篝火焚火は言い聞かせる
廊下で殴り合うというのは大変行儀が悪い。まず殴り合うという行動が素行不良でしかない。でも口で言って解決するかと言われれば首を傾げてしまうので、取り敢えず相手を動けないようにしないといけない。会話なんてそれからだ。
それにしても廊下というフィールドは、やりづらいな。
避けた先は直ぐに天井。拳を躱されたと思ったら空振りに終わらず壁を殴る。殴り合っている相手が大きい翼を持っているせいで視界も悪い。
「ぐッ」
「鷹に背中を取らせたら、」
例によって壁にガントレットがめり込んだ瞬間、体を丸めて飛んだ夕映さんに背後を取られた。畳んでいた翼を勢いよく開くだけで強風に叩かれる。
「狩られるよ!」
私は咄嗟にガントレットを消して壁から腕を抜いた。膝も曲げて回避すれば、夕映さんの鋭い鉤爪が私の肩があった場所へめり込んでいた。掴まれていたら肩の骨が抉られていたかもしれない。怖いから考えないことにしよう。
私はいま避けられた。掴まれてない。それが事実だ。
しゃがんだ体勢で横へ転がりソルレットから風を噴射する。低空飛行状態で夕映さんから距離を取れば、鷹は勢いよく体を捻るのだ。
まだ猛禽類の視界から外れてない。背後を取られていることも変わってない。
私はソルレットから出る風の威力を増加させ、迫る鉤爪の気配に喉を開けた。
「頼みます!」
叫べば私に応える影がいる。鋭くしなる黒い鞭を顕現させ、夕映さんの足首を締め上げてくれたのは私の影。
ユエさんは夕映さんを壁に叩きつけ、お面の人から呻きが聞こえた。
「こ、の……もう戦いたくないんじゃなかったのかな!」
「頼まれたら、叶えるのが影法師よ」
影が針となって夕映さんの翼を貫く。相手は即座に仮面を消して床に着地した。
切り揃えられた髪の向こうに輝く黒い瞳がある。淀んでいるのに陰りはない。だからこそ、人の鳩尾を締め上げる。
ユエさんは魔術師に顔を向け、拘束された両手を壁に打ち付けた。建物には亀裂が入ったが拘束が砕けることはない。残念ですね。
魔術師の指先が動きかける。それでもフードの影法師は影に徹しており、私の前には猫の面をつけた夕映さんが距離を詰めた。
「アルカナ!」
強風と共にガントレットを再装着すれば、猫パンチなんて可愛らしいものではない爪が迫る。豪速の拳は私の顔を潰しにかかった。反射で構えたガントレットで軌道を逸らせたのは奇跡だ。
いいや、奇跡ではない。これは自分の反射だよ。怖がりな私が、私を守るために動けた証拠だよ。
自分の行動には責任を持て。そう影法師に言ったのは誰でもない私なのだ。
だから私も奇跡や偶然のせいにするな。偶々で済ませたら自分では何も出来ないとレッテルを貼ってしまう。私にも出来ることがあると、失敗ばかりではないと今からでも刻むんだ。
『貴方が扉を開けたから』
あぁそうだよ、母のような奴。私が扉を開けたから化け物が入って来た。今だって、私が扉を開けたから、お面の光源と殴り合わなくてはいけなくなってるんだ。
『焚火ちゃんなら、大丈夫』
でも、大丈夫だって言われたから。大丈夫だって背中を押してもらえたから。
私の痛みを一身に背負い、見捨てないでくれた化け物がいるから。
私は戦うよ。願いを叶える為に。
『零の願いは――全ての影法師が消滅すること』
消させない。
私の影を消させない。
消させてたまるかふざけるな。
私は夕映さんの爪を払い、ぶつかった互いの竜巻が弾け消えた。
「影法師を全て集めて、一気に消える瞬間を見たいんですか」
「おっ!」
「確実に消えたと目に焼き付けたいんですかッ」
「喋りやがったな!? 魔術師!」
「私は貴方と話してる!!」
俊敏な猫の尾を掴めば後ろ回し蹴りが顔に叩きこまれる。それでも手は緩めず、引き寄せた夕映さんの鳩尾にガントレットを叩き込んだ。
互いの低く漏れ出た声を聞き、黒い瞳と視線が交差する。
「消させないよ、夕映零。私の影を消すなんて許さない!」
