終章「これは、俺が書いた話」
最終話です。読んでみてください!
—ここまで読んでくれた人がいたら、まず言っておきたい。
これは、俺が書いた話だ。
満腹あひる屋の厨房の隅、発酵の器が並ぶ棚の下に、小さな机がある。
毎年、一年物の発酵を仕込む日に、俺はそこに座って、その一年間にあったことを書き記すことにしている。
最初は、ただの記録だった。仕入れの記録、レシピの記録、客の反応の記録——前世のバイトリーダー時代に染み付いた習慣だ。
でも、いつの間にか——それは「記録」じゃなくなっていた。
ゼノフさんのこと。ゴルドさんのこと。グレイさんのこと。カイルとマリアのこと。リンのこと。エルナのこと。
この店に来た、全ての人のことを、書き残したくなった。
だから、これは——記録というより、物語だ。
俺が見て、感じて、生きてきたことの、物語だ。
さて。
ここからは、「その後」の話をしよう。
カイルのこと
あの腹ペコの新米冒険者は、今では「満腹あひる屋」の二番手として、厨房を任せられるようになった。
揚げ物の腕は、いつの間にか俺を超えた。
「カイルさんの揚げ物が一番好き」というファンが、街にいるくらいだ。
冒険者時代の伝手で、時々遠くの街から珍しい食材が届く。「あひる屋御用達」という、勝手な評判が立っているらしい。
最近、「俺、いつか自分の店を持とうかなって思ってます」と言い出した。
「いつか、隣に出すか?」とゼノフさんが聞いたら、「いいんですか!?」と飛び跳ねていた。
たぶん、近いうちに——隣の空き物件に、小さな食堂ができる。
マリアのこと
北の街から、両親が初めてこの街を訪れた日のことを、俺は忘れない。
マリアの父親は、厨房に立つマリアを見て——何も言わずに、泣いていた。
母親が「立派になったね」と言うと、マリアもまた泣いた。
二人の両親は、それから時々、この店に来るようになった。
マリアの料理は、今や「あひる屋の麺」として知られている。
エルナと一緒に作った「冬味噌」は、街の冬の定番調味料になった。
いつか、マリアは「自分の味噌を、もっと多くの人に届けたい」と言っている。
たぶん、その夢も、近いうちに動き出す。
エルナのこと
あの春の夜から、一年が経った。
一年物の発酵が開いた日、エルナは——「その日の汁」を、もっと大きな仕組みにする提案をしてきた。
「感じ取る能力がなくても、状態を見極められる方法を作りたいです」
マリアと一緒に、食材の状態を見分けるための「目安表」を作った。
それは、あひる組合の全ての店に配られた。
エルナの能力は、今やこの街の食の質を、全体的に上げている。
銀星研究院から逃げてきた少女は——今、この街で「銀眼の料理人」として、誰もが知る存在になった。
怖がられることは、もうない。
ゼノフさんのこと
諸国料理祭典は、三年連続で「満腹あひる屋」が最優秀賞を受賞している。
ゼノフさんは「もう賞は気にしなくていいんじゃないか」と言いながら、毎年、王都へ行く。
行くたびに、少しだけ変わって帰ってくる。
でも——盛り付けの量は、絶対に変わらない。
「これだけは、譲れないからね、はっはっは!」
二十八年と、それから数年。
ゼノフさんは今も、毎朝厨房に立っている。
常連たちのこと
ゴルドは、今もこの店の常連だ。
最近、若い冒険者に料理の話をすることが増えた。「飯を作れる奴は、戦場でも生き残る」というのが、彼の口癖になっている。
グレイは、今も毎日卵焼きを食べに来る。
エルナが「グレイさんの目の疲れ用」に考えた汁が、彼の定番になった。
エレナさんは、図書館の隅に「あひる屋メニュー記録」というノートを置いているらしい。本気で記録を取っているのは、内緒だそうだ。
ハンスとヨハンは、相変わらず「いつもの!」と叫んで、鍋を囲む。
ラドク隊長は、最近、後輩の衛兵を連れてくることが多くなった。「朝飯は、ここで食え」が彼の教育方針になっている。
リンは、今も旅と店を往復している。
でも——以前より、旅に出る期間が短くなった気がする。
ルルちゃんは、最近、店の手伝いを少しするようになった。「将来、ここで働きたい」と言っている。
その時には、彼女のための仕事も、きっとあるだろう。
あひる組合のこと
ベルク商会の事件から数年。
あひる組合は、今や街の食材流通の半分以上を担っている。
他の街にも、似たような組合が生まれ始めた。
「あひる方式」という言葉が、商人たちの間で使われるようになったと、ヴェルナーが教えてくれた。
俺のこと
最後に——俺のことを書いておこう。
この世界に来て、もう何年になるだろう。
前の世界に帰る方法は、結局探さなかった。
探そうと思わなかった、というのが正確だ。
帰りたい場所が、今はここにあるから。
毎朝、四時に起きて、厨房に下りる。
誰かが、もう先に来ている。
今日はエルナかもしれない。マリアかもしれない。カイルかもしれない。
かまどに火を入れて、出汁を引く。
誰かが起きてきて、おはようと言う。
仕込みをして、開店して、客が来て、料理を出す。
誰かが「旨い」と言う。
それを聞いて、また料理を作る。
この物語を、ここまで読んでくれた人へ。
もし、いつかこの世界に——というのは、ありえない話だけど——もし、あなたの街に「満腹あひる屋」みたいな場所があったら、行ってみてほしい。
大盛りすぎる料理に、突っ込みを入れながら。
誰かと一緒に、鍋を囲んで。
その日の汁を飲んで。
深味汁の深さに、驚いて。
俺たちは、今日も、ここで料理を作っている。
腹が空いた人に、温かいものを出すために。
それだけのことを、これからも、ずっと。
アヒルの看板が、今日も静かに揺れている。
その下で——物語は、まだ続いている。
俺が書くのは、ここまでだ。
あとは——この店に来た人たちが、それぞれの物語を、続けていくだろう。
——満腹あひる屋、料理人トウヤの記録より
(おわり)
ここまで、この物語を読んでいただきありがとうございました!この物語はもう終わってしまうわけですが、ぜひ、あなたの内で永遠に営業していて欲しいと思っています(笑)!本当にありがとうございました!




