sweet 10
日高が絶句して帰って行ってから、唯香は立川の家の中に初めて通され、テーブルに向かい合って座り、沈黙していた。
一体、今何が起こったのだろう。
頭が混乱していて、あまり考えられない。
「えっと……今日はまた、どうしたの?」
立川に問われて、唯香は自分がシフォンケーキを渡そうと思って立川の家に来たことをやっと思い出した。
「前に立川さんも気になっていらしたレモンのシフォンケーキ、試験的にミニサイズが出たんです。これだったら食べられるかと思って、立川さん最近いらっしゃらなかったから、持って行きたくなって」
唯香が言うと、立川は嬉しそうに微笑んだ。
「わざわざありがとう。実は、昨日まで珍しく取材旅行で海外に行っていて、しばらく家を空けていたんだ。日高さんはどうも、ここの所うちの様子を伺っていたらしくて。僕が帰ってきたのに気付いて押しかけて来たらしい。……本当に、不快な思いをさせて悪かったね。ケーキ、せっかくだから今から一緒に食べよう」
立川は、さっき起こったことが嘘だったように穏やかで、優しかった。
けれど、さすがに黙っていることが出来なくて、唯香は尋ねた。
「……さっきの、一体何だったんですか?私に立川さんが片思いだなんて……そんな、タチの悪い冗談、言わないで下さいよ」
「……冗談じゃないよ」
立川さんは唯香の前に座り直し、唯香をまっすぐ見ながら言った。
「こんなおじさんに言われても嬉しくないだろうし、迷惑かも知れないけど、僕は君のことが好きになってる。……本当に、嬉しかったんだ。君が『夕日』ではなく『ポートレイト』を好きだと言ってくれたこと。それから、君と話がしたくて、つい君のところへ通ってた」
唯香は、混乱していた。
本当に、何故こんなことになったんだろう。
立川にシフォンケーキを届けようとして、立川の家の前で彼と日高が口論しているのを聞いて。
何故今自分は、立川に告白されているのだろう。
混乱する頭で、唯香の口から最初に出て来た言葉は、
「……立川さん、ずるいです……」
だった。
「立川さんなんて、私より一回りも年上だし、私に何にも言ってないのに、ほかの人のいる前で、勝手に片思いだとか言っちゃうし……」
唯香は混乱していた。
言いながらも、自分が何を言っているのかもよく分からない。
何故だか分からないけれど、涙までボロボロと溢れて来て、視界が歪んで行く。
「私っ……わたしは、まだ、立川さんが好きなのか……整理も付けられてないのにっ。勝手に好きとか言っちゃって、そんなの……っ。ずるいっ!」
終いには子供のように立川を睨み付けると、立川は苦笑して、
「ごめんね」
と言った。
「君より歳をとってるからね。おじさんになると、ズルくなるんだよ」
それから、立川は姿勢を正すと、改めて言った。
「辻谷唯香さん。僕は君のことが好きになってしまいました。僕と、付き合ってもらえませんか?」
「いやー、めでたいねぇ」
唯香が立川と付き合うことになって数週間後。
唯香達は、2人が付き合い出したことを知った副社長に呼び出され、副社長宅のホームパーティに参加していた。
副社長は立川の友人な訳で、今までよりも関わることが多くなるかもしれないと思ってはいたが、自分の勤める会社の副社長の家に呼ばれてご飯をご馳走になる、という事実に、唯香は笑顔の裏で大汗をかいていた。
ホームパーティに呼ばれると、唯香はもう1つ、驚愕の新事実を知った。
それは、唯香の先輩である智奈美と、副社長の関係についてだった。
ホームパーティには、智奈美も家族で参加していた。
同期でも、そんなに仲がいいなんて、珍しいな、と最初唯香は思った。
けれど次第に、唯香はある違和感に気付いた。
最初は、副社長と智奈美の子供、それぞれを見比べたときに、似ている、と思った。
でも、子供のうちなんてそんなものかも、と思った。
次は、智奈美さんと、副社長の奥様が隣同士で座った時に。
唯香が恐る恐る
「智奈美さんと副社長って、ただ同期なだけじゃ……ないんですか?」
と尋ねると、副社長は智奈美さんを見て、
「お前、本当に何も教えてないんだな」
と言った。
「智奈美は、俺の同期でもあるが、それだけじゃなく、義理の姉になる。俺の奥さんの姉が、こいつ」
唯香は驚いたか、更に話を聞くと、なるほどと納得することが多かった。
副社長が同期で行った家族を含めてのバーベキューで、智奈美が連れて来ていた妹を気に入り、交際を始めたこと。
元々智奈美さんの旧姓が佐藤という平凡な苗字で、ほかにも同じ苗字の人がいたので、紛らわしいからと下の名前で呼ばれ始めたこと。
そして今は親戚同士になってしまったので、余計に名前呼びになってしまったこと。
「まぁ、そんな関係だから、直売係に最初に呼んだんだ。一時はどうなることかと思ったが、辻谷さんの頑張りもあって、直売所もなかなか見込みが出て来た。これからは、もっと規模を広げて行くから、よろしく頼むよ」
副社長は、直売所のこれからの展開予定を唯香に教えてくれた。
直売所は近いうちに規模を拡大していくつもりらしい。
直売所で直売をすると、それ以外のやり方と違って余分な経費が発生せず、利益率か高いのだという。
直売係の人数も、様子を見て増やして行く計画だそうだ。
直売係は日陰部署ではなく、むしろこれから脚光を浴びるべき部署だったのだ。
あの後、日高が唯香に嫌がらせをしたりしないかと立川は心配したが、はっきりと言われたのがよかったのか、日高がそれから立川や唯香の前に姿を現すことはなく、程なく会社を辞めたと知った。
「ねぇ、立川さん」
唯香は、自分の隣の席に座り、優しい微笑みを浮かべている恋人になったばかりの彼に話し掛けた。
「うん?」
立川が答えると、唯香は言った。
「私、今まで自分に自信なんてありませんでした。直売係になったのも、自分は好きだしって思いながらも、同期の子達に同情されて、どこかで、自分はほかの子より劣っていたから、直売所の仕事が回って来たんだって納得してた。……でも、本当はそうじゃなかった。私がいいって思ってくれた人がいて、やるべくしてやらせてもらえてたんだって、やっと分かりました」
唯香が言うと、立川は子供にするように、唯香の頭を優しく撫でてくれた。
直売係として働いていたから、自分はこの手も手に入れることが出来たのだ。
そう思うと、唯香はとても幸せな気持ちになった。
「私、もう少し自分に自信を持つようにします。私のことを好きになってくれた人に、いつも笑顔でいてもらえるように。直売所に来て下さるお客様にも、楽しい気持ちになってもらえるように」
唯香が言うと、立川はまた優しく微笑んだ。




