通り、長い後ろ髪へと移動する。ぱさりと落ちて背中に当たった毛先を理解した時、零さんの額が肩に乗った。


 魔術師(ザ・マジシャン)がユエさんの手から影を解く。二体の影法師(ドール)は零さんの背後に寄り、私は目を細めてしまった。


 こんな会話を、いつかもした。自責の念に駆られた兄へ、業火の友人は呟いたのだ。


「膝枕、またしてあげてもいいですよ」


「ははっ、そりゃお人好しが過ぎるねぇ」


 零さんは私の頭を雑に叩いて顔を上げる。こちらを見下ろす双眼は、暗く深く沈んだままだ。


「怖いことして、ごめんね」


 冷たい指が耳を撫で、鎖骨を小突いて一歩距離を取る。


 聞こえた「アルカナ」は猫のお面を顕現し、私は目を見開いてしまった。


「ありがとう焚火ちゃん。貴重な意見を検討する時間はもうないし、進路を変える気もないんだけど!」


「零さん、魔術師(ザ・マジシャン)なら聞いてくれます。願いの変更を、貴方の影なら!」


 猫のお面をつけて、零さんは廊下に飛び出す。魔術師(ザ・マジシャン)は光源へと続き、私の前には強く風が逆巻いた。


「いいや、いいや、もう遅い。自分の願いは燃えすぎた。自分の想いは、溜まりすぎた」


 少しだけお面を外して、人間が笑う。切り揃えられた毛先を揺らして、目元に皺を刻みながら。


「自分はもう、化け物なんだ」


 風が強くなる。


 不意に、家の玄関が叩かれる。


 私が反射的に扉の方を見た時、零さんと魔術師(ザ・マジシャン)の姿が消えた。


「ッ、」


「焚火ちゃん!」


「――零!!」


 玄関を無視してユエさんとハイドへ向かおうとした瞬間、聞き取れたのは大人の声。


 ただ一人、きょうだいの自由を願った弱虫の声。


 気づけば私は走り出し、重たい玄関を開けていた。


「先生!!」


「篝火さん!」


 立っていたのは、肩で息をする夕映先生と愚者(ザ・フール)


 その後ろには、日車双子と影法師(ドール)の姿もあった。


 先生は私の二の腕を掴むと、切羽詰まった表情で問いただした。


「ほんとに篝火さんいるし!! 何があったの、なにしてるの⁉」


「せ、んせいこそ、」


「嵐から連絡を貰ったの!! 篝火さんがこの家にいるって、(ザ・ムーン)と一緒だけど様子がおかしいって!! だから来て、みたら、家の空気が変だって愚者(ザ・フール)は言ってて~~~ッ零はどこ!! アイツは、何をしようとしてるんだ!!」


 教師の皮を剥がした先生に面食らう。私は表情の硬い双子を確認し、先生と会わせる約束をしていたと今になって思い出した。影の杭で塞がれた窓の外を、気配が通ったことも。


 私が閉じ込められていた数日間。とても怖かった軟禁生活。


 外でも目まぐるしく変化があって、影が動いて、光が走って。


 ここにいるのは四体の影法師(ドール)


 魔術師(ザ・マジシャン)を含めれば五体の影法師(ドール)


 私が何から説明しようか逡巡した時、四体の影法師(ドール)は同時に言葉を放つのだ。


 ――レリックが、来た


次回は少し投稿が遅れるかもしれません。

ごめんなさい、頑張ります。

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