宵闇騒動〜『彼』と『獣』と、涙をひとつ。〜
「おい、何やってるんだよ!!」
あと一歩。あと一歩で目の前に居る者の身体を、恐ろしいその手で貫くことができる。
それなのに。
『獣』は動かない。いや、【動けない】のだ。
淡く光る優しい緑色の目。辛そうで、苦しそうで、泣きそうな顔をしている目の前の『彼』に、これ以上近づくことが出来ない。
そして。『彼』はーーー。
ゆっくりと、けれども優しく。
【『獣』を抱きしめた。】
「大丈夫。もう大丈夫だから。」
優しくそう話す『彼』の言葉に、『獣』は身体の力を抜いてしまった。無抵抗。
『お客様』達にとって、これは想定外であった。
まさか、『獣』を止めることができる者がいるとは。
そして、更に信じられないことが起こった。
『彼』が『獣』の頬に左手で優しく触れた。すると、『獣』の真っ黒な身体がひび割れ、ボロボロと外層が剥がれ落ちていく。
ーーー現れたのは、『人間の子ども』であった。
年端もいかぬ子どもが、そこに居た。
子どもは何が起こったか分からなかった。瞬きをしてから、ゆっくりと周りを見た。『彼』を見た。最後に、『自分の両手』を見た。
そこにあったのは、かつての自分の【手】であった。
【化け物にされる】前の、自分。
子どもの目から涙が溢れた。感極まって泣いてしまった。嗚咽した。何年も、前に変わってしまったから。
もう二度と、戻ることはできないと思ってしまっていたから。自分は、このまま『獣』として死ぬのだと。
しかし、今はどうだ。
元に戻った。手が戻った。足も戻った。身体も、戻っている。
ならば、ほとんどは元通りになっているのだろう。
【たった一つを除いては。】
子どもはそれが何か分かっていた。『彼』もきっと分かっている。だからあんな顔をしているのだ。【『獣』にされた子ども】は、それにも気がついた。
気持ちが落ち着いたところで、ゆっくり休んで顔を上げる。『彼』を真っ直ぐに見つめた。
そして、微笑んでこう言った。
「お兄ちゃん、ありがとう。やっと、【死ねる】。」
そう言うと、『子ども』は淡い光となって消えた。
『彼』の目の前には何も【無くなって】しまった。
あれは、【生命を蝕む呪い】。【自我を残したまま生きる苦行】。【身体を作り変える毒】。
『彼』は知っていたのだ。あの『子ども』は、もう残り少ない生命であったことを。
『自分』が触れたら、【消してしまう】ことも。
助けるために。解放するために。
誰のためでもない、『自分』のためにしたことなのだ。
『彼』の頬には、ゆっくりと涙が流れていた。