「お前の許可なんて求めてないよ、篝火焚火。自分は影の願望器を消滅させる!」
猫の爪が私の頬を抉る。銀の防具が猫の横腹にめり込む。
痛みを捉えるのは互いの影。魔術師は腹部を押さえ、ユエさんの頬から黒い血飛沫が上がった。
「人の願いの邪魔する権利なんてねぇだろ! なぁ!? 焚火ちゃんさぁ!」
廊下の角を曲がり、夕映さんと私の風が激しくぶつかる。窓は割れた。扉も歪んだ。それでもどちらも飛び出さない。相手から目を離さない。
「そっくりそのまま言葉を返しましょう! ユエさんを狙う貴方は私の願いの邪魔してんだから!!」
「自分の願いを叶えるためさ!」
「私だって!!」
真正面から夕映さんの爪と私の拳がぶつかり合う。剥げた爪はすぐさま再生し、私は逆側の肘から突風を噴射した。
一瞬だけ開いた夕映さんの喉元。いつもと変わらないタートルネックを鷲掴み、速度を落とさないまま持ち上げた。
腰を回転させて夕映さんを背負い投げする。背中から廊下に叩きつけた猫は、張り付いたように口角を上げたままだった。
「自分の願いの邪魔するな!!」
「私の願いは消させない!!」
猫の面を殴りつける。軽い音を響かせたと思った時には風に変わっており、夕映さんの顔には違う面がついていた。
獰猛な蠍の針が私のこめかみを狙う。
反射神経が働いた時には、ユエさんの影が針を止めてくれていた。
「邪魔だなユエ!!」
「零、何を願うかは貴方の自由よ。人間が望むなら、私達は消えても構わないの」
影を振り切った夕映さんが距離を取る。ユエさんは私の前に出て、揺蕩う銀の三つ編みが今日も美しいと感じさせた。
「でもね、貴方の願いの為に焚火ちゃんの願いを叶えられなくなるのは嫌なの。だから私は離れないわ。この子の願いを叶えるまで。この子が私を自由にしてくれる、その日まで」
「笑わせんなよ寄生虫。その子が一体、どれほど素晴らしいことを願ったって言うんだか!」
蠍の針は苛立たし気に壁を殴る。肌を刺激する怒気に私は顔を顰めたが、ユエさんが怯むことなどなかったのだ。
「焚火ちゃんの願いは、他の人にとってはなんてことない小さなお願い。蝋燭の火よりも心許なくて、暖炉の火よりも温かい。この子だけが幸せになれる切願よ」
細い影が私の頬を持ち上げる。ユエさんの言葉に内臓を掴まれた気分になる。それが不快ではないから、私は唇を結んでしまった。
「それでも、だからこそ私は叶えてあげたいわ。そう思ったの。焚火ちゃんが色々な光源に心がどこにあるのか聞いている姿を見て。私は叶えてあげたくなったのよ」
「そんなの錯覚でしかない」
夕映さんの針が壁に深く突き刺さる。口角を上げたままの光源は、影の気持ちを受け取らない。
「お前達は影法師だ。人間の願いを叶えるように創られてる。だからこそ、焚火ちゃんの願いを叶えてやりたいと思うのは必然なんだ。そう思うように出来てるんだから」
「いいえ、これは私の気持ちよ」
引かないユエさんに蠍の尾が打ち出される。影の紐は強固にアルカナを止め、ユエさんの両手を封じた影が揺らいだ。
魔術師がフードを握って下を向いている。きょうだいの姿も、光源の姿も見ないまま。
「アルバ」
呼べば魔術師の顔が上がる。金の毛先を微かに見せて、唇を震わせて。
「アルバになりたいなら、逃げては駄目です」
「人の影を誘惑しないでくれないか?」
犬歯を見せた夕映さんが影の紐ごと針を地面に叩きつける。ユエさんは影を離し、彼女の両手の輪郭が微かに見えた。
「焚火ちゃんが魔術師の仮名を覚えてるなんて意外だな。その優しい記憶力でユエのことも絆したの? そこまで影を取り入れたいか」
「夕映さん」
「天明くんが言ってた通りだね。君は誰でも自分の領域にホイホイ招き入れる。来るもの拒まずの精神は行き場のない奴にとっては魅力的だろうよ!」
前髪を掻き上げて夕映さんが笑う。別に私は招き入れてないし、勝手に踏み込まれるんだと反論したいところだ。本題とズレるので溜息をついて濁しておくに留めるけど。
