第一話「腹ペコ転生と、盛りすぎジジイの食堂」
主人公は「究極の適応能力を持つ、元・バイトリーダー」 !?
前世の姿: 20代後半の日本人男性。学生時代から「接客と調理」の魅力に取り憑かれ、複数の飲食店を掛け持ち。就職後も趣味で全国のB級グルメを巡っていた、自他共に認める「飲食業界の便利屋」。
異世界での姿: 10代後半の青年。森で魔物に襲われかけていたところを、ゴルドに「腹が減りすぎて倒れているのか?」と勘違いされ、担ぎ込まれるように「満腹あひる屋」へ連れてこられた。
気がついたら、森の中だった。
それが、佐藤透哉——今はトウヤと名乗るようになった俺の、異世界生活の始まりだった。
転生? 召喚? 詳しいことはよくわからない。ただ言えるのは、目が覚めたら見知らぬ森の地面に顔を埋めていて、ざりざりした土の匂いがやけにリアルで、「ああ、これは夢じゃないな」と妙に冷静に悟ったということだ。
もっとも、冷静でいられたのも最初の三十秒だけだったが。
「うごっ——!?」
木の向こうから聞こえてきたのは、重い羽ばたきの音だった。ゆっくり顔を上げると、俺を興味津々に覗き込んでいたのは、羽根の先に鉤爪がついた緑色の鳥……と呼ぶには少々禍々しすぎる何かだった。
体長、おそらく二メートル弱。
眼光は、完全に「獲物」を見るそれだ。
(……詰んだ)
元バイトリーダーとして、俺はその状況を素早くジャッジした。逃げ場なし。武器なし。体力なし。異世界チート能力、今のところ覚醒の気配すらなし。
せめてバイトの後輩に一言、「シフト、ちゃんと埋めろよ」と告げてから死にたかった——そう思った瞬間だった。
「おい、そこの倒れている小僧」
地響きのような声が、背後から降ってきた。
「……腹が減りすぎて、動けなくなっているのか?」
振り返ると、そこにいたのは、巨大な男だった。
身の丈は俺より頭一つ以上高い。分厚い鎧をつけた体はまるで城壁のようで、腰には傷だらけの大剣を提げている。年のころは四十代半ば。ざんばらの茶髪に、戦場で刻まれたとおぼしき古傷が頬を走っていた。
そのベテラン戦士は、俺と魔獣を交互に見やると、やれやれと息を吐いた。
「……仕方ない。先に飯を食わせてやろう」
言うが早いか、腰の大剣を一閃。
魔獣はその場に沈み、男はぽいと剣を鞘に収めた。
「俺はゴルドだ。この辺りのことはわからんだろうが、とにかく今は飯を食え。腹が減ったまま話しても、何もいいことはない」
なぜか魔物退治よりも「飯」を優先するその男——ゴルドに担がれるようにして、俺は森を出た。
連れてこられた街は、中世ヨーロッパの絵本から抜け出したような石畳の町並みだった。
馬車が行き交い、鎧姿の衛兵が立ち、露店では見知らぬ野菜や肉が並んでいる。鼻腔をくすぐる香辛料の匂い。遠くから聞こえる鍛冶の音。
……うん、完全に異世界だ。受け入れた。
「ゴルドさん、この街は——」
「細かいことは後でいい。まず飯だ」
有無を言わさず路地を曲がった先に、その店はあった。
木製の看板には、ずんぐりとしたアヒルが一羽、丸々と描かれていた。
『満腹あひる屋』
看板の文字を読んだわけではない——どういうわけか、この世界の言葉が自然と頭に入ってくるのだ。転生者の補正というやつだろうか。
引き戸を押し開けると、温かい空気と、複雑な香りが一気になだれ込んできた。
肉を焼く匂い。煮込みの香り。酒と、人いきれ。
テーブルが七、八卓ほど並ぶ、こぢんまりとした食堂だった。昼下がりの時刻にもかかわらず、ほぼ全席が埋まっている。隅の席では黒フードの人物がひっそり串焼きを囓り、別のテーブルでは眼鏡をかけた女性が本を片手にスープを飲んでいた。作業着の大男が二人、「いつもの!」と野太い声で叫んでいる。
そして——
「いらっしゃい、ゴルドくん! 今日も連れが増えたのかい、はっはっは!」
奥の厨房から、丸眼鏡のおじいさんが顔を出した。
七十近いだろうか。白髪混じりの頭に、清潔な前掛け。温和な笑顔の奥に、どこかいたずらっぽい光を宿した目。
「ゼノフさん、森で拾ったんだ。腹を空かせていたようだから、何か食わせてやってくれ」
「拾ったって、人聞きが……」と俺が口を挟む前に、
「まあまあ! 細かいことはいいから座った座った! お腹が空いたまんまじゃ、何にも始まらないからね!」
ゼノフさんはそう言って、俺をカウンターの席にどっかりと座らせた。
しばらくして、どんと目の前に置かれたのは、大きな木の器だった。
「今日のおすすめ! 猪肉の煮込みと、黒パンと、野菜スープ! はい、たんと食べな!」
器から溢れんばかりの量に、俺は思わず目を丸くした。
猪肉は大きめに切られ、根菜とともにゴロゴロと入っている。パンは分厚く、スープはたっぷり。どれをとっても、「盛りすぎ」という言葉が似合う量だ。
「ゼノフのじいさん、また盛りすぎだろ」
隣のテーブルから、金髪の青年がにやにやしながらこちらを見ていた。十九、二十歳くらいだろうか。くたびれた革鎧に、人懐こい笑顔。
「俺もそれ頼んだけどさ——」
青年は自分の器を持ち上げてみせた。
「全部食べられる? 初めての人は大体残すんだよね、これ」
「カイルくん、そんな怖がらせなくていいから! 全部食べたら、おまけにクッキーもつけてあげるからね!」
ゼノフさんは厨房に引っ込みながらそう言った。
俺は煮込みを一口。
……うまい。素朴な味だが、しっかりうまい。肉はほろほろで、根菜に甘みがある。ただ——
(……もったいない)
自然と、そんな言葉が浮かんだ。
素材はいい。出汁も悪くない。でも、この煮込みに何か一つ「香り」が加わるだけで、もっと化けるはずだ。厨房を見れば、スパイスらしい瓶がいくつか棚に並んでいる。使いこなせていないのが、料理の素人目にもわかった。
前世で、俺が幾度となく見てきた光景だった。
「素材はいいのに、もったいない」——それが口癖だった師匠の顔が、ふっと脳裏をよぎった。
(ゼノフさん、あの棚の香辛料、どれくらい使ったことありますか)
聞こうとして、やめた。
今日来たばかりの、拾われっ子みたいな立場だ。まずは状況を整理して——
「お兄さん、止まってる手、ぱくぱく動かしな! お腹が減ってる時に飯が冷めたら、もったいないから!」
ゼノフさんが笑顔でそう言った。
俺は少し笑って、器に向き直った。
全部、きれいに平らげた。
食べ終えると、ゼノフさんは約束通り、アヒルの形をしたクッキーを皿に乗せて出してきた。隣ではカイルが「俺にもくれ!」とねだっている。
「ゼノフさん、一つ聞いていいですか」
「なんだい?」
「あの棚のスパイス——全部で何種類ありますか」
ゼノフさんは首をかしげながら答えた。
「さあ……昔もらったきりで、使い方がよくわからないんだよね。匂いが強すぎてね」
「そうですか」
俺は器を静かに置いた。
「……もしよければ、少し、手伝わせてもらえませんか」
ゼノフさんは丸眼鏡の奥の目を細めて、じっと俺を見た。
それから、ふわっと相好を崩した。
「ははあ、料理がわかる子かい! いいとも、いいとも! うちは人手が足りてないからね。むしろ大歓迎だよ! 住み込みでどうだい?」
「住み込みで!?」
「飯と寝床は保証するよ。給金は——まあ、様子を見ながらね。はっはっは!」
隣でカイルが「よかったじゃん!」と気軽に言っている。
ゴルドはエールを一口飲みながら、「まあ悪い店じゃない」と静かに言った。
俺は少し考えて——
(転生したての俺に、今できることなんて、これくらいだ)
頭を下げた。
「よろしくお願いします、ゼノフさん」
「こちらこそ! さあ、まずは腹ごしらえしたら、厨房を見せてあげようかね!」
「さっき食べたばかりなんですが……」
「デザートはまた別腹だよ! はっはっは!」
こうして俺——トウヤの、「満腹あひる屋」での日々が始まった。
魔法もなければ、チート能力もない。
あるのは、前世で身に染み込んだ「飲食の記憶」と、「早い・安い・旨い」という鉄の掟だけだ。
でも——
(まあ、なんとかなる)
アヒルの看板が、夕暮れの風にゆらゆら揺れていた。
次回もお楽しみに