「でもね焚火ちゃん、魔術師は駄目だよ。誰が自分から離れていこうが興味ないけど、魔術師だけは許さない。君の方へは行かせない。この願望器は自分のものだ」
「人の物を盗る趣味はありませんよ。だから夕映さんも、人の物を狙わないでください」
「自分の願いの為だって言ってるだろ」
「私の願いは消させないと言ってます」
ガントレットを構えて意見は変えない。互いに譲らない。譲れないから殴り合う。
なんて不毛。なんて無駄。こんなことする暇があるならレリックを引き寄せて倒す方が絶対効率的なんだけど。
斬り捨てられない無駄はある。全て効率的では取りこぼす。
これは、必要な蛇足だ。
夕映さんは口角を歪に上げたまま髪を掻き毟る。引きつったような声は、鳥肌が立つほど痛々しかった。
「何を願ったって言うんだ。独りぼっちの君が、独りぼっちでも平気みたいな顔した君が! それほど執着する願望は何なんだよ!!」
「心です」
握り締めたガントレットが音を立てる。
「独りぼっちを望んだことなんてありません」
頭皮に爪を立てた夕映さんの瞳に射抜かれる。
「独りが平気だなんて、思ったことありません」
だから私の願いは変わらない。
私の願いは揺るがない。
私はもう、独りで心を探したくないから。
「私の願いは――温かい心に抱き締められること」
夕映さんの動きが止まる。
お面の向こうで両目が見開かれる。
私は片手で服の襟を開き、鎖骨の間に残した傷跡を晒した。
心を見たくて突き立てた刃物は、私に傷しか残してない。
「心が欲しい、心を知りたい、心に触れたい! これは、私だけの願望だ!」
「心、心と……ッうっせぇなぁ!!」
怖い人は蠍の針を轟音と共にしならせる。照明器具や窓を破壊する蠍から私は距離を取り、煌めく破片越しに夕映さんを見続けた。
暴れる衝動で自分の家を、箱を壊していく光源。
貴方は影法師を願望器だと言う。ならばその道具を消した先で、貴方は幸せになれるのか。貴方は何かを得られるのか。
貴方に何か、残るのか。
紙一重で避けた針が鍵のかけられた扉を穿つ。蠍の針は勢いよく扉を倒し、私の視線は自然と室内へ向かうのだ。
「……え、」
いたのは、二人の人間らしき影。
窓には木の板が打ち付けられ、電気は点いていない。必要最低限の冷房だけがかけられた室内は空気が濁っていたが、それよりも部屋を淀ませているのは二人の存在だ。
床に倒れている人影は死体のように青白い。血の巡りなど感じられず、指先は少し黒ずんでいた。呼吸は陸に打ち上げられた魚のように微弱で、生きていると言うよりは何となく息をしているという風貌だ。
「あーぁ、見ちゃった」
呆気に取られている内に横腹を針で貫かれる。ユエさんの口からは血だまりが落ち、私は勢いよく淀んだ室内へ投げ入れられた。
ソルレットから風を噴射して壁に足を着く。倒れている二人は私達の存在を認識しているのか怪しいところだ。まず意識があるかも分からない。
「コレ、自分の親なんだ」
夕映さんの足が男性らしき人の頭に乗る。三日月のように弧を描いた口元は楽しそうだが、私は一気に鳥肌を立てた。
「焚火ちゃんの天然行動のお陰で、いーいこと、思いついたんだ。ありがとね、あの時自分を頼ってくれて」
床を見る。所々に蠢く影がいる。
影の国で殴り潰してきた人間の負の集大成。表に出せない搾りカス。
「神様からのお告げだよ。これは神様と繋がる為の食べ物さ! って言えば喜んで食べだよ。盲目的な信仰心とは恐ろしいね」
夕映さんは容赦なく人を蹴る。親を蹴る。
『負は蓄積すれば体を蝕む』
魔術師の言葉が鼓膜の奥で反響した。
夕映さんの姿が、脳裏を掠めて首を絞める。
『それからありがとう、焚火ちゃん! おっちょこちょいな君のお陰で自分は面白い知識を得られたよ』
『なに、』
『光源ではない人間にバクを食わせたら、どうなるか』
私は奥歯を噛み締めて、獰猛な蠍の針と激突した。
夕映零さんは、笑って破滅へ歩いて行く。




